脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

宮島さんと天切り松と大伴家持について

眞鍋かをりが選挙ポスターへの“勝手使用”に抗議「困惑しています」。 | Narinari.com
何をどう考えればこんな無法がまかり通ると思えるんでしょうか。やっぱり政治家は傲慢だ。

訂正
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51494951.html
眞鍋の所属事務所アヴェラの手落ちでした。どうも間に入ったブローカーが独断(もしくは自分と仲のいい事務所関係者との間だけでの口約束)だけで、正式な許可を取ってなかったってのでFAの模様。皆さん怪しげな口利き屋はくれぐれも信用しないようにしませう。


 強行軍その一。孫のように可愛がってもらっていたお隣さんがお亡くなりになったのが、幸か不幸か二連休の前日だったので急遽帰省。前日夜遅くに大阪に用事があったので、ビジネスホテルという名のホテヘル用ホテルに宿泊して当日数珠も黒ネクタイも準備せずに広島入り。したのはいいのですが、何処のコンビニにもそんなもの置いてなくて、近くのデパートの開店待ってたら見事に遅刻。汗だくで駆け込んだら、丁度焼香時間。額を拭う暇もないまま、頭を下げれば、床に滴り落ちる汗二筋。涙と勘違いしてくれますようにと、不謹慎なこと思ったのは内緒です。
教訓:コンビニに冠婚葬祭セット常備してるのは京都位。

遠く離れたここで待ってる君の戦いが終わるその日まで

宮島さんの神主がおみくじ引いて申すには

宮島さんの神主がおみくじひいて申すには - 脱積読宣言

宮島さん
唄:南一誠*1・嶋田トオル*2、作詞:有馬三恵子*3、作曲:宮崎尚志*4
歌詞はこちら


 これを歌えなきゃ広島人とは認めないシリーズその2。2番で入れられる「ワッショイワッショイ」の合いの手と最後のバンザイ三唱が印象的。カープが得点を挙げた時に歌う応援歌なのですが、劇場型守護神永川大明神の活躍と安定感を欠く投手陣のお蔭で、高らかに歌い上げた直後にあっさり大逆転とか、大差つけられてた状態からのヤケクソの大合唱とか、正直あんまいい思い出がありません。いつの日か、大一番での歴史に残るような劇的なシチュエーションでこれを歌い上げたい物です。

それ行けカープ~広島東洋カープ Stadium Sound Track

それ行けカープ~広島東洋カープ Stadium Sound Track

天切り松

闇の翼ですべてをつつむ夜のためのアリアpt4 - 脱積読宣言

村田松蔵
 明治四十二(1909)年生れ。東京市下谷出身。父親*5は呑んだくれの博奕打ち、病弱の母*6は貧乏のどん底で命を落とす。1917父に連れられて抜弁天の安吉*7邸を訪れ、その場で引き取られ一家の部屋住みとなった。江戸の夜盗の華、屋根を切って館に忍び込む「天切り」の技を受け継いだ人物。「天切り松」の二つ名は東郷平八郎*8から贈られた。
 家族の縁に薄く、安吉を親と慕う。天下の目細一家の優しさと心意気は、少年の松蔵を一本芯の通った男に成長させた。それは老いてなお揺るぎない。
 天涯孤独の身の上で、亡くなった姉*9の形見、鬼子母神のお守りを肌身離さず身に付けている。
 藍染の単衣物に股引という職人風の渋い身なりで夜更けの留置場にふらりと現れては、大正昭和の帝都に名を馳せた「目細の安吉」一家のいなせな怪盗ぶりを語って聞かせる。留置人も看守もこの松蔵翁の語りに夢中である。(『天切り松読本』より引用)
初登場:『天切り松闇がたり 第一巻 闇の花道』第一夜「闇の花道」一
登場作品:『天切り松闇がたり 第一巻 闇の花道』、『同 第二巻 残侠』、『同 第三巻 初湯千両』、『同 第四巻 昭和侠盗伝』、『初等ヤクザの犯罪学教室』
演:中村勘九郎*10(TVドラマ『天切り松闇がたり』)、久野雅弘*11(同少年時代)、左とん平*12(ミュージカル『天切り松人情闇がたり』)

