脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

世界が終わるまではと独立不羈の精神と中川一郎について

【速報!】 安倍首相が靖国参拝へ - 政経ch
安倍政権一年の節目としてこれ以上のセレモニーはありません。来年は是非終戦記念日の参拝を。


 祝『第3次スーパーロボット大戦Z 時獄篇』発売決定。これで新年度まで死なない辞めない理由が増えました。4/10発売ってことは異動がなければレセ明け直後か・・・十分引き籠れるな、うん。


SRWOGⅡ進捗

凍りついてく時間をぶち壊したい

スラムダンク+世界が終わるまでは+歌詞

世界が終るまでは… - 脱積読宣言

SLAM DUNK
テレビ朝日系列で1993.10.16-'96.3.23放映。全101話
原作:井上雄彦*1、製作:東映動画、制作:テレビ朝日東映動画
シリーズディレクター:西沢信孝*2、キャラクターデザイン:佐藤正樹*3、音楽:増田隆宣*4・BMF
メインキャスト
桜木花道草尾毅*5流川楓緑川光*6赤木剛憲梁田清之*7赤木晴子平松晶子*8安西光義西村知道*9

世界が終るまでは…
唄:WANDS、作詞:上杉昇*10、作曲:織田哲郎*11、編曲:葉山たけし*12
テレビ朝日系アニメ『SLAM DUNK』2ndエンディング主題歌、東映系劇場アニメ『SLAM DUNK 全国制覇だ!桜木花道』エンディング主題歌。
初出:『世界が終るまでは…』(1994.6.8)
収録盤:『世界が終るまでは…』、『スラムダンク テーマソング集』、『WANDS BEST 〜HISTORICAL BEST ALBUM〜』、『THE BEST OF TV ANIMATION SLAM DUNK 〜Single Collection〜』、『BEST OF BEST 1000 WANDS』、『CLIMAX 90's Fantastic Songs』
歌詞はこちら

歌詞
1.和歌に用いる言葉。歌語。
2.歌謡曲または歌曲・歌劇などの歌の文句。
(『広辞苑 第五版』より引用)

 我々世代のバイブルにも等しきスラムダンクのアニメは土曜午後7時のゴールデンタイムでの放映ともあって、同級生男子内では往時のドラゴンボールZ並みの視聴率を誇っていた記憶があります。そんなスラムダンクの主題歌はビーイング全盛期とかぶってたこともあって見事なタイアップ祭り。どれもこれも非常に爽やかな青春ソングが流れていました。そんな中でもやはり一番「主題歌」の印象が強いのはこの曲。なんですが、今になって歌詞をじっくり見ると、全く世界観にも主題にも合わない全身全霊の大人のラブソング。やっぱりタイアップはいくない

世界が終るまでは・・・

世界が終るまでは・・・

独立不羈+ジャーナリズム史

Justice to Believe - 脱積読宣言

独立不羈
 他から制御されないで自己の所信で事に処すること。また、そのさま。(『日本国語大辞典 第二版』より引用)

ジャーナリズム journalism
 新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどの時事的な関心を主体とするマスコミュニケーションの媒体機関の総称。また、その世界で行われる活動。(『日本国語大辞典 第二版』より引用)

 反権力を存在意義とする報道機関において独立不羈の精神こそが自身のアイデンティティーのコアなのは言うまでもありません。しかしながら、ジャーナリストも霞を食って生きてるわけでもない以上、パトロンの存在もまた必要不可欠、。となれば、当然のごとくにスポンサー様の顔色を窺いながらの広報機関染みてしまうのもまた一面の事実。さらに、これは特に日本のマスコミに顕著ですが、取材源の確保を大義名分に出先機関の御用聞きに堕してしまうのもこれまた日常茶飯事。記者の国外追放で脅された文化大革命時の中共の報道や記者クラブの利権で飼いならされた政治報道など枚挙にいとまがありません。とかくかように、ジャーナリズムの掲げる独立不羈の精神はお題目にすぎないのは一目瞭然なのですが、そのスローガンを貫徹されてしまうと、今度は第四の権力の暴走に直結するんだからこれまた難しいものです。なんにせよ、マスコミのみなさんには過度な期待はしませんので、せめてマスゴミと蔑まれるような前時代的な高圧的かつ偏向的な報道だけは慎んでもらいたいものです。このネット時代いつまでも旧時代の遺物が生き残れるほど甘くはありませんよ。

