脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『吉田茂と復興の選択〜昭和の宰相第4巻』

リアル猫吉原 : にゃんねる
平成のこの御世に未だ苦界の存するは日本の恥。これは何としても国家の管理下に置くべきです。一市一ネコ喫茶運動に是非ご署名を。


 健康診断完了。問題はなかったのですが、腹回りの大増量が非常にショック。真面目に痩せよ。

つらい痛みを我慢してるのも本当は分かってる

吉田茂
 明治十一(1878)〜昭和四十二(1967)年。昭和期の外交官・政治家。旧自由党領袖竹内綱*1の五男。船問屋吉田健*2の養子。東京神田駿河台出身。東京帝国大学政治科卒業。
 外務省に入り、天津・奉天・ロンドン領事館補を歴任。三等書記官としてイタリア駐在後、安東・済南各領事。再びイギリスに赴き、のち天津・奉天総領事、スウェーデン公使を歴任。奉天総領事の時、山東出兵後の東方会議に出席。外務次官、イタリア大使を経て、1936イギリス大使となり'39退官。戦時中は隠退生活を送り、終戦直前、近衛上奏文に絡んで憲兵隊に監禁されたこともある。敗戦後の'45重光葵*3の後をうけて東久邇宮内閣の外相、'45.10幣原内閣にも留任し、連合軍総司令部との折衝を通じてマッカーサー*4・ウィロビー*5ら高官との結びつきを強めた。'46.5鳩山一郎*6公職追放された為自由党総裁に推されて組閣。'46.11憲法改正、農地改革などを実施。他方、労働関係調整法を公布して労働運動の弾圧を図ったが、産別会議指導の十月闘争から'47二・一ゼネストへの労働運動の未曾有の高揚によって動揺し、'47.4総選挙で自由党が敗退した為辞職。'48幣原*7を中心とする同志クラブを吸収して民主自由党を結成、総裁に就任。'47.10昭電疑獄によって総辞職した芦田内閣のあと、第二次吉田内閣を組閣。'49.1総選挙での民自党圧勝を背景に第三次吉田内閣を組閣。'50犬養健*8日本民主党と合流し自由党を創立。'51.9サンフランシスコ講和会議に首席全権委員として出席し、講和条約日米安全保障条約を締結。'50警察予備隊設置、'54MSA協定調印と共に講和後の対米従属的な政治・軍事体制の布石を敷いた。'53所謂「バカヤロー解散」、'54造船疑獄に於ける指揮権発動などで国民の批判が強まり、'54.12総辞職。自由党総裁も緒方竹虎*9に譲って政界を退いたが、没するまで元老的存在として政府・自民党に影響力を持った。(『コンサイス日本人名事典』より引用)


 戦後最高の宰相吉田茂の面目躍如。腰の定まらぬ老貴族も腹の据わらぬ社会主義者も物の数ならぬ大活躍が堪能できます。公職追放の嵐の中ぽっかりと空いた権力の空白で存分にその腕を揮うその姿は一幅の良質のピカレスクロマンを読んでいるような気になります。ただ時代的に全体として対米従属の全面降伏の様相を呈しているので、独立主義者や革命の使徒の方々は読まない方が吉でしょう。

力を貸してくれこの惑星を守るため

 良くも悪くも現代日本の進むべき姿を定めた吉田政権。半世紀が過ぎ去った今もこの時代の様々な必要悪を克服し切れていないのは恥と言うべきでしょう。自衛隊という意味不明瞭な謎の暴力組織に各所に残るアメリカ租界。日本が真の独立を果たすためにはこれらをなんとかすることが喫緊の課題と言えるでしょう。それを考えれば我々は一年前大変早まったことをしてしまったものです、マスコミの希望的観測と一時の感情に踊らされ、引きずり下ろしてしまった安倍前首相。今後我々は彼のような問題から逃げない硬骨の士に出会うことができるのでしょうか。非常に不安です。

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帰ってきた今日の一行知識

吉田茂のトレードマークの葉巻はチャーチルの真似
イギリス狂の彼らしいエピソードですが、一応チャーチルって交戦中の敵国の国家元首だったんすけど。

*1:衆議院議員。父庄右衛門。曾孫に麻生太郎板垣退助門下で、自由党土佐派を率い活躍。

*2:渡辺謙七。洋行で手にした新知識を武器に横浜屈指の富豪に成長。若死にし、養子茂に莫大な遺産を遺す。

*3:鳩山内閣外務大臣。父直愿、母松子。幣原外交を継承し英米協調路線を推進するも、松岡・東条らの妨害により挫折。日本政府全権として降伏文書に署名。A級戦犯として禁固刑に服すも、赦免後打倒吉田を掲げ鳩山に協力。

*4:Douglas McArthur。連合軍最高司令官。陸軍元帥。父アーサー・マッカーサー・ジュニア、母メアリー・ピンクニー・ハーディ・マッカーサー。ウェストポイントを空前絶後の好成績で卒業後、父の築いた「マッカーサー王国」フィリピンを地盤に順当に出世、連合軍最高司令官まで上り詰め、次期大統領に擬せられるも朝鮮戦争遂行方針でトルーマンと対立し失脚。

*5:Charles Andrew Willoughby。GHQ参謀2部部長。陸軍少将。マッカーサーの側近として、占領下日本経営の情報部門を統括。小ヒトラーと揶揄されるほどの反共の情熱で日本の左傾化を抑止。晩年はCIA設立にも関与。

*6:第52-54代内閣総理大臣。正二位大勲位。父和夫、母春子。孫に由紀夫・邦夫。政党人の代表として軍部の抑圧に負けず活動、戦後公職追放に遭うも、解除後自民党初代総裁として組閣。日ソ国交回復を実現。

*7:喜重郎。第44代内閣総理大臣従一位勲一等。国際協調路線の幣原外交を展開するも、陸軍の強行策に押され失敗、引退。戦後公職追放による人材の不足を理由に総理に引っ張り出されるも、憲法改正をめぐるGHQとの対立により辞職。

*8:第四次吉田内閣法務大臣正三位勲一等。父毅。娘に安藤和津白樺派の作家として活躍後、父の後を継いで政界進出。良識派政党人として軍部の横暴に対抗するもゾルゲ事件連座し逮捕。戦後公職追放解除後民主党総裁。吉田茂との提携で入閣も造船疑獄での指揮権発動が祟って失脚。

*9:第四次吉田内閣官房長官。父道平。戦前は朝日新聞社主筆として活躍。戦後は追放解除後吉田茂側近として活躍。吉田失脚後自由党を継承し55年体制確立に尽力。鳩山後の首相に擬せられるも志半ばに病死。