 浅田次郎氏が自作の「長兄」と位置づける力作『天切り松闇がたり』の語り部兼主役。なのですが、過去編は見習いの小僧、現代編は耄碌した爺さまで、正直あんまりかっこいくないです。まあ、目細の安とか振袖おこんとか書生常とか、そして何より師匠の黄不動の栄治がかっこよすぎるので仕方ないといえばしょうがないんですが。松蔵主役の話は不思議と人情話や恋愛話に流れてしまうのでどうも好きになれません。やっぱし『天切り松闇がたり』の真髄はぶっちぎりのピカレスクにこそあるんじゃないでしょうか。
 また、現代編では色々かっこつけた含蓄の深い名台詞を発してはいるのですが、どうも時代錯誤の説教爺の繰り言風で何とも好きになれません。個人的には『天切り松闇がたり』シリーズの彼より、『初等ヤクザの犯罪学教室』にゲスト出演した時の枯れた感じの彼の方が好きです。ラストシーンでの彼の独白*13は幾ら技を極めても、その技術を発揮する舞台自体が容易く消滅してしまう職人の悲哀が現れた最高の名台詞ではないでしょうか。

天切り松 闇がたり 1 闇の花道 (集英社文庫)

天切り松 闇がたり 1 闇の花道 (集英社文庫)

大伴家持

心よ原始に戻れ - 脱積読宣言

大伴家持
 ?〜延暦四(785)年。奈良時代の官僚・万葉歌人大伴安麻呂*14の孫、大伴旅人*15の子、書持*16の兄、永主*17の父。
 738頃から'44にかけて内舎人。'44頃安積皇子*18に供奉か。安積皇子の死去に際し、長短の4首を歌い、皇子を「わが王」と呼ぶ。'45従五位下に叙せられ、'46越中守となり、'51まで越中守。この間、大伴池主*19と交流、贈答歌その他多くの歌を歌う。'51少納言、のち兵部少輔。この間、防人に関する歌が有名。また'56に有名な「旅に喩す歌」がある。'57兵部大輔続いて右中弁、因幡守に転ずる。藤原仲麻呂*20時代に藤原良継*21・佐伯今毛人*22石上宅嗣*23らと仲麻呂を除こうとして失敗したが、良継一人責任を取り罪を免れた。仲麻呂の乱以後、大宰少弐、民部少輔、左中弁、中務大輔そして外官に転じ、相模守、上総守(兼左京大夫)を経て、衛門督のあと伊勢守となる。'80参議、右大弁、'81右京大夫、春宮大夫に次いで左大弁に任じ、従三位に進む。'81母の喪に服している。'82氷上川継*24の謀反に関連し、坂上苅田麻呂*25らと共に解任され京外に移された。しかし、'82赦され春宮大夫に復職、時に参議従三位。更に陸奥按察使鎮守将軍を兼ね、'83中納言に進む。'84持節征東将軍に任じられ'85没した。ところが、死後20余日に藤原種継*26暗殺事件に関連していたということで除名、息子の永主は配流、越前国加賀百余町は没官となる。806ようやく従三位に復した。家持の生没年には2説あり、『大伴系図』は68歳、『伴氏系図』は57歳没とする。『公卿補任』は「宝亀一一年」条で729生まれとしており、57歳没、「天応元年」条では64歳とあり、それに従うと68歳没で718生まれとなる。『万葉集』に479首を残し、その編纂関係者と見做されている。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

