脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『中世の罪と罰』

YouTube
棒読みはともかく、せめて口パクあわせろよ

 久しぶり、ってゆうかほぼ2週間ぶりの通常更新。復帰記念に今日はホームグラウンドで勝負してみたいと思います。当ブログのエントリーからは想像できないでしょうが、私奴、実は日本中世史が専門だったりなんかします。さあ、こんなにハードル上げて大丈夫か自分?玉砕したら指差して笑ってやってください。

中世の罪と罰

中世の罪と罰

殺意がたなびくなら 愛は有罪なのに

 中世史を志すものならば、一度や二度は泣かされたことがあるであろう実力派の研究者による中世における罪と罰の考察。現在とは似ても似つかぬ罪と罰の観念。しかし、それこそが我々の深層心理にわだかまる名状しがたき伝統の正体なのかもしれない。

 普段ならひとしきりくさしてから、各論に入るのですが、今回は畏れ多いので、さっさと本論に入りたいと思います。流石にこの面子に文章下手糞だの、論旨が撚れてて分かりにくいだの、テーマが散漫だのいう度胸はありません。

「お前の母さん・・・」  笠松宏至

 中世日本では「おやまき」「ははまき」「母開」*1等の悪口が飛び交っていた。これは、古代日本の氏族タブーの系譜を受け継いだ悪口である。

 これらの「Mother Fucker」系の悪口が「お前の母ちゃん出ベソ」の先祖ではないかと推測しておられます。何処をどうやって薄めたらこんなに穏やかな悪口が誕生するのでしょうか。研究の価値はありそうです。

家を焼く   勝俣鎮夫

 罪人を追放するに際し、家だけでなく、犯人が逃走中に立ち寄った家も破却し、焼き払われた。これは罪が穢れとみなされていたからである。

 中世において、「罪」に対応するのは、「罰」ではなく「祓」である。という考察はしっくりきます。罪を憎んで人を憎まずの思想の源泉でしょうか。

「ミ々ヲキリ、ハナヲソグ」   勝俣鎮夫

 「耳切り」「鼻削ぎ」の罰は罪という穢れを背負ったものを、常人と区別するために行われた。

 「異形」の思想ですね。中国でいう刺青の代わりに行われたのでしょうが、日本の技術が遅れていたことが良く見て取れます。

死骸敵対   勝俣鎮夫

 死骸には故人の遺志が宿っている。

 死者の死後の様態は、死骸の状態に左右されるという考えは面白いですね。

都市鎌倉   石井進

 人工都市鎌倉は道に飢者や人や牛馬の死体の転がる猥雑な町だった。

 都市計画の下手さは先祖譲りのようで。

盗み   笠松宏至

 中央政府は撫民政策の一環として、窃盗は軽罪に分類しようとしたが、在地では依然として、額の大小に関わらず、死罪もしくは追放に値する重罪であり続けた。

 日本人の厳罰志向は遥か以前からの伝統のようで。

夜討ち   笠松宏至

 夜と昼では別の倫理常識が用いられた。

 田舎では夜に外を出歩くことが忌み嫌われていたようです。現代の農家の人が早寝早起きなのもここらに源泉を求められるかもしれませんね。

博奕   網野善彦

賭博 1 (ものと人間の文化史 40-1)

賭博 1 (ものと人間の文化史 40-1)

参照

 今度読みます

未進と身代   網野善彦

 年貢の未進をその身で購う債務奴隷が多く存在した。

 借金返済はソープかタコ部屋の伝統がこんな昔にも

身曳きと”いましめ”   石井進

 公家系の荘園の刑罰は追放が主で、武家系の地頭の刑罰は拘禁やそれを発展させた刑罰奴隷が主。
 
 罪が人の力では償えない「穢れ」から、償い弁済すべき「債務」へと変化して行く過程が良く分かりますね。

幾度 嘘をつけば地獄に落ちられる

 ほら酷い出来。どの論考もいかにも国史らしい迂遠かつ慎重な議論がなされており、真面目にまとめると一本論文が出来そうな重厚な内容なので、上の要約は非常に乱暴かつ恣意的なものとなっております。ご勘弁ください。
しかし、この文章読んでいると、ろくでもない思い出が色々フラッシュバックしてくるのですが、これはPTSDと認めてもらえるのでしょうか。医者及び法律家の方々お教えください。

 鎌倉以前は現在日本と文化的連続は乏しい。とはよくいわれることですが、日本人の原点は確実に中世前期の混沌とした社会こそ存在するのではないのでしょうか。西洋的文法では決して理解できぬ暗渠。中世の魅力は其処にこそあると私は信じます。
 

今日の一行知識

中世において、一人歩きの女性は襲っても無罪だった
あまり他所様の事笑えません。とは言え、治安が良すぎるのも考え物ですね。送り狼がやりにくいったらありゃしない。

有罪

有罪

*1:「まき」は「枕き」と書き、「開」と共に、SEXを表す。