近代ジャーナリズムの誕生 [改訂版]?イギリス犯罪報道の社会史から

近代ジャーナリズムの誕生 [改訂版]?イギリス犯罪報道の社会史から

中川一郎

inside your heart - 脱積読宣言
あんなに一緒だったのにpt2 - 脱積読宣言

中川一郎
 大正十四(1925)〜昭和五十八('83)年。政治家。札幌市中央区生まれ。九州帝国大学農学部卒(1947)。
 北海道庁に勤め、のち北海道開発庁に転じた。1955大野伴睦*13同庁長官秘書を務めたのがきっかけで'63北海道5区から自民党所属で衆院当選。以降'80年総選挙まで7回当選。'77福田赳夫内閣農相*14、'80鈴木善幸内閣科学技術庁長官。'73.7タカ派の集団「青嵐会*15渡辺美智雄*16・湊徹郎*17らと共に血判して結成、その代表世話人となった。'79中川グループ「自由革新同友会」をつくる。改憲問題・閣僚の靖国参拝日中関係田中角栄*18大平正芳*19中曽根康弘*20らに強く逆らった。'82鈴木首相*21辞任後の総裁選に立候補、党員による予備選実施に決定的な役割を果たしたが、結果は4位、得票6.8%だった。「北海の羆」と呼ばれる行動力と豪放さで知られたが、細かい神経の持ち主で、札幌市のホテルで原因不明の縊死を遂げた。(『現代日本朝日人物事典』より引用)

 息子昭一と親子二代にわたって全く同じような怪死を遂げたせいもあってその怪死の謎しか話題に上らなくなった悲劇の政治家中川一郎。そんな彼の生涯を自分なりに略述。

 北海道の元開拓村広尾町の農家に生を受けた一郎。幼いころから実家の手伝いに勉学にと晴耕雨読の生活を続け、九州帝大農学部に進学。その後故郷に錦を飾って北海道庁に就職。そこで政治の師となる大野伴睦と出会い政界に進出します。彼が一躍有名になるのは昭和四十八年の青嵐会結成から。派閥横断の若手タカ派集団の「勉強会」は長老主義密室主義の横行する政界に飽き足らなくなっていた世間に喝采を以て迎えられます。その後、政治信条(憲法改正・親台湾)の近さから福田赳夫に接近し大臣職を歴任、「北海のヒグマ」の二つ名を戴く剛腕政治家として将来を嘱望されます。しかし人間順風は長く続かぬもの。親福田路線を嫌った渡辺美智雄が会を離脱し青嵐会は崩壊。自由革新同友会(中川派)として再出発を余儀なくされ、鈴木善幸後継を争う総裁選に打って出るも惨敗。そのショックからか世に知られるあの怪死へと至ってしまうのでした。

悶死―中川一郎怪死事件

悶死―中川一郎怪死事件

この熱い想いを受け止めて欲しい

 中川一郎の頓死、スラムダンクの人気絶頂での最終回と世界中の誰よりきっと…と思えもども終わりはあっさりと訪れてしまうものです。そうなればこそ、人間男と生まれたからにはジャーナリズム史に特筆大書されるくらいの何かを、歌詞に歌われるほどの何かを残して散りたいものです。その為にはまず飼い犬の地位に安住するのをやめ独立不羈の精神を以て大海に漕ぎ出す必要があろうと思った年の瀬でした。ああ、早くロトあたんねえかなあ。

君が好きだと叫びたい

君が好きだと叫びたい

帰って来た今日の一行知識

青嵐会の立ち上げ集会は日本武道館を満員にした
アイドル・ロックスターくそ喰らえのぶっちぎりのエンターテインメントここにあり。本来だったら今でもこれくらい政治ショーが若者にも訴求力ないといけないんでしょうけどね。小泉進次郎くん期待してますよ。

*1:代表作:『バガボンド』、『リアル』、『BUZZER BEATER』(漫画)他。

*2:代表作:『銀河鉄道999』(テレビアニメ版)(シリーズディレクター)、『マジンガーZ対暗黒大将軍』(監督)、『地獄先生ぬ〜べ〜』(プロデューサー)他。

*3:代表作:『頭文字D Second Stage』、『キン肉マン2世』、『PROJECT ARMS』他。

*4:ベルカンパニー所属。B'zサポートメンバー。

*5:青二プロダクション所属。代表作:トランクス(『ドラゴンボールZ』)、ラムネス(『VS騎士ラムネ&40』)、島津岳人(『真剣で私に恋しなさい!!』)他。

*6:青二プロダクション所属。代表作:ヒイロ=ユイ(『新機動戦記ガンダムW』)、新条直輝(『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』)、棗恭介(『リトルバスターズ!』)他。

