脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

脳力検定と強行指名と吉野院について

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こういう知的でエスプリの効いたスパムなら受け取りたいなー。


 最後の政治日誌
 結果報告。去る4/8投票の京都市会議員選に立候補した我等がしまうち研は、皆様の応援空しく2770票獲得の十一席にて落選*1。しかも同じ民主党から立候補した大ベテランと共倒れという最悪の結果に終ってしまいました。最下位当選との差が約1000票の大差かつ「泡沫候補」の中では主席、とあるべき位置に終った感があり、正直いい引き際だと思うのですが、本人は親不孝にもあきらめる気は毛頭無く、4年後に向けて早くも動き出しています。京都市左京区在住の方は、彼を見つけたら指差して笑ってやってください。

そこに行けば どんな夢でもかなうというよ

脳力検定

STAND UP TO THE VICTORY〜トゥ・ザ・ビクトリィー〜 - 脱積読宣言

脳トレ(脳力トレーニング)
 次世代ゲーム機戦争の結果、ゲーム自体が複雑になりすぎ、それがゲーム離れを起こしていることは一面の真実である。任天堂はそうしたテクノロジー競争の次元とは別にゲームボーイ以来の携帯ゲームにも力を入れ、2004.12に発売したニンテンドーDSシリーズが国内で2000万台を超える販売台数を記録している。中でも100万本以上の売上を記録した人気ソフトが『脳を鍛える大人のDSトレーニング』。脳科学の専門家の監修で開発され、簡単な計算などを繰り返す事で脳を鍛えるという実用的コンセプトで、老若男女に幅広く受け入れられている。近年の「ゲーム脳」や「脳内汚染」など、ゲームの悪影響を強調する言説への反論ともなっている。(『知恵蔵 2007』より引用)


 自慢じゃないけど、と前置きされた自慢ほど嫌らしいものはないと強く思う今日この頃です。
 閑話休題。自慢じゃありませんが私お勉強できない割りに、この類のIQテストだの脳力検定だのには滅法強く、脳年齢17歳なんていう無茶苦茶な数字を出して悦に入ったりしています。なおどうでもいいのですがこないだの健康診断で体の年齢は40歳とリアルな数字を出されてえらくへこんだのは内緒です。

「脳力」を鍛える大人の漢字トレーニング

「脳力」を鍛える大人の漢字トレーニング

強行指名

真赤な誓い - 脱積読宣言

強行
1、押し切って行う。無理に行う
2、努力して行う。
(『大漢語林』より引用)

指名
 誰と、その人の名を指すこと。名指し。(『大漢語林』より引用)

 現在野球界は東京ガス木村雄太君への裏金問題で持ちきりですが、去年のドラフトはこの騒動を予感させるような、「本人が可哀相」の言に欠片の説得力も無い怒り方と落着後の満面の笑みとで監督の醜悪さが際立った八重山商工大嶺祐太(指名:ロッテ、本命:ソフトバンク)、巨人ブランド健在を示した日大の長野久義(指名:日本ハム、本命:巨人)と逸材揃いの強行指名祭りでした。
 個人的な意見としては、裏金は出す方より貰う方に問題があるのではないかと思います。特に各学校の野球部監督。本人がバンスに目を眩まして苦界に身を沈めるのは自己責任ですが、上意下達の縦社会の専制君主が自分の利益の為に我が子を売る程下劣なことはないのではないでしょうか。体育教師は人間の屑の汚名を早く返上出来るように頑張って欲しいものです。
 

後醍醐+院号

ヒカリ - 脱積読宣言

後醍醐天皇
 正応元(1288)〜延元元(1339)年。後宇多天皇*2の第2皇子。1318即位。後宇多院政を廃して親政を行い、人材を登用し、朝廷政治刷新を試みると共に討幕を計画。しかし'24六波羅探題に密議が漏れて失敗した。この後も討幕の策を巡らし、'31.4討幕計画を知った幕府は関係者を逮捕した為、'31.8京都を脱出したが捕らえられ、'32.3隠岐流罪となった。だが、諸国の反幕府の動きは止まらず、この状況を見て'33.閏2隠岐を脱出。足利高氏*3の寝返りにより、'33.5六波羅が落ち、鎌倉幕府も東国武士によって倒されると、'33.6.5京都に帰り、建武政権を樹立した。天皇専制を理想として、土地の領有の確認は全て天皇が行い、政府機関の人事を前例や家柄を無視して遂行(建武新政)。このように政策には、恩賞の不公平さも加わって、武士だけでなく貴族も反発し、新政権は僅か3年で解体。叛旗を翻した尊氏に逐われて吉野に走り、そこを拠点としたが、頽勢挽回を見ずに、吉野で死去。『建武年中行事』等の著作がある。(『岩波日本史辞典』より引用)

