脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

矢木沢ダム

巨人・山口俊 選手会との接触は「事実」も抗議については「知らなかった」
何と愚かな・・・って言おうとしましたが、よく考えたら身の回りにも結構いますよね、こういう八方美人やろうとして、全方面のハシゴを外す人って。うっかりそうならないように気を付けましょう。


 夏休み最後の思い出に東京ドームで広島巨人戦を観戦。感想は当該記事で。今年の夏も短かったなあ。

黙って使命果たします三千万人の命ささえて

矢木沢ダム
群馬県利根郡みなかみ町一級河川利根川本川最上流部に位置するダム。独立行政法人水資源機構が管理する堤高131.0mのアーチ式コンクリートダムで、東京都を始めとする首都圏へ上水道を供給する利根川上流ダム群の一つであり、利根川水系最大級の規模を誇る多目的ダムである。ダムによって形成された人造湖奥利根湖と呼ばれる。
 矢木沢ダムは戦前より幾つかの事業主体によって計画され、複数の事業者によるダム予備調査が進められていた。一つは東京市による「東京市上水道計画」。二つ目は1939群馬県による「群馬県利根川河水統制計画」。三つ目は'35当時の東京電燈*1による「奥利根電源開発計画」である。
 このうち、二つ目の「群馬県利根川河水統制計画」と三つ目の「奥利根電源開発計画」は後に一つの計画案として統合される。そして当時としては大規模な揚水発電計画として当時の逓信省が中心となり「尾瀬分水計画・利根川開発案」としてまとまった。これは矢木沢ダムを下部調整池とし、上部調整池として'19より計画された尾瀬原ダムとの間で尾瀬第一・尾瀬第二発電所による認可出力364,000kWの水力発電を行う壮大な計画であった。だが水利権を巡り福島県新潟県との係争が解決せず、「利根川開発案」は'50以降棚上げ状態となる。
 一方で'47カスリーン台風による利根川流域の未曾有の大洪水や、戦後急激に人口が増加した首都圏における水需要のひっ迫に伴い多目的ダムによる治水・利水が急務となった。このため経済安定本部によって'49「利根川改定改修計画」が立案され、その中で藤原ダムと共に利根川本川のダム事業として矢木沢ダムがクローズアップされ、尾瀬分水案から切り離した形で計画されることになった。
 '59〜建設省関東地方建設局*2の手によって計画が進められた。その後'62水資源開発促進法の制定に伴い利根川水系水資源開発公団*3がダム建設等を推進する水資源開発水系となり、「利根川水系水資源開発基本計画」(フルプラン)によって神流川下久保ダムと共に矢木沢ダム建設省より事業の継承を受けた。以後公団によって建設が進められ、'67完成した。(wikipediaより引用)


 丹沢湖奥多摩湖に続いて関東三大ダム湖を制覇せんと奥利根湖を形作る矢木沢ダムが今日の目的地。水上駅からバスと徒歩で片道4時間弱の行程を走破する元気はなかったので、高崎前泊でレンタカーで2時間強のドライブ。辿り着いた先で待っていたのは奥利根の大自然に調和する人類の叡智の結晶の姿。ああやっぱりダムはいい。久しぶりの日本晴れにも恵まれて、湖面を吹き抜ける風をたっぷり堪能致しました。帰りに寄った郊外型新古書店のワゴンで信じられない値付けの本にも出会えて最高の気分でついた帰途。ふとまさぐったポケットで気付いてしまった残酷な現実、鍵落とした。なんでこうきちんとオチが付くかなあ。

幾多の苦労幾多の犠牲ダム湖は語らず澄みわたる

 原付で事故って以来ここ2ヵ月明らかなクスブリモード。事態を悪化させないように大人しくしてようと思います。誤解のないように言っときますが、間違ってもただサボってる訳じゃなんだからね。

帰って来た今日の一行知識

奥利根湖に沈んだ人家は東京電力湯の花温泉保養所1軒のみ
本気でほぼ人跡未踏の地だったんですね。どおりで遠い訳だ。