*7:ディーカラー所属。代表作:アンドロモン(『デジモンアドベンチャー』)、ヤマモトカオル(『YAT!安心宇宙旅行』)、ガルキエ(『銀河機攻隊マジェスティックプリンセス』)他。

*8:賢プロダクション所属。代表作:日向秋(『ケロロ軍曹』)、吉沢弓美(『ゆみみみっくす』)、鷺ノ宮初穂(『ハヤテのごとく!』)他。

*9:アーツビジョン所属。代表作:剣部シバラク(『魔神英雄伝ワタル』)、武田長官(『絶対無敵ライジンオー』)、琴浦善三(『琴浦さん』)他。

*10:WANDSボーカル。代表作:「飛んで散れ」、「poo pee people」、「FROZEN WORLD」(歌手)他。

*11:ティーズ・コーポレーション所属。代表作:「いつまでも変わらぬ愛を」、「炎のさだめ」、「月ノ涙」(歌手)他。

*12:アワーハウス所属。代表作:「負けないで」、「ら・ら・ら」、「世界中の誰よりきっと」他。

*13:第五次吉田内閣北海道開発庁長官。従二位勲一等旭日桐花大綬章。父直太郎。戦前から鳩山一郎の側近として彼と行動を共にした。戦後は鳩山の公職追放に伴い吉田に接近し吉田派の重鎮となる。保守合同による自民党結党に中心的役割を果たし、党人派の筆頭格として何度も総理の座を狙うを果たせず志半ばで病死。

*14:のち農水相

*15:当時20人

*16:宮沢内閣外務大臣。従二位勲一等旭日桐花大綬章。子に喜美。河野一郎に見出され政界入り。河野没後は中曽根派に所属し、青嵐会を立ち上げるなど若手の切り込み隊長として活躍。「ミッチー」の愛称で国民的人気を得て次代のホープとして期待を寄せられるもリクルート事件で失脚。

*17:第三次佐藤内閣総務副長官。従三位勲二等。福島県知事から衆議院議員に転身。青嵐会の立ち上げに参画し、若手の切り込み隊長として活躍するも志半ばに病死。

*18:第64-65代内閣総理大臣。陸軍上等兵。父角次、母フメ。子に真紀子。佐藤栄作に寵愛され当時最年少で自民党幹事長を勤めるなど累進。角福戦争に勝利し首相就任。日中共同宣言などの功を挙げるも、オイルショックなどにより肝心の日本列島改造計画は頓挫し金脈問題により下野。その後ロッキード事件の発覚により表舞台からは失脚するも、三角大福及び次代の中曽根内閣まで闇将軍として君臨し続けた。

*19:第68-69代内閣総理大臣。正二位大勲位菊花大綬章。父利吉、母サク。戦前戦後にかけて大蔵官僚として活躍。池田勇人の側近として政界進出。池田死後大平クーデターにより宏池会会長に就任。三角大福の一角に躍り出る。大福戦争に勝利し総理となるも、四十日抗争などの苦難の政権運営を余儀なくされ、ハプニング解散後の総選挙中に頓死。

*20:世界平和研究所会長。第71-73代内閣総理大臣。子に弘文。戦前は内務官僚のち海軍主計官として活躍。戦後政治家に転身し、原子力予算の上程などで頭角を顕し若手のタカ派の筆頭格として累進。ポスト鈴木善幸を争う総裁選で角栄の全面支援を受けて総理就任。当初は「田中曽根」と揶揄される角栄の傀儡政権であったが、角栄が病魔に倒れてからは強力なリーダーシップを発揮、三公社民営化や日米同盟の強化、バブル景気に繋がる好景気の現出などの功績を挙げた。

*21:善幸。第70代内閣総理大臣。正二位大勲位菊花大綬章。典型的な調整型政治家として宏池会ひいては自民党の屋台骨を支え続けてきたが、大平急死後消去法として総理就任。「和の政治」を掲げ党内融和に奔走し安定内閣を築くも、任期満了により下野。