脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

君に届けの発売日と嵯峨浩と独ソ不可侵条約について

http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51453283.html
勝てば官軍、勝てば何をやっても許される。その代わり万一負けたら死ぬほど叩かれる。ということをこの教頭は学生諸君に身を以て教えてくれたのです。絶対無敵の確信の無い限りは謙虚で紳士的ななフェアプレーを心がけましょう。


 春。日の高い内に帰宅できる幸せを噛み締めています。

なぜこの時代に出逢ったのかと問いかける術は冴えた影に散る

君に届け+発売日

今がその時だ - 脱積読宣言

君に届け
 椎名軽穂*1による日本の少女漫画作品。通称「君届(きみとど)」。『別冊マーガレット』(集英社)にて連載中。2009.2現在、単行本が8巻まで刊行されている。宝島社の『このマンガがすごい!』2008年版オンナ編の1位作品。2009年秋からアニメが放映される予定。
 見た目が暗く周りからも「貞子」と呼ばれる女子高生・黒沼爽子*2が、周囲の誤解を解き、友情・恋愛などを通して成長していく姿を描く。(wikipediaより引用)
受賞歴


 平成20年度講談社漫画賞少女部門受賞!『このマンガがすごい 2008年版』オンナ編1位!!そして2009年ついにアニメ化決定!!!と波に乗りまくってる『君に届け』。物語の方も、風早を意識しすぎて逆に避ける感じになってしまった貞子の前に現れた面倒見の良い好青年ケント。遂に現れた恋敵!?を前にしょーたは自分の心とどう向き合うのか、と見事に佳境を迎えております。そんな『君に届け』の最新第9巻は2009年夏発売予定。多分アニメ放送開始にぶつけてくるんでないでしょうか。どうか願わくは、彼女がアニメ化と同時に新刊出す気なくした多くの先達の二の轍をふみませんように。

君に届け 3 (マーガレットコミックス)

君に届け 3 (マーガレットコミックス)

嵯峨浩+浩宮

闇の翼ですべてをつつむ夜のためのアリアpt4 - 脱積読宣言

愛新覚羅浩
 大正三(1914)〜昭和六十二(1987)年。満州帝国皇帝溥儀*3の弟溥傑*4の妻。侯爵嵯峨実勝*5の長女。母は尚子*6。東京出身。
 女子学習院高等科卒業後、1937「日満親善」の名の下に溥傑と結婚、慧生*7・嫮生*8を生む。戦後は中国各地を逃避行し、'47日本へ引揚げ嵯峨家に身を寄せた。'57長女の慧生が天城山中で心中。'61夫溥傑が特赦となり、中国政府の要職に就いたので北京へ移った。晩年は夫と次女の一家三人水入らずの日々を送る。著書に『流転の王妃』('59)など。(『日本女性人名辞典』より引用。)

皇太子徳仁
 昭和三十五(1960)年〜。日本国皇太子。東京都千代田区出身。学習院大学人文科学研究科修了。父:今上天皇*9、母:美智子皇后*10、妻:雅子皇太子妃、長女:愛子内親王*11、弟:秋篠宮文仁親王*12、妹:黒田清子*13、祖父:昭和天皇*14、祖母:香淳皇后*15
 今上天皇第一皇男子。皇位継承順第1位。幼少時の称号浩宮。1966学習院幼稚園、'72同初等科、'75同中等科、'78同高等科卒業。'78学習院大学文学部史学科入学。'80.2.23皇統譜に登録され、成年皇族として、摂政就任、皇室会議議員となる資格を得る。'82.3同大学卒業、'82.4同大学院進学、'83.6オクスフォード大学マートン・カレッジ留学の為渡英。'85.10帰国。'89.1.7立太子。'89.7オクスフォード大学名誉研究員。'91.3立太子の礼。'92学習院大学史料館客員研究員。'93.6.9小和田雅子と結婚。(『新訂 現代日本人名録2002』より引用)
受賞歴
オクスフォード大学名誉法学博士(1991)
ロッコ勲一等ウイカム・L・モハマディ勲章('91)
ベネズエラ・リベルタドール大勲章('92)

 「流転の王妃」嵯峨浩と「不肖の長男」浩宮徳仁。名前こそ似てますが二人の間に大きな接点はありません。一応遠縁の親戚*16にはなります。
 想像の翼を羽ばたかせれば、昭和32年天城山心中で再度脚光を浴びた日満友好の架け橋嵯峨の名がその三年後誕生した徳仁親王の称号「宮」に受け継がれたと牽強付会出きないこともありません。
 とまれ、われらが皇太子殿下には来るべき悠仁親王即位のその日まで無難に繋いで欲しいものです。

流転の王妃の昭和史 (新朝文庫)

流転の王妃の昭和史 (新朝文庫)

