脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

新川梨の碑

偏差値71の高校の卒業式の様子をご覧くださいwwwwwwwww:ハムスター速報
京大とかが典型ですが、こういった「悪ふざけ」に関してはフィクションとは逆で「偏差値の高い」学校ほど盛んでセンスがいいんですよね。文化的活動には最低限の知性と教養は必須スキルです。


 ↓では計算に入れてませんが、宝くじ代わり*1に毎レース*2100円ずつ3連単の馬券買ってます。で、問題は今年に入って早3回*3の的中*4の快挙。ひょっとして俺そろそろ死ぬんでしょうか。


今日の仮想通貨

競馬進捗・・・H30収支+2930

DQⅧ進捗

  • 「キラーテクニシャン」のっひースカウト。主人公のスキル称号:「勇ましい勇気」

田舎電車に揺られた頃は季節さえ寝過ごした

新川梨の碑
 江戸時代に下今井村で梨の栽培に成功した大塚宗蔵の記念碑です。文政8年(1825)宗蔵の一周忌にあたって、その子吉豊によって建てられました。
 梨は新川梨とよばれ、宗蔵没後も栽培が続けられて地場産業のひとつにまでなりましたが、明治の終わりから大正時代にかけて衰退し消滅しました。(江戸川区公式HPより引用)


 地元の文化財探訪コーナー。今回は瑞江の寺町にひっそりたたずむ新川梨の碑を探訪。なんのアピールも説明文もないその素朴な佇まいは私も何度か前をスルーしてしまいました。・・・とこれだけで終わっては何なので、碑文読解に挑戦。手書きで書き写したもの江戸川区史』に載ってた釈文を辞書片手に翻訳したものなので出来映えの方はケンチャナヨ。それでは以下。

楽誉君種梨樹碑
君諱宗蔵姓大塚氏其先大和人父諱某姓樽井氏仕舟越侯生君本邸其後有故致(改行)仕而去遂携君至於武之葛西新川営盧居之貧窶坎軻室如懸磬而意晏如之性(改行)剛直処己也審度事也精尤長於老圃種芸之事居有間以父命出昌大塚氏君朝夕(改行)勤辛以従事焉享和中告其子吉豊曰此地十四五里間土肥壌沃故移種梨樹以為(改行)業者往々有之吾欲固為之汝従乃父以力之於是僅買梨十株以種之費其工夫竭其心力(改行)而培植之如此者五六年後偶見貝原翁所著農業全書於種芸之理接樹之法培養(改行)之術尽己獲之矣乃広其庭苑輦壌土刈茅筏周之以枳籬種梨八百株君曰吾率梨之(改行)性而育之則従我意之所嚮樹如喩於人然以其土塊易之於彼肄条結之於棚者実皆剏(改行)於君者也文政辛巳秋始取之献於 官府又蒙 命毎秋奉献之自古所献者惟甲州而己(改行)故世称曰之甲州梨以珍之今君所献之梨甘脆津潤其味実冠於天下矣都下因称新(改行)川梨云君費工夫竭心力労形苦神殆廿年広業於老圃究術於種芸以継人志以興其(改行)家嗚乎其功不亦大哉文政七年甲申四月十日罹疾而没享年六十九歳葬于今井村浄興寺(改行)法諡楽誉吉豊属余曰己酉四月十日当父一週之忌将建石於梨園之中以刻先親之勤労庶(改行)幾今子孫朝夕視以為韋絃是所以修其追福也異日神遊此亦足以慰先親歟因撰文勒之石(改行)表其行事云文政己酉春正月玉川小町成撰玉峯田中為則書孝子吉豊建*5