 
 「海ゆかば」とか防人の歌などで歌人とて著明な大伴家持ですが、官僚としても有能で、アンチ藤原の大伴氏の血が騒ぐのか様々な反藤原氏の陰謀に参画し何度も失脚しつつも再起を果たしています。因みに選者を務めた万葉集でも藤原氏の入集は少なく、藤原氏嫌いが見て取れます。

 てな訳で、今回は大伴家持の関わった反藤原氏陰謀の数々を紹介してみたいと思います。
 まず最初は藤原仲麻呂暗殺未遂事件。藤原良嗣・石上宅嗣・佐伯今毛人らとともに、光明皇后の寵により朝政を壟断していた藤原仲麻呂を除こうとしますが、敢え無く露見。藤原良嗣の一人の罪でおさまりますが、家持も薩摩守に左遷。
 仲麻呂失脚に伴い中央政界に復帰しますが、藤原永手・良嗣らの天智系の白壁王擁立には加われず、それをよしとしない天武系の氷上川継の乱連座し、都を追放。
 嫌疑も晴れ再度中央政界に復帰した彼でしたが、陸奥按察使として地方に再度飛ばされ、そこで病死。しかも、亡後すぐに、藤原種継暗殺事件の首謀者として、罪に問われ、子孫も流罪になり、家持の系譜は絶えました。これにより、大伴氏の敗北は決定的となり、藤原氏のライバルの座は大伴氏から嵯峨源氏に移ってゆくのでした。


孤愁の人 大伴家持 (日本の作家)

孤愁の人 大伴家持 (日本の作家)

届け願いよ届け何処までも

 幾度の失脚にもめげず、反主流派としてアンチ藤原氏を貫き通した大伴家持、時代の流れに棹差すを良しとせず、旧弊と罵られながらも自身の信ずる侠の道を歩んだ天切り松。一度男に生まれなば、やはり時勢におもねらぬ少数派に憧れます。そう言った意味では、復活の帝王巨人や関西の雄阪神などの主流派名門に挟まれ孤軍奮闘する我らがカープが極一部で熱狂的なファンを獲得できているのも不思議ではないのかもしれません。ただいかに少数派が判官贔屓で人気が出るといっても、自ら敗者の美学に堕していてはどうしようもありません。万年野党の惨めな負け犬根性を脱ぎ捨て、「♪宮島さんの神主がおみくじひいて〜」と声高らかに歌えるようになって欲しいものです。

azure

azure

帰ってきた今日の一行知識

宮島の鹿の出自は奈良
GHQ占領時にスポーツハンテングで一旦絶滅したのを、奈良から移植したのが、今の鹿たちとのこと。そうか、あのいけ図々しさはやはり関西仕込みか。

*1:代表作:「それ行けカープ〜若き鯉たち〜」、「青春のポケット」、「青春天国」(作詞)他。

*2:代表作:「それ行けカープ〜若き鯉たち〜」他。

*3:代表作:「それ行けカープ〜若き鯉たち〜」「17歳」、「わるい誘惑」他。

*4:代表作:「それ行けカープ〜若き鯉たち〜」・「コカ・コーラの歌」(作曲)、『瞳の中の訪問者』(音楽)他。

*5:村田平蔵。博奕で身を持ち崩し、娘を女郎屋に売り飛ばした挙句、息子を仕立屋銀次の紹介で抜け弁天の安吉一家に託し、放浪の果てに肺病を患い野垂れ死に

*6:関宿藩久世大和守家臣。

*7:杉本。掏摸師。通称:「目細の安」。「中抜き」の妙技を駆使しし、童歌に歌われるほどの圧倒的な人気と知名度を誇る。そのカリスマは組織経営にも及び、仕立屋銀次が入獄した際には、古手の親分衆を差置き後事を託される。その際に見せた統率力と対官宥和の穏健路線を見込まれ、銀次押籠による一家の後継に推されるも、「親子」の情断ち難く出奔独立。見習いの松蔵を入れても六人の小所帯ながらも、大正〜昭和初期の帝都に雷名を轟かせた。