独ソ不可侵条約

あかき血潮胸に満ちて - 脱積読宣言

独ソ不可侵条約 German-Soviet Non-Agression Pact
1939.8.23締結。ドイツとソ連の協定。ミュンヘン会談にも見られるようなイギリス・フランスのドイツに対する宥和政策に乗じて、1939.3-5ヒトラー*17チェコスロヴァキアを併合。続いてポーランドに対してダンツィヒポーランド廻廊を要求した。この独の露骨な侵略政策に対して英仏もその態度を改めソ連への接近を図ったが、両者の協調は遂に達成されなかった。スターリン*18は差し迫った戦争を前にして時を稼ぐ必要を感じ、また一方ヒトラーは英仏と交戦する場合、二正面作戦を避けることを必要とした。こうして独ソの間には妥協の可能性が生まれ、'39.8ヒトラーはリッペントロップ*19をモスクワに派遣、ポーランド及びバルト三国の分割を秘密条項とする独ソ不可侵条約を締結させた。この条約は7ヶ条からなり、両国相互の不侵略、第三国との交戦の場合に於ける他の締結国の中立維持などを規定し、その有効期間を10年と定めた。'39.8.24この協定が両国共同で公表されると、全世界に非常な衝撃を与えたが、いずれにしてもこれによって東方への憂いを絶ったヒトラーは、それより1週間後にポーランドへの進撃を命令し、第二次世界大戦が始まった。(『改訂増補 西洋史辞典』より引用)

 ナチズムと共産主義の禁断の握手。東欧諸国ひいては民主主義国家にとって絶望的な悪夢のような悪魔と修羅の一時休戦。第二次世界大戦の引き金となった独ソ不可侵条約について考えてみたいと思います。

 まずはドイツの背景。英仏の宥和主義に基づくミュンヘン体制という名の東欧弱小国家侵略の黙認を受け、着々と勢力拡大を図るドイツですが、その矛先がポーランドに及ぶに至って、流石に堪忍袋の緒が切れかけた英仏や、ポーランドに食指伸ばす気満々のソ連との関係が一触即発なものに悪化します。第一次世界大戦を教訓に何としても両面作戦だけは避けたいドイツは東西いずれかとの妥協を迫られます。そこでヒトラーはイギリスへの個人的友誼を押し殺し、ソ連に太いチャンネルを持つリッペントロープの進言に従い独ソ同盟へと舵を切ります。
 一方のソ連もドイツの無法により草刈り場と化しつつある東欧を座視するほどの平和主義者でもなく、また東方では満州国成立により、宿敵日本と直截「国境」を共有することとなっていた為、ドイツと直接干戈を交えずに済むこととなる独ソ不可侵条約は渡りに船と言うべきものでした。
 この条約で一番の被害を受けたのは勿論勝手に領土分割案を決められた東欧諸国ですが、我らが日本もえらい迷惑をこうむっています。日独防共協定による挟撃により、怨敵ロシアを覆滅すべし。の当初の目論見が見事に外れ、以降外交政策は迷走を重ね、国賊松岡の日独伊ソ四国同盟という妄想に基づく暴走を許し、英米との妥協の道を完全に閉ざす羽目になってしまいました。

 さて、近隣諸国に多大な迷惑を振りまきながら成立したこの条約ですが、アンチ共産主義を党是とし、ウクライナ地方をドイツの生命線と呼ぶヒトラーソ連との蜜月関係が長く続く訳がありません。緒戦であっさりフランスを降伏させ、西部戦線の圧力が弱まったドイツは、対英戦の進展のなさに焦れ、イギリスの戦意を挫くにはソ連を先に壊滅させた方が早いとの結論に至ります。一方のソ連も、スパイゾルゲの活躍により、日本が最早対ソ戦の意思は皆無との情報を得、西方国境へと精鋭部隊を集結させます。こうして短かった虎狼の奇妙な休戦は幕を降ろし、替わりにナチスドイツの快進撃、ひいては第二次世界大戦の終わりの始まりとなるバルバロッサ作戦の幕が上がり、独ソ不可侵条約はその短かった役割を終えました。
 そして、時は下って冷戦末期。ソ連崩壊の火蓋を切ったバルト三国独立運動に於いて、独ソ不可侵条約の秘密議定書が大問題になったりもしますが、それはまた別の噺。

ヒトラーとスターリン〈上〉―死の抱擁の瞬間

ヒトラーとスターリン〈上〉―死の抱擁の瞬間

愛も罪も夢も闇も今すべて身にまとって

 生まれた当時は全国民の期待を一身に背負って生まれたはずの浩宮殿下。けちの付き始めはその美貌と知性に惑わされて分不相応のバリバリのキャリアウーマンを嫁にしてしまったこと。この想い君に届けとばかりにダメ男が高嶺の花の才媛にアタックするのは美談ですが、貴顕中の貴顕たる天皇家の総量息子がそれをやっちゃあシャレになりません。案の定、宮中改革の野心と希望に溢れた新妻は千年間も蠢き続ける百鬼夜行の魑魅魍魎にやられて恍惚の人に。それを考えれば、いくら自分の方が目上とは言え、他国の皇室に嫁いだ嵯峨浩は偉大です。陣内と紀香の例を引くまでも無く、格差婚は不幸の温床です。やはり人間、自分の身の丈にあったパートナーをお気に入りの作家の新刊の発売日を待つ位の大らかな気持ちでゆっくり探すべきでしょう。ここ数年同世代の友人連中に先立たれるとどうしてもそんな気持ちではいられませんが。というわけで、我こそはと思わん奇特な人は連絡お待ちしております。

