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鳩山代表あんたって人は。
強行軍その2。東京出張。神田に寄る時間と気力と金はなかったので、秋葉原に行ってみました。以下感想箇条書き。
- メイドさんやゴスロリが沢山。ただちょっと明らかに似合ってない人も沢山
- 夏休みとは言え平日の夕方に人多すぎ。休日には絶対近づきたくない
- 実にオープンにエロい
- ベーススメルがすえた汗ってのはひどい
- 選択肢と情報量が多すぎで、予習なしに行くと何もできないまま終わりそうってか終わった
SRW AP進捗
- 作者: 豊田穣
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/10
- メディア: 文庫
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あの優しかった場所は今でも変らずに僕を待ってくれていますか?
鳩山一郎
明治十六(1883)〜昭和三十四(1959)年。大正・昭和期の政治家。鳩山和夫*1の長男。妻:薫*2、長男:威一郎*3。東京市牛込区出身。東京帝国大学英法科卒業。
東京市会議員から、1915衆院議員に当選。政友会に属し、'27田中義一内閣の書記官長。'31犬養内閣、'32斎藤内閣の文相に就任。'33「滝川事件」は権力による大学の自治への干渉として歴史的な意味を持った。'34大蔵省疑獄事件に連座。二・二六事件後、一時政友会総裁候補となったが、辞退して久原房之助*4を担ぎ、政友会分裂の際久原派の中心となった。'42翼賛選挙には非推薦で当選したが、もっぱら軽井沢で隠居生活を送った。敗戦後、自由党結成に参加し初代総裁となり、反共声明などで話題を撒き、'46.5組閣寸前に公職追放となり吉田茂*5に総裁を譲った。'51追放解除直前に脳溢血で倒れ、回復後吉田と対立、鳩山派を形成して、'53分派自由党、'54日本民主党を結成、総裁となり、'54.12首相就任の夢を果たした。鳩山内閣は、吉田内閣が占領下政権としての性格を維持し、対米従属的であったことへの国民の不満を捉えて、憲法改正問題や日ソ国交回復に独自の政策を打ち出し、他方、財界の圧力より保守合同を実現、自民党政権の基盤を作り上げた。'56総辞職し、'58衆院選挙に当選、戦前戦後を通じて当選15回。
『鳩山一郎〜英才の家系』の文庫。文庫化が1996年の民主党結党時。その為、サブタイトルが正式タイトルになり表紙も帯もあたかも鳩山由紀夫が主人公のような下品な装丁に。商売っ気出すのを悪いとは言いませんが、もう少し上手くはやれないもんでしょうか。本編で由紀夫さんは数行程度しかでませんよ。
愚痴はさておき本編。鳩山一郎は自他ともに認めるお坊ちゃんの秀才。なので、自伝としては面白みは殆どなく、鳩山一郎の生きた時代史となっているので、大正〜昭和中期の政治史を学ぶにはいいのではないでしょうか。親軍対中積極派の筆頭久原房次郎を担いだことや統帥権干犯問題とか滝川事件などの「悪事」をほっかむりして、完全無欠の被害者面して、追放は吉田一派の陰謀であるといいつのる姿はかなり腹立ちますが。
なお神輿のご神体になんの面白みもありませんが、彼の脇を固める大野伴睦・三木武吉・河野一郎らの側近連の破天荒な伝記はこれぞ立志伝中の人物というに相応しい華やかさ。特に、鳩山の見せ場たる日ソ共同宣言での河野一郎の暴れっぷりはもう誰が主役かと思わされます。ライバル吉田が徹底的に矮小な悪役として描かれているので吉田ファンにはちと進められませんが、安心の豊田穣ブランドに間違いはございません。政権交代を睨んで、新しいご主人さまにへつらう準備の必要のある方の予習に最適の一冊です。
忘れ去られそうな時代の傷跡も
4年前のような神風の吹く気配もなく上がり目の見えない麻生政権。1ヶ月後には鳩山由紀夫首相の誕生もあながち絵空事ではなくなってきた昨今。最早末期症状を呈してきた日本には政権交代という荒療治が必要なのはよく分かりますが、よくて細川、悪くすれば村山の新政権にこの弱りきった体で耐えることができるでしょうか不安でなりません。願わくば、ご主人さまがアメリカから中国に変っただけというのは勘弁して欲しいものです。
- アーティスト: コブクロ,小渕健太郎
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2005/05/11
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帰ってきた今日の一行知識
「〜子」って名前は元々名家の子女特有の名前
一方、庶民は「ウメ」とか「ミネ」とかが普通。なのでおばあちゃんには戸籍名に「子」をつけたのを通称にしてるひとが結構います。なんだDQNのみなさんは身の程しってらしたんですね。
*1:第6代衆議院議長。正四位勲三等。父博房。外国に遊学し法学博士。代言人として活躍しつつ政界進出。衆議院議長を勤めるなど若くして政界の良心として将来を嘱望されるも志半ばに病死。
*2:共立女子大学学長。父寺田栄、母(多賀)いく、養父鳩山和夫。子に鳩山威一郎・古沢百合子・鳩山玲子・鳩山節子・山中恵子・渡邉信子。
*3:福田赳夫内閣外務大臣。正三位勲一等。父一郎、母薫。東大主席卒業後大蔵省の主計畑を歩み事務次官まで登り詰めたのち、政界進出。当選一回で外務大臣に抜擢されるなど、将来を嘱望されるも、病気がちで結局さしたる功績を残せなかった。
*4:田中義一内閣逓信大臣。「鉱山王」の異名を取る久原財閥の総帥。その財力と人脈を活かし、政界に進出し、親軍的態度を貫き、軍部の中国進出政策を政界からサポート。政党の自滅を招く。
*5:第45・48〜49代内閣総理大臣。従一位大勲位。父竹内綱、母瀧子、養父吉田健三。孫に麻生太郎。親英米派の外交官として各国大使を歴任するも、戦中は東條に睨まれ逼塞。それが幸いして戦後追放を免れ、独裁長期政権を樹立。新米的立場を貫き、ワシントン条約調印に漕ぎ着けるも、そのワンマンが祟り民心を失い下野。