*8:第8代海軍軍令部長。侯爵。海軍元帥。父実友、母(堀)益子。数々の武勲により海軍にて累進し、日露戦争の戦功によりその名声は揺るぎないものとなり、山本権兵衛と共に大正期の海軍を牛耳った。

*9:村田さよ。角海老太夫。父平蔵。源氏名:白縫。父に女郎屋に売られ苦界に落ちるも、その美貌により吉原随一の売れっ子華魁になる。弟松蔵の頼みを受けた説教寅に身受けされたものの、時既遅くスペイン風邪にて病死。

*10:中村勘三郎(十八代目)。代表作:大石内蔵助(『元禄繚乱』)(俳優)、大星由良之助(「仮名手本忠臣蔵」)・法界坊(「隅田川続俤」)(歌舞伎)他。

*11:舞夢プロ所属。代表作:妹尾肇(『少年H』)、森和人(『フルスイング』)、北村紀夫(『オカン』)他。

*12:しまだプロダクション所属。代表作:高倉浅太郎(『時間ですよ』)、竜巻太郎(『非常のライセンス』)、タメさん(『寺内貫太郎一家』)他。

*13:「こないだデパートの屋上から町を見下ろしてな。瓦屋根の屋根の一軒もねえのに驚いた。なんだかむしょうに寂しくなって、じっと何時間もコンクリの町を見ていたよ。(中略)おめえにも、いつかこんな日が来るぞ。おめえの知恵や腕が、どうにも使い用ののなくなる時代がよ。手形や小切手のなくなる時代がよ―そのときまで、まあせいぜい悔いのねえ仕事をしておくこった。なあ、浅」

*14:大納言。正三位。父長徳。壬申の乱にて大海人皇子側に付き倭京制圧などで活躍。その功により戦後累進。

*15:大納言。従二位。父安麻呂、母巨勢郎女。隼人の反乱鎮圧などに貢献。歌人としても著明で、酒を愛しそれを歌った歌を多く残す。

*16:右衛門大尉。従五位下。父旅人、母丹比郎女。歌人として著明で万葉集に数首を残す。

*17:父家持が藤原種継暗殺事件に関与した罪により流罪

*18:聖武天皇、母県犬養広刀自。聖武天皇唯一の男子として後継者に擬せられるも、藤原氏の容喙により立太子ならず夭逝。藤原仲麻呂による毒殺説も。

*19:式部少丞。父祖父麻呂。歌人として著明で万葉集にも多数入集。藤原仲麻呂排斥運動に参画するも、発覚し獄中死。

*20:恵美押勝太政大臣正一位。父武智麻呂、母安倍貞媛 。光明皇后の寵愛を一身に受け、異例の累進を果たし、淳仁天皇を傀儡として朝政を壟断。光明皇后死後は、孝謙天皇に引き立てられた道鏡の躍進に焦り、反乱を起こすも鎮圧処刑。

*21:内大臣。従二位。父宇合、母石川国咸大刀自。旧名:宿奈麻呂。仲麻呂排斥運動に参加し失脚するも、恵美押勝の変で雪辱復権。白壁王擁立に活躍し、平安朝最初期に権勢を揮う。

*22:参議。正三位。父人足。東大寺西大寺長岡京などの造営に活躍。

*23:大納言。正三位。父乙麻呂。白壁王擁立に活躍するも、藤原氏にその名声を憎まれ、大臣職には届かぬまま没。文人としても高名で、日本初の公開図書館芸亭を設立。

*24:伊豆守。従五位下。父塩焼王、母不破内親王。彼の資人が宮中に乱入する事件を起こし遠流。後赦され帰郷。

*25:左京大夫従三位。父犬養。子に田村麻呂。恵美押勝の乱鎮圧や道鏡排斥に活躍。

*26:中納言正三位。父清成、母秦朝元女。桓武天皇の寵を受け累進し、長岡京遷都を主導するも、その強権を憎まれ暗殺。