脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『岩崎小彌太〜三菱を育てた経営理念』

【ポケモンGO】メタモンと経験値2倍で錦糸町駅前が昼も夜も大混雑!! まだまだ人気すぎる | やらおん!
ド平日だった今日の真昼間もえらい人だかりでしたね。なんだかなあ。


 何がどう転ぶか全く未知数の混乱状態が一番落ち着くってのは、我ながら一組織人としてかなりマズイ気が・・・

鋼鉄の強脚は大地を駆け巡り

岩崎小弥太
 明治十七(1879)〜昭和二十(1945)年。大正・昭和期の実業家。岩崎弥之助*1の子、弥太郎*2の甥。ケンブリッジ大学卒業。
 三菱財閥の最後の指導者。1906三菱合資副社長となり、'16岩崎久弥*3にかわって社長となる。敗戦後の財閥解体には、激しい不満をもちながら、死の直前に社長および関係会社の一切の役員を辞任し、財閥解体を発表した。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)


 正直言うと、完全に岩崎弥太郎と思いっきり混同して買った一冊。いきなりケンブリッジ大学がら物語が始まってかなり面喰いました。坂本龍馬後藤象二郎との交友やライバル関係が読みたかったよう。内容は、三菱コンツェルンの第4代総帥のかなり順風満帆なエリート街道のヨイショ交じりの武勇伝。立志伝中の・・・とは程遠いお坊ちゃんなお育ちなので、正直物語としての面白味は皆無。今も受け継がれる三菱の経営理念に感銘を受けようにも、自分公私ともに世話になってるのは三菱より三井系だしなあ。まあ、三菱グループ社員及び入社志望者ならびに下請け各位は是非暗記するまで読み込んでくださいまし。

理想の翼は空を行く

 経営理念の確立と周知共有が組織運営の必須要諦。とはコンサルの皆様方を口をそろえて仰るお題目ですが、個人的にはそこまで必要なものなのかなあとちょっと疑問。抽象的な絵空事金科玉条に捧げ奉って何の意味があるのかしらんと思えてなりません。つーか、んなことばっかり言ってるから、社会人失格なんて言われるんでしょうね、多分。

帰って来た今日の一行知識

三菱鉛筆三菱グループとは何の関係もない
三菱財閥の一員と勘違いされてGHQに潰されかけたり、反戦運動軍需産業関連の非買運動に巻き込まれたりと結構な受難を蒙ってます。三菱系と勘違いされるメリットとデメリット、どちらが大きいんでしょうか。

*1:第2代三菱財閥総帥。男爵。父弥次郎、母(小野)美和。兄弥太郎を輔弼し累進。弥太郎の死後三菱財閥総帥の座を継ぐと、グループの多角化に尽力し、日本郵船会社、三菱合資会社などを設立した。財閥を甥の久弥に譲った後は日銀総裁となった。

*2:岩崎。三菱財閥初代総帥。父弥次郎、母(小野)美和。吉田東洋に重用され、藩の経理方として累進。維新後、土佐の海運業の全権を掌握し、廃藩置県に伴い独立し三菱商会を設立。台湾出兵江華島事件西南の役などに乗じて巨利を得、三菱商会を一大財閥へと成長させた。

*3:三菱財閥第3代総帥。男爵。父弥太郎、母(高芝)喜勢。叔父弥之助と従弟の小弥太との間のリリーフとして三菱財閥総帥に就任。長崎造船所の近代化や丸の内開発に功を挙げた。