2ちゃんねる実況中継(裏) 郵便局の文例集が面白い
ビバ民営化!
今まで私がずっと一番下っ端だった職場に後輩が出来ました。これで、遣いっパ稼業から卒業・・・できるといいなぁ。
- 作者: 共同通信ペルー特別取材班,石山永一郎,佐々木伸,蒔田隆佳,川北省吾
- 出版社/メーカー: 株式会社共同通信社
- 発売日: 1997/06
- メディア: ハードカバー
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迷い乱れ翔びながら命燃えて散るまで
ペルー日本大使公邸占拠事件
1996.12.17天皇誕生日を祝賀するパーティを開催していたペルーの日本大使公邸が、14人のトゥパク・アマル革命運動(MRTA)に襲撃占拠された事件。'97.1初めまでに300人弱の人質が解放されたが、日本人24人を含む72人の人質が拘束され続けた。事件発生直後に日本政府は、池田行彦*1外務大臣をペルーに派遣し、フジモリ*2大統領に対し、人命尊重を訴えた。'77日本赤軍のハイジャック事件でテロリストの要求に屈した日本は、国際的にはテロに対し弱腰であるとの定評があり、その意味で、日本政府は、今回、人命尊重のみを訴える訳にはいかなかった。しかし、他方、ペルー政府が性急な強攻策を取ることに直ちに合意することも出来ないというジレンマがあった。MRTAの要求を協議する「予備会談」がその後開催されたが、ペルー政府もMRTAも妥協することはなかった。結局、'97.4.22ペルー政府が特殊部隊による電撃作戦を行い、14人のゲリラ全員を射殺すると共に、71人の人質を解放した。人質のうち、この作戦の過程で1人が犠牲となり、また特殊部隊の隊員2人も犠牲となった。日本政府にとっては、テロに屈することなく、日本人人質全員が救出された訳で、極めて幸運な結果となった。橋本*3首相は、この作戦について日本政府に事前連絡のなかったことを遺憾であるとはしたが、フジモリ大統領の決断には称賛を惜しまなかった。(『imidas1998』より引用)
共同通信社出版のペルー人質事件の顛末記。マスコミの無責任な対応に対する無批判な自己弁護が非常に腹立たしいですが、現地の雰囲気をよく伝える「従軍記」として楽しく読めます。関係者の殆どが死去若しくは失脚した今更何の意味あるのだろうなんて、即物的な感想さえ持たなければ時間潰しに最適です。今も変わらぬマスコミのダブルスタンダードと、失われた十年真っ只中の日本政府の腐れぶり、日系人の英雄フジモリの果断にして的確なリーダーシップが堪能できます。
微笑みの鎧をまとって前に進もう
この当時の日本政府の日和見主義というか、当事者能力のなさには今更ながらに愕然とさせられます。日本にうかつに情報を漏らさなかったペルー政府の識見には感謝するしかありません。よくこの体たらくで国がもったモンです。この事件を教訓に、統一見解を持たぬ弱腰の指導者層を戴くことの恐ろしさを学べたのだとしたら高い代償ではなかったといえるでしょう。もう安倍とか前原とかの理想だけ高いお坊ちゃまを担ぐのはうんざりです。そう考えるとやはり小泉ってのは偉大だったんだなーと。