脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『最後の元老 西園寺公望 (下)』

http://ranking.goo.ne.jp/ranking/017/problem_manhouse/
当てはまるのは6・8・16・17・22。意外と少ないな。頑張ればモテルのカナ。


 きょおのせえぢ日記。
 夜繁華街を歩いてたら、ピンサロの呼び込みに「お父さん」って呼び掛けられた。誰が、寄って、やるもんか。

西園寺公望―最後の元老 (下巻) (新潮文庫)

西園寺公望―最後の元老 (下巻) (新潮文庫)

何を怖がってるの? 自分に問いかけてみる

西園寺公望
 嘉永二(1849)〜昭和十五(1940)年。公家出身の政治家。最後の元老。京都生まれ。徳大寺公純*1の次男で西園寺家養子となる。戊辰戦争では会津を攻略。木戸孝允*2らと交流を深め、邸内に家塾立命館を創設。フランス留学中、パリ・コミューン事件に遭遇、帰国後、中江兆民*3らと「東洋自由新聞」を創刊。のち文相、枢密院議員を歴任し、伊藤博文*4の後継者として立憲政友会総裁となる。1906第1次西園寺内閣を組織、鉄道国有化など日露戦争後の政情に対応。桂太郎*5と交互に組閣し、〈桂園時代〉と呼ばれたが、第2次内閣で2個師団増設問題が起り陸軍と対立して退陣、元老となる。【ここから下巻】’19パリ講和会議全権を務め、牧野伸顕*6と共に対米英協調路線をとり、近衛文麿*7ら革新貴族と見解を異にした。翌年公爵。昭和天皇*8の摂政時代から後継首相の奏薦にあたり、ロンドン軍縮問題後は米英との乖離を危惧、牧野内大臣や一木喜徳郎*9宮内大臣らと共に軍部や右翼の冒険主義に対抗。しかし満州事変や五・一五事件など、相次ぐ謀略やテロにより政党内閣の慣行を維持しえず、高齢を理由に任を辞した。陶庵と号し、興津坐漁荘に引退。国葬。(『岩波日本史辞典』より引用。【】内は管理人追記。)


 元老に就任し、いよいよこれから!のはずのご老公ですが、貴族政治家の悪癖たるやる気と野心のなさを露呈して、暫くの間は山県・井上・松方らの陰に隠れて、表立った目覚しい活躍はしてくれません。結局彼が元老らしいフィクサー的活動に本腰を入れていたのは、松方正義の死により「最後の元老」となった加藤護憲内閣成立から二・二六事件による岡田内閣倒壊後の近衛文麿擁立失敗までの僅か十年弱のいわゆる「憲政の常道」期のみです。その間の、自身の後継者と見込んだ近衛のために老骨に鞭を打ち、好きでもない権謀術策を用いて日本を支えたのに「最愛の恋人」にこっぴどくふられて全てが嫌になるまでの道程は死にそびれた老人の悲哀を痛感させてくれます。
 
と言う訳で、本巻は「西園寺公望伝」というより、日本大正〜昭和初期の政治史といった趣になっています。人間西園寺に興味のある人や彼を崇拝する立命生には物足りないかもしれませんが、学校教育でもブランクに陥りがちな大正デモクラシー期の政治動向の教科書には丁度いいんでないでしょうか。二段組かつ寄り道しまくりで本筋を見失いがちの「しんどい」文章と格闘する価値のある本だと思います。

宇宙が手を広げ 君もおいでよと手招いた

 田中角栄野中広務青木幹雄森喜朗小沢一郎と最近の元老政治家というと碌な名前が浮かびませんが、元老政治という二重権力構造自体は院政と同じで日本の風土によくマッチしたいい体制だと思います。逆説的に言えば、元老という抑えがいればこそ、前線の首相は安心して思い切った改革を実行できるという側面もあるのではないでしょうか。
 勿論それは全てがいい方向にいったればこその理想形に過ぎません。現状では、元老の牛耳る現代政界は小泉並のタレントでなければ身動きのとれない、非常に硬直したものになってしまっているのではないでしょうか。社会の「進歩」の速度が速まり、無駄に寿命の延びたこの時代においては、老害の跳梁が亡国の二文字を感じさせるものになりつつあります。と言う訳で、引退しろなんて非情なことは言いません、身に覚えのある方はさっさと死んでくださいまし。

God Speed

God Speed

*1:国事御用掛。右大臣。父鷹司政通、母権大納言輝久女、養父徳大寺実堅。

*2:内閣顧問。父和田昌景、養父桂九郎兵衛。旧名:桂小五郎維新の三傑が一。通称「逃げの小五郎」

*3:篤介。弟子に幸徳秋水。通称「東洋のルソー」。代表作:『民約訳解』(訳)他。

*4:第1・5・7・10代首相。公爵。父林十蔵、養父伊藤直右衛門。通称「和製ビスマルク

*5:清澄。第11・13・15代首相。陸軍大将・公爵。父信繁。通称「ニコポン宰相」

*6:内大臣。伯爵。父大久保利通、母満寿子、養父牧野吉之丞。

*7:第34・38・39代首相。公爵。父篤麿。宮中の京大トリオの一。孫に細川護煕

*8:第124代天皇。諱は裕仁。父大正天皇、母貞明皇后。通称「摂政宮」

*9:枢密院議長。男爵。父岡田良一郎。弟子に美濃部達吉