脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『学問のす丶め』

 有名私大学祖シリーズ第二段、福沢諭吉『学問のす丶め』岩波文庫(1942)です。大隈や新島関連の著作を持ってないので、三段以降は多分ありません。さて、万札の肖像で有名な諭吉っつぁんですが、学問に挫折した私を見棄てたか、ちっとも傍にいてくれません。お金は寂しがりやってのは身に染みてますが、一葉さんにすら袖にされがちな昨今は世間の風が一層冷たく感じられます。閑話休題。100年以上も前に現在日本の窮状の最大の打開策「脱亜論」を遺してくれた福沢氏ですが、今になって読むと余りにも理想主義的な若々しい議論が、汚れちまった我々に新鮮な感動を与えてくれます。本人が女子供向けと言ってるように、言い回しは平易で、誤解を恐れぬ単純化した表現が読み物としての面白さを保証してくれます。いわゆる擬古文なので、最初はとっつきにくいでしょうが、頻出する二重否定にさえ慣れてしまえば、ストレスなく読めるのではないでしょうか。個人的な感想ですが、言文一致運動後の下手な小説よりは、文語文の方が理解もしやすい名文だと思います。、
それでは以降ネタバレ注意

学問のすゝめ (岩波文庫)

学問のすゝめ (岩波文庫)

総論

 「天は人の上に人を造らず」この余りにも有名な一文で始まる『学問のす丶め』ですが、よくできた書物の例に漏れず、第一章が総論、後は各論及び補足といった体になってます(出版の形態上*1一章(1872)から十七章(1876)まで足掛け五年かかっているので、途中で明らかに変節したと思われる部分が何箇所かあります)。そこでいわれているのは、一見耳障りのいい万民平等論ですが、底を流れるのは、徹底した能力主義儒教の影響の色濃く残る職業差別です。「万民平等であるはずのこの世界で、身分に富貴のあるは、能力(学問)の不足から車夫や力役などの賤業しかこなせないものがいるからだ」これが洋学を礼賛し、儒漢国学を罵倒しながらも、その影響から抜け出しきれなかった諭吉の結論でしょう。彼は他にも「愚民の上に苛き政府あり」(大意:民度の低い国民を治めるには圧政を以てする以外に方法がない)などとも言っています。進歩的文化人のお歴々が扱いに困るはずです。

各論(ってゆーかまとまんなかった雑感想色々)

 世の全ての不幸の淵源は学問の不足にあるとでも言いたげな諭吉さんですが、慶応の学祖らしく、実学*2や交際をやたら推奨してます。なお福沢氏によると半端な学問しかしてないのに木っ端役人になるのは才能の浪費だそうですので、慶応生は公務員試験など間違っても受けてはなりません。採用枠を空けて下さい。
 洋学万能とでも言わんがばかりに儒・漢・国学を旧弊と罵倒してきた諭吉さんですが、後半(十五編(1876))では洋風万能の風潮に反駁して、西洋の蛮風(尿瓶・ハンカチ・コルセット・イヤリング・紙巻煙草・宗教戦争)を糾弾してます。口調の小気味いい名編の一つですが、今までの西洋万歳な態度は何処行ったのと言いたくなります。
 検閲官が自分の弟子だってことで、好き勝手書いてたら世間から大ブーイングを喰らい、新聞に変名で自分をかばう投書をして火消しに躍起になってます。いつの時代も調子に乗った筆禍事件てのはあるんですね。桑原桑原。
 最後に本論とは関係ないんですが、女大学が引用されてたので感想少々。「亭主は酒を飲み女郎に耽り妻を詈り子を叱りて放蕩淫乱を尽すも、婦人はこれに従い、この淫夫を天の如く敬い尊み」とありますが、江戸の男共はさぞかし虐げられてたのでしょう。うちの女房もこんなだったらいいなと妄想に耽るさまが目に浮かびます。更に文句を言うなではなく、「顔色を和らげ、悦ばしき言葉にてこれを異見すべし」とあるのがまた泣かせます。普段は怒鳴り飛ばされてたのをせめて嫌味に負けてくれんかとか弱い男は今日も嘆くのです。戦後女とストッキングは強くなったとお嘆きの諸兄、江戸の昔も今と変わらぬ嬶天下だったようです。あきらめましょう。

今日の一行知識

 福沢諭吉の好物はうなぎの蒲焼と茶碗蒸し
 「(もし西洋料理だったら)鰻の蒲焼、茶碗蒸に至っては世界第一美味の飛切りとて評判を得ることなるべし」まだそんなもん食ってんの?ださ。とかいわれたんでしょうね。悔しさが滲みます。

*1:各編を小冊子として、一章ずつ発行。ちなみに発行部数は海賊版込みで22万部(1880時点)だそうです。

*2:洋学万能の風潮に流されてか、神学や歴史学まで実学扱いしているのはご愛嬌です