脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

腐食の王とゲルピンちん太ぽん太と石橋山の戦いについて

【訃報】アニソン歌手の水木一郎さん(74)死去 7月に肺がんで闘病・・・ | やらおん!
また一つ時代が・・・。スパロボヲタとして心より哀悼の意を評させていただきます。


 第5回マリカにじさんじ杯予選を視聴。個別枠視聴したライバー全員予選落ち*1という疫病神っぷりでしたが、とても楽しめました。スーファミ版や64版やりまくってた日々を懐かしく思い出します。正月休みに向けて『マリオカート8DX』買おうかなあ

深い此の涅の底で腐乱せし尊厳

讌+陰陽


さかもり。うたげ。酒宴。また、さかもりをする。
②語り合う。集まって語り合う。くつろぐ。
(『大漢語林』より引用)

陰陽座
 日本のヘヴィメタルバンド。1999大阪で、瞬火*2・黒猫*3招鬼*4狩姦*5によって結成された。「妖怪ヘヴィメタル」をキャッチフレーズとしており、ジューダス・プリーストなどの王道的ヘヴィメタルに影響を受けた洋のサウンドに、古雅な日本語・伊予弁による歌詞、妖怪をメインとした和の世界観を融合させた独特の音楽性を特徴とする。
1999.6.20大阪 西九条BRAND NEWにて初ライヴ『降臨』決行。2001.12.16メジャー・デビュー。マキシシングル『月に叢雲花に風』を発売。'02アイアン・メイデンのトリビュートアルバム(日本盤のみ)に、唯一の日本人アーティストとして参加した。'03ジューダス・プリーストのトリビュートアルバムにも参加(同作でも唯一の日本勢)。'04.5.29ロックバンドとしては世界初となる能楽堂(東京・銕仙会能楽研修所)での公演を行う。'04.9.23リリースの『組曲義経」〜悪忌判官』でも世界初能楽堂の舞台においてプロモーションビデオを撮影した。'04.9-12四十二都道府県を巡るツアーを敢行。'05.9下旬-10初旬にかけて初めてのヨーロッパツアーを実施。'06.2.25初となるホールライブ『珠玉の宴』を中野サンプラザにて決行。'06.5下旬-11下旬の約半年をかけて、ヨーロッパ2箇所を含む全都道府県でのライヴを行なうツアーを実施。途中、黒猫の突発的な病気による公演延期などがあったものの、全公演が完遂された。『魑魅魍魎』('08)、『相剋/慟哭』('09)に於いてそれぞれアルバム、シングル部門で初のウィークリーTOP10入りした。'10.7-10全国ツアー『続・生きることとみつけたり!!』を敢行。宮崎公演にて日本2周目を達成。'12初のホール全国ツアー『絶界の鬼子母神』を敢行。2部構成になっており、第1部ではコンセプトアルバムの組曲(全12曲)をMC一切無しで演奏した。(wikipediaより修整引用)


 「讌」。「宴」の通字で「さかもり」と訓じます。正直初めて見た字ですが、難しい字大好きな陰陽座の歌でも「腐食の王」のラスサビで「潜血に濡れた此の讌(うたげ)の行く先よ」*6とつかわれています。ただ字義からすると上記辞書的説明の②にある通り「打ち解けた雰囲気で語り合う」*7ってニュアンスが強いので、この歌のおどろおどろしい世界観で使うには不似合いではないのかなと。難しい漢字はただ使えばいいってもんじゃないのが厄介ですね。

ゲルピンちん太ぽん太

ゲルピンちん太ぽん太
 北島三郎*8がデビュー前に組んでいたお笑いコンビ。
 サブちゃんは「ぽん太」の方らしい。(はてなキーワードより修整引用)


 われらがサブちゃんが、師匠の船村徹パワハラ親心で、デビュー前に舞台度胸をつけるために結成させられた漫才コンビ名。3日ほどで役立たずの烙印を押されあえなく解散させられた模様ですが、この当時の歌謡曲歌手は話芸に踊りにモノマネにと受けるためなら舞台でなんでもやらなきゃいけなかった風潮がうかがえます。そうかんがえると昨今のアイドル声優VTuberのマルチタレント化は清く正しい先祖帰りなのかもしれませんね。

石橋山の戦い

石橋山の戦
 治承四(1180)年8月に相模国石橋山(小田原市南西部)で平氏方軍勢が源頼朝*9軍を破った戦闘。
 伊豆に挙兵した頼朝は三浦氏と合流するため相模に進出したが、平氏方の大庭景親*10らの軍勢に襲撃され大敗。山中に逃れ、海路安房国に渡り再挙をはかった。(『岩波日本史辞典』より引用)