Northern Lights

Northern Lights

帰ってきた今日の一行知識

江戸時代心中の罰は二人揃っての晒し者(未遂も含む)
この刑の真髄は片方だけが生き残った場合。腐り行くかつて愛した物と共に見世物にされる地獄。実に洒落の利いたシャレにならない名刑罰です。

*1:代表作:『CRAZY FOR YOU』「青いふたり」「明日はどっちだ」他。

*2:高校二年生。通称:「貞子」。その風貌と極度の口下手さから周囲からあらぬ噂を立てられ遠ざけられていたが、風早ら友人達との出会いと本人の努力により、周囲に溶け込み始めている。

*3:康徳帝満州帝国初代皇帝。父愛新覚羅載灃、母瓜爾佳幼蘭。清朝最後の皇帝宣統帝として擁立されるも、辛亥革命により廃位。流浪の身を関東軍に拾われ、満州国の傀儡政権を樹立。満州帝国崩壊後は中共に身柄を拘束され再洗脳により市井の人として生涯を終える。

*4:愛新覚羅。全人代常務委員会委員。父載灃、母瓜爾佳氏。妻嵯峨浩と共に戦前は日満、戦後は日中友好のシンボルとして利用された。

*5:町田学園エトワール幼稚園初代園長。侯爵。父公勝、母(毛利)仲子。嵯峨家30代当主としてよく皇室を輔弼。

*6:父浜口容所。子に公元、浩、池見啓子、福永泰子、町田幹子。

*7:学習院大学文学部国文科生。同学科生の大久保武道と天城山心中事件を引き起こし、「天国に結ぶ恋」と呼ばれる大ブームを巻き起こした。

*8:福永。母の実家の嵯峨家と縁の深い福永家に嫁入し、平凡で幸福な家庭を築く。

*9:第125代天皇。諱は明仁。父昭和天皇、母香淳皇后。平成期現代の天皇陛下。全国遊説や外遊など精力的な公務をこなす。

*10:正田英三郎、母(副島)冨美子。子に徳仁親王文仁親王黒田清子。平民初の皇后として、閉鎖的な王家の伝統の開明に尽力。

*11:学習院幼稚園生。母雅子皇太子妃。初の女系皇位継承の是非をめぐる議論の当事者となるも、現在健やかに成長中。

*12:山階鳥類研究所総裁。父今上天皇、母美智子皇后。妻に(川嶋)紀子、子に悠仁親王。伝統に固執しないものの、王家の藩屏たる皇族として、父や兄を補佐。

*13:主婦。父今上天皇、母美智子皇后、夫に慶樹。親しみやすく驕らない人柄で気さくに公務に従事。現在は兄の友人と恋愛結婚し、専業主婦生活を満喫中。

*14:第124代天皇。諱は裕仁。父大正天皇、母貞明皇后。現人神から象徴天皇へ。「君臨すれども統治せず」のポリシーの下、激動の昭和史を見守り続けた。

*15:昭和天皇皇后。諱は良子。父久邇宮邦彦王、母(島津)俔子。子に東久邇宮成子、祐子内親王、鷹司和子、池田厚子今上天皇常陸宮正仁親王島津貴子

*16:皇太子の曾々々祖母中山慶子の姪の毛利仲子の娘が嵯峨浩。実に九親等。一応九族皆殺しの対象にはなりますw

*17:Adolf Hitlerナチス・ドイツ総統。父アロイス、母クララ。ヴェルサイユ体制下にあって閉塞感漂うドイツを圧倒的な弁才にて掌握。第二次世界大戦を起こし、一時は第三帝国を自称する程の版図を誇るも、無謀なソ連侵攻やアメリカ参戦により敗北。

*18:Иосиф Сталин。ソビエト連邦閣僚会議初代議長。父ヴィサリオン=ジュガシヴィリ、母エカテリーナ=ゲラーゼ。本名:ヨシフ=ヴィサリオノヴィチ=ジュガシヴィリ。レーニン死後トロツキーらとの権力闘争に勝利し、権力を掌握。粛清の嵐により独裁権力を確立し、超大国ソ連の基礎を築いた。

*19:Ulrich Friedrich Wilhelm Joachim von Ribbentrop。ナチス・ドイツ第2代外相。父リヒャルト、母ゾフィー(=ヘルトヴィヒ)。ヒトラーの信任を背景にナチス・ドイツの外交を主導。