 あなたは大塚宗蔵といって、ご先祖は大和国の人でした。お父さんは樽井何とかさんです。舟越侯って人に仕えてました。あなたは本邸で生まれ、その後理由があって退職して武蔵国の葛西新川に引っ越してきて、ボロ屋敷に住んでました。床も傾いてるような家でしたが、心安らかに暮らしてました。性格は豪快で正直で自分に厳しい人でした。ベテラン農家さんに農業のことを色々取材してました。そんな時、父に言われて大塚さんの養子になりました。あなたは一日中一生懸命働いてましたね。享和年間(1801-'04)に子供の吉豊にこういいました。「この地は40-50㎞くらい非常に土壌が肥沃だから梨の木を植えてみようと思う。自分の使命はこれだとと思うし、昔からやってみたかったことだから、お前も自分のいうことを聞いて力を貸してね」と。こうして梨の苗木僅か10株を買って植えて色々工夫し心を配ってこれを育てました。5-6年後、偶然貝原益軒先生の書いた『農業全書』を読んで育て方や接ぎ木の方法なんかを全部会得しました。そして屋敷の庭を拡張して土を運んで雑草を刈って生垣をめぐらして梨800株を植えました。あなたは言いましたね。「自分は梨の本来の性質に従ってこれを育てている。自分はこの木に対してと人同じように向き合っているんだ」と。土を入れ替えたり、枝を棚に結んだりするのは全部あなたが始めたことでしたよね。1821年秋に始めて梨を幕府に献上して、それ以降毎年梨を献上するよう命令されました。昔から幕府に献上するのは甲斐国からだけだったので、これを甲州梨って言って珍重してました。それが今回あなたが献上した梨は甘くで柔らかくジューシーでその味は天下一品でした。なので新川梨と呼ばれるようになりました。あなたは色々工夫し心を配って苦心惨憺すること20年近くになります。農家の方々に新しい作物を広め、栽培方法を研究し、人の意志を継いで家を立派にしました。その功績は何と偉大なことでしょう。1824年4月10日病気で69歳で亡くなりました。今井村浄興寺に埋葬され、法名は楽誉と言います。吉豊さんは私にこう依頼してきました。1825年4月10日の父の一周忌に梨畑の中に父の仕事を記した石碑を立てようと思います。子孫が朝晩これを見てメリハリをつけながら父の冥福を祈ってくれるといいなあと思っています。いつかあの世で父が喜んでくれるといいなあ」と。なので文章を書いて石碑に刻みました。1825年春に玉川小町が文章を選んで、玉峯田中為則が書いて、孝行息子の吉豊が建てました。

その手を伸ばせば触れられたはずなのにまた消してしまうんだな

 ああ、しんど。久しぶりに白文和訳やるとかなり堪えます。しかもこれかなり間違ってそうだし。大学時代もっと真面目に漢文素読の勉強しとくんだったなあ。

How are you?

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帰って来た今日の一行知識

ふなっしーがゆるきゃらグランプリに初出場した時の順位は506位
後の活躍を知ってると信じられませんね。プロモーションって大事だなあ

*1:WIN5の方がその趣旨にはあってんでしょうが、流石にあんなの当たる気しません

*2:メインだけですが

*3:1/27白富士S(269.2倍)、2/17ダイヤモンドS(126.3倍)、3/2チューリップ賞(19.5倍)とほぼ隔週ペース

*4:買わなかったレースもあるので的中率6.97%回収率965.12%

*5:書き下し:君諱は宗蔵、姓大塚氏。其の先大和の人。父、諱は某、姓は樽井氏、舟越侯に仕える。君本邸に生まれ、其の後、故有り致仕し遂携を去り君武の葛西新川に至り、盧居の貧窶を営む。坎軻の室は懸磬のごとくして、意晏如なり。性は剛直にして己を処するや審度の事なり。老圃に種芸の事を精尤すること長し。居有の間父命を以て大塚氏に出昌す。君朝夕勤辛し以て従事す。享和中其の子吉豊に告げて曰く此の地十四五里の間土肥壌沃なる故、梨樹を移種す。おもえらく、業は往々にして之有り。吾固より之を為さんと欲す。汝乃父に従い以て之に力めよ。是において僅かに梨十株を買い以て之を種え、其の工夫を費やし其の心力を竭くし、之を培植すること此くのごとしてえり。五六年後偶々貝原翁著す所の農業全書を見、種芸の理、接樹の法、培養の術において尽く己に之を獲る。乃ち其の庭苑を広くし壌土を輦び茅筏を刈り枳籬を以て之に周らし梨八百株を種える。君曰く、吾梨の性を率い之を育てる。則ち我が意之に従い嚮う所樹人に喩うがごとし。然るに以て其の土塊之を彼に易え、肄に条之を棚に結ぶは実に皆君に剏める者なり。文政辛巳秋始めて之を取り官府に献ず、又命を蒙り毎秋之を奉献す。古えより献ずる所は惟れ甲州のみ。故に世に称して之を甲州梨と曰い、以て之を珍ずる。今君献ずる所の梨甘脆津潤にして其の味実に天下に冠たり。都下因って新川梨と称すと云々。君工夫を費やし心力を竭くし労形苦神すること殆ど廿年。老圃に業を広め種芸に術を究め以て人の志を継ぎ、以て其の家を興す。嗚乎其の功亦た大ならざるや。文政七年甲申四月十日疾罹り没す。享年六十九歳。今井村浄興寺に葬る。法諡楽誉。吉豊余に属して曰く、己酉四月十日当父一週の忌将に梨園の中に先親の勤労を刻むを以て石を建てんとす。こいねがわくは今子孫朝夕に視ておもえらく韋絃是れ其の追福を修める所以なり。異日神遊に此れ亦た先親を慰めるを以て足らんか。因って文を撰び之を石表に勒す。其の行事に云わく文政己酉春正月玉川小町撰を成す、玉峯田中為則書す、孝子吉豊建てる