 『鎌倉殿の13人』でプチブームのきつつある源平合戦期。同作でも取り上げられてた源頼朝の幕府草創の伝説の始まり石橋山の戦いを微力ながら解説してみたいと思います。
 まずは背景。南関東諸国は元々源義朝の勢力圏でしたが、平治の乱での敗死により、平家派の源頼政が伊豆の知行国主となり南関東武家の有力者として君臨してました。その際、割を食ってたのが旧義朝派の大庭・三浦・上総・千葉各氏。一方で頼政派の北条氏・工藤氏は躍進。そのバランスが崩れるのが、以仁王の挙兵。これに呼応した源三位頼政が敗死したことにより、北条氏の命運は一気に風前の灯火に。そして、伊豆国に出張中で難を逃れた頼政の遺児有綱を粛清せんとの平家勢動向の噂が立ちます。その際、北条時政は、庇護していた義朝の遺児頼朝を旗頭に擁立して、旧勢力からの意趣返しを封じ、共通の敵として平家政権を設定したというのが、おおまかな流れではないでしょうか。そう考えると三浦氏の動きが鈍いことや、千葉・上総両氏が源頼朝の房総半島逃亡(=北条氏の影響下からの離脱)を待ってから合流などの理由がわかる気がします。
 時間を戻して、戦端が開かれたのはまず山木館襲撃から。頼政死去後伊豆の目代に新たに任命された山木兼隆が生贄として、源頼朝を盟主とする北条工藤連合軍300騎の血祭りに上げられます。その後、三浦半島を根拠地とする三浦氏との合流を図りますが、現在の藤沢市近辺を根城とする大庭景親率いる3000騎と現在の小田原市にある石橋山で激突。時政の嫡男宗時を失うなどの激戦のむなしく衆寡敵せず潰走。北条時政は甲斐に逃れ甲斐源氏一統と合流。一方、源頼朝梶原景時に見逃され、箱根権現の別当行実に匿われ、奇跡的に安房への逃亡に成功します。その後、旧義朝派の大庭・三浦・上総・千葉各氏を糾合し一大勢力を形成し、鎌倉幕府開闢の道が開かれるのでした。しかし、こうやって見ると、北条時政って頼朝にとって完全に疫病神ですね。よくぞここから得宗専制体制まで持ち込めたもんだと。改めて政子・義時姉弟って偉大だったんですね。
 

不意に立ち塞がる難境も

 北島三郎ゲルピンちん太ぽん太時代に、源頼朝石橋山の戦い時代と、後の英雄も草創期には庇護者の無茶ぶりで大変な目にあってることが多いようで。共に讌席構えるような陰陽隔てない関係であっても、上下関係とはかくも難しいものです。くれぐれもパワハラは慎みましょう。


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たまに帰ってくる一行知識

ゲルピンとは「ゲルトがピンチ」の略

ゲルトとはドイツ語で金の意。デカンショとかもそうですが、昔の若者語はインテリ臭い漂うものが多くてなんとも言えない趣があっていいですね。

*1:B組:レヴィ=エリファ、C組:樋口楓、D組:月ノ美兎、E組:でびでび・でびる、F組:郡道美玲、F組:椎名唯華

*2:陰陽座リーダー。代表作:「甲賀忍法帖」・「愛する者よ、死に候え」・「黒衣の天女」(作詞曲)他。

*3:陰陽座ボーカル。代表作:「蛟龍の巫女」・「陰陽師」(作曲)、「星の宿り」(作詞曲)他。

*4:陰陽座ギター。代表作:「面影」「木葉天狗」「輪入道」(作曲)

*5:陰陽座ギター。代表作:「顎門」「鼓動」「眼指」(作曲)他

*6:上記の通り正訓は「さかもり」ですが、「宴」の通字って用例優先で「うたげ」と訓じてるんでしょう。多分。

*7:「音符の燕は、宴に通じ、うたげの意味。言を付し、うたげの意味や、うたげをして語りあうの意味を顕す」(『大漢語林』)

*8:北島音楽事務所所属。代表作:「まつり」「北の大地」「北の漁場」(歌手)他。主な所有馬:リユウ・キタノライコウ・ヒカルライト。

*9:鎌倉幕府初代将軍。右近衛大将。父義朝、母由良御前。平治の乱での敗北により伊豆に配流。以仁王の令旨に呼応し挙兵。富士川の戦いでの勝利などにより関東に独立勢力を確立。壇ノ浦の戦い平氏を滅ぼすと鎌倉幕府を開闢。奥州合戦奥州藤原氏を滅亡させると、ほぼ日本の統一に成功した。

*10:相模国大庭御厨下司職。父景宗。平治の乱以降平家に接近。以仁王の挙兵や石橋山の戦いで功を挙げるも、頼朝の再起により圧迫され、富士川の戦いを契機に降伏処刑。