痛いニュース(ノ∀`) : 京都の元舞妓「未成年なのに浴びるほど飲酒させられ混浴強要されました」 - ライブドアブログ
「養女だから労働法も風営法も関係ないもん」はパチンコ屋の三店方式並みのコペルニクス的発想の転換だと感心しました。
梅雨の長雨は唾棄するくらいに苦手で「はよ明けろ」って心から願ってましたが、それにしたってこれはやりすぎじゃあありませんかね。
競馬成績・・・R4収支-35600
箱根の山は天下の嶮函谷関もものならず
箱根神社
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根にある神社。旧社格は国幣小社。かつては箱根権現、三所大権現とも称された。
六国史や延喜式神名帳には見えないが、鎌倉時代には『貞永式目』付属の起請文の中で、日本国中の神祇の筆頭にあげられたほど、鎌倉幕府の篤い崇敬と保護を受け、伊豆山神社と共に「二所権現」に指定され、三島大社と併せて「二所詣(三社詣)」が行われるなど、後北条氏の時代まで特に武家たちの信仰を集めた。『筥根山縁起并序』*1によると、古代から箱根山に対する山岳信仰は盛んで特に神山への信仰は篤く、神山を遥拝できる駒ケ岳の山頂を磐境として祭祀が行われていた。特に、孝昭天皇*2の時代に聖占が駒ケ岳において神仙宮を開き開山したのが最初といわれ、神山を神体山として祀ったことが、山岳信仰の隆盛に大きな影響を与えたとされる。駒ケ岳の山頂では現在も10月24日に御神火祭が行われており、古代における神山への祭祀の名残を示しているという。この筥根山縁起の記述からすると、箱根権現は道教(神仙道)の祭式によって祀られたことになるが、事実、別の縁起書によれば、箱根山はもともと泰山府君*3を祀る泰禄山とよばれたことがあるという。また社宝の『箱根権現縁起絵巻』には、天竺斯羅奈国のさだいえ中将*4、その娘の霊鷲御前*5、その婿の波羅奈国の二郎王子*6が日本に来て箱根三所・伊豆二所両権現となったという伝承が掲載されている。この箱根権現が玄利老人によって東福寺となり、それが滅亡しかけたのを、757万巻上人*7が現在地に里宮を再興して僧・俗・女の三体の神を箱根三所権現として祀ったと伝える。この東福寺が別当の金剛王院となって箱根権現をリードしていった。その後、伝承では、万巻上人が人々を苦しめていた芦ノ湖の九頭龍を調伏し、現在の九頭龍神社本宮を建立して、九頭龍を守護神として祀ったとされる。『吾妻鏡』には石橋山の戦いで敗れた源頼朝*8を当社の権現別当行実が助けたとの記事があり、以降、関東の武家の崇敬を受けるようになった。1590豊臣秀吉*9の小田原征伐の際に焼失したが、徳川家康*10が社領200石と社地不入の朱印状を寄せ、社殿を再建した。長らく別当寺の金剛王院東福寺が箱根権現の中核であったが、明治の神仏分離の際に別当は還俗して神職となり、箱根神社に改称した。1928国幣小社に昇格した。'63箱根園から駒ヶ岳山頂まで箱根駒ケ岳ロープウェーが開業した。'64堤康次郎*11の寄進によって駒ヶ岳山頂に箱根元宮が再建された。以来、奥宮として登拝者を集めている。2000九頭龍神社の新宮が箱根神社の境内に建立された*12。(wikipediaより修整引用)
前の職場でよく行ってた箱根神社を再訪。感想は何度も行ったところなのでいい意味でも悪い意味でも代わり映えのしない安心感。宝物館をゆっくり見学出来た結果、『箱根権現縁起絵巻』が実に興味深く、どっかで翻刻されねえかなあとちょっと期待。氷雨のしたしる中*13での探訪だったのもあってかなんだかもの悲しさの先立つなんともセンチな小旅行となりました。
万丈の山千仞の谷前に聳え後方に支ふ
実は平日に行ったの初めてだったんですが、渋滞とは無縁でつづら折りの山道を猛スピードで爆走する箱根登山バスに、気持ちいいくらいに一切空いてない土産物屋や食堂群となかなかレアな体験ができた気がします。あんまり観光地化しすぎるってのも善し悪しですね。
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*2:第5代天皇。諱は観松彦香殖稲。父懿徳天皇、母天豊津媛命。掖上池心宮に遷都するなどの事績が伝わるが、欠史八代の一人として実在を疑問視されている。
*3:東岳大帝。冥界の最高神として人間の寿命や在世での地位を司る。
*4:後妻の継子いじめにより二人の娘が出奔。世をはかなんで出家し放浪の旅にでるもはらない国にて再開。その後日本国に渡り箱根三所権現となった。
*5:父さだいえ中将。義姉りょうざい御前が実母に苛め殺されかけているのを助けたところを、はらない国の王子兄弟に見初められ入内。その後出家して放浪していた父とも再開し日本国に渡り箱根三所権現となった。
*6:はらない国王子。檀特山でりょうざい・りょうしゅ姉妹を助け、りょうしゅ御前と結婚。その後日本国に渡り箱根三所権現となった。
*7:父智仁。万巻の経典を読み、修験道に通じ、鹿島神宮寺や箱根三所権現などを創建した。
*8:鎌倉幕府初代将軍。右近衛大将。父義朝、母由良御前。平治の乱での敗北により伊豆に配流。以仁王の令旨に呼応し挙兵。富士川の戦いでの勝利などにより関東に独立勢力を確立。壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼすと鎌倉幕府を開闢。奥州合戦で奥州藤原氏を滅亡させると、ほぼ日本の統一に成功した。
*9:関白。太政大臣。父木下弥右衛門、母大政所、養父竹阿弥→近衛前久。信長に見出され墨俣築城や美濃衆調略・小谷城攻略などで頭角を顕し、織田四天王の一人として累進。本能寺の変後、山崎の戦い・清洲会議・賤ヶ岳の戦い・小牧長久手の戦いなどを経て信長後継の座を確保。関白に就任し天下人として全国統一に成功。次いで唐入りを目指し文禄慶長の役を起こすも志半ばに病死。
*10:江戸幕府初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母於大の方。旧名:元信→元康。桶狭間の戦いを機に今川家より独立。織田信長との清州同盟を背景に今川義元亡き後の東海道に一大勢力を築く。本能寺の変後、羽柴秀吉と織田政権の後継を争うも、小牧・長久手の戦いにより臣従。豊臣政権では五大老の筆頭として重きを成す。秀吉死後、関ヶ原の戦いで三成を破り徳川幕府を開闢。その後、大坂の役で豊臣氏を滅ぼし江戸250 年の泰平の基礎を築いた。
*11:第44代衆議院議長。勲一等旭日大綬章。父猶次郎、母みを。実業家として軽井沢・箱根・国立の開発に着手し、「ピストル堤」の二つ名を戴く剛腕でのちの西武グループの基礎を築いた。高橋政右衛門の地盤を引き継ぎ政界進出し土地改革などに辣腕を振るうも戦後公職追放。解除後国政復帰し衆議院議長を務めるも女性問題や選挙違反などで悪名を流した。
*12:庚辰の年
*13:当小旅行6/15実施