院号
1冷泉院*4など、譲位後の居所に因んだ太上天皇の呼称が死没後の追号となったもの。のち崇徳*5・順徳*6などの諡号にも院を付し、院号天皇追号として一般化した。村上天皇*7安徳天皇*8後醍醐天皇等の例外を除き、宇多院*9から幕末の天皇諡号復活(光格天皇*10 )以前の後桃園院*11まで続いた。太上天皇院号からは、出家した皇太后藤原詮子一条天皇の生母)の東三条院など女院号が派生し、生前・没後を通じての呼称となった。また後一条天皇*12の皇太子敦明親王*13は、その実父である三条太上天皇*14の死後皇太子位を辞退し、小一条院と号された。
2、摂関以下の貴族や将軍などに寺院名で付けられた呼称。摂政藤原兼家*15の法興院、太政大臣藤原師長*16の妙音院、将軍足利尊氏等持院など。のち庶民にも戒名に院の字を付ける風習が広まった。
(『岩波日本史辞典』より引用)

 後醍醐帝は天皇親政の復活を終生の政治課題とし、生前から「後醍醐」と自称*17した変わりもの*18で、遺勅で追号を後醍醐という諡号を指定して死んでいきました。そんな彼にも一応院号*19はあり、吉野院がそれに当たります。これは尊氏との和睦破れ、建武三(1336)年12月21日に神器と共に京都を出奔した後醍醐が流れ着き、「南朝」の樹立を宣言した地、吉野に因むものです。
 天皇権威の再興を志向した倣岸なプライドの塊のような男が晩年は、自身の理想の具現たる「後醍醐」の名でなく、天皇権威落魄の象徴たる「吉野」の名で呼ばれるのはいかばかりの屈辱だったでしょうか。同情に耐えません。

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何処かにあるユートピア どうしたら行けるのだろう

 モラルハザード!道徳崩壊!!ニュースを見れば壊れかけのラジオか芸の無い九官鳥の如くに繰り返されるこの言辞ですが、私には昨今の風潮は儒教道徳やキリスト教倫理の借り物の戒律の支配の影響力低下により、日本人本来の姿が露出しているだけのことに思えてなりません。定職につかない若者も脳力検定に熱中する熟年も、いかにも怠惰で勤勉な日本人の典型ではありませんか。「美しい日本」なんていうありもしない幻想に惑わされ、後醍醐のような見当外れの復古もどきの政治家を日本の舵取りに強行指名してしまう愚をこそ忌むべきだと私は考えます。似合いもしない外国のお仕着せの思想に頼らずとも、日本には日本独特のやり方があるはずです。それを示す為にも、天皇家に於ける院政とそれに伴う院号の復活は一考に価するのではないでしょうか。世界にも類を見ない権威権力の多重構造こそが日本史ひいては日本文化の本質だと私は考えます。


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*1:定数9に15人立候補

*2:第91代天皇。諱は世仁。父亀山天皇、母京極院。通称「大覚寺殿」

*3:尊氏。室町初代将軍。権大納言。父足利貞氏、母上杉清子。

*4:第63代天皇。諱は憲仁。父村上天皇、母藤原安子。通称「物狂いの帝」

*5:第75代天皇。諱は顕仁。父鳥羽天皇、母待賢門院。後白河天皇の同母兄。保元の乱の首謀者。通称「讃岐院」

*6:第84代天皇。諱は守成。父後鳥羽天皇、母修明門院。通称「佐渡院」

*7:第62代天皇。諱は成明。父醍醐天皇、母藤原穏子。「天暦の治」

*8:第81代天皇。諱は言仁。父高倉天皇、母建礼門院壇ノ浦の戦いで入水。

*9:第59代天皇。諱は定省。父光孝天皇、母班子女王、「寛平の治」

*10:第119代天皇。諱は兼仁。父閑院宮典仁、母岩室磐代。養父後桃園天皇

*11:第118代天皇。諱は英仁。父桃園天皇、母恭礼門院。

*12:第68代天皇。諱は敦成。父一条天皇、母上東門院。摂関政治最盛期の天皇

*13:式部卿。母藤原渚n子。

*14:第67代天皇。諱は居貞。父冷泉天皇、母藤原超子。

*15:父師輔、母藤原盛子。道長の父。

*16:藤原頼長、母源信雅女、養父藤原忠実後白河院の側近。

*17:インスパイヤ元は、摂関期直前の天皇権力絶頂期たる「延喜の治」を実現した醍醐天皇

*18:他に生前から「諡号」を持っていたのは、「宝字称徳孝謙女帝」を名乗った称徳天皇と、父後醍醐に強制された後村上などがいます。

*19:追号諡号院号の違いはここ