脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『最後の元老 西園寺公望(上)』

Webコミック 漫画|創価学会公式サイト
最近話題の恐怖のネットコミック。何が怖いって普通にマンガとして面白いのが怖いです。


 先日女の子に手相を見てもらいました。曰く、「サラリーマンは向いてない」そうです。なんでも「我と意志が強すぎて雇われ稼業は無理。独立独歩のフリーランスになるべき。そうすれば大金を掴める。ただ浪費家なので金は貯貯まらない。」とのこと。多分にリップサービスなのでしょうが、ほぼ初対面で「いらん苦労を自分で背負い込む」「表面上は真面目な常識人だが、本性はとんでもない変人」と看破されたので、多少は信じてみようかって気にもなります。なお、「近々結婚する。相手とももう知り合っている」とのことなので、身に覚えのある方は可及的速やかに名乗り出てくださいw

西園寺公望―最後の元老 (上巻) (新潮文庫)

西園寺公望―最後の元老 (上巻) (新潮文庫)

誰か助けて欲しい…そんなふうに願っても

西園寺公望
 嘉永二(1849)〜昭和十五(1940)年。公家出身の政治家。最後の元老。京都生まれ。徳大寺公純*1の次男で西園寺家養子となる。戊辰戦争では会津を攻略。木戸孝允*2らと交流を深め、邸内に家塾立命館を創設。フランス留学中、パリ・コミューン事件に遭遇、帰国後、中江兆民*3らと「東洋自由新聞」を創刊。のち文相、枢密院議員を歴任し、伊藤博文*4の後継者として立憲政友会総裁となる。1906第1次西園寺内閣を組織、鉄道国有化など日露戦争後の政情に対応。桂太郎*5と交互に組閣し、〈桂園時代〉と呼ばれたが、第2次内閣で2個師団増設問題が起り陸軍と対立して退陣、元老となる。(ここまで上巻)’19パリ講和会議全権を務め、牧野伸顕*6と共に対米英協調路線をとり、近衛文麿*7ら革新貴族と見解を異にした。翌年公爵。昭和天皇*8の摂政時代から後継首相の奏薦にあたり、ロンドン軍縮問題後は米英との乖離を危惧、牧野内大臣や一木喜徳郎*9宮内大臣らと共に軍部や右翼の冒険主義に対抗。しかし満州事変や五・十五事件など、相次ぐ謀略やテロにより政党内閣の慣行を維持しえず、高齢を理由に任を辞した。陶庵と号し、興津坐漁荘に引退。国葬。(『岩波日本史辞典』より引用)

 近代期からの渋い人選と骨太の文章の心地よい豊田穣氏の伝記。今回は「最後の元老」西園寺公望を取り上げます。とかく西園寺伝というと、立命館創設者としての面と、戦争突入を止め切れなかった悲劇の元老としての面の二点だけをクローズアップしたものが多くなりがちですが、今作は、上下巻ニ段組の大ボリュームで、西園寺公望の立身出世の階梯から女性関係まで微に入り細を穿つ良著となっています。相変わらず話があっちこっち飛びまくり、時間軸の前後する話題を挿入する氏の悪癖は健在で、自由民権運動への過大な同情も鼻につきますが、Ritz関係者の幇間のような文章に比べれば遥かに公正で分かりやすい名文です。是非一度ごらんあれ。昨今の粋を介せぬ欲まみれの政治屋どもに絶望する事請け合いです。


 清華家に生まれた堂上貴族が押しも押されぬ大政治家に変貌する過程を略述。どのようなつてで、伊藤の後釜として政友会総裁の座に上り詰めたかを、人間関係を中心に紹介いたします。
 まずこのお坊ちゃまが世に出たのは会津戦争のお飾りの司令官として。普通は足手まといとして疎まれ嫌われる立場なはずですが、流石栴檀は双葉より芳し、大村益次郎にその人物の非凡なるを見出され、新政府の要人たちとの知己を得ます。中でも可愛がられたのは木戸孝允。元々公卿と親密な長州出身に加え、女遊びの激しい通人だったことも加わり非常に馬が合ったようです。しかし、彼の立身は上手く転がりません。パリ遊学中、本来の遊び人の本性が顔を出し、十年弱の長逗留を決め込んでいるうちに、庇護者たる木戸や盟友の前原一誠は死に、本国に帰る場所を失います。
 帰国後、彼はパリで知り合った中江兆民と共に「東洋自由新聞」を立ち上げますが、元公卿の肩書きが邪魔をして、明治天皇の勘気を蒙り、一月足らずで、執筆者を離れます。本格的に居場所のなくなった西園寺は、結局新政府に膝を屈し、四等官の微官として官僚の道を歩む羽目になります。
 しかし、捨てる神あれば拾う神あり。天皇を始めとする「朝廷」との緩衝材としての岩倉具視の後釜を探していた伊藤博文に拾われ、再び日の当る場所への復帰を果たします。最初は上手くおだてて利用してやろうといった程度の心持だった伊藤も西園寺の非凡さを認め、陸奥宗光亡き後の自分の後継者に西園寺を指名することとなりました。

怯え閉ざされた時間 ココを壊さなきゃ

 このくそ忙しい時に上下巻二段組計500P*10を二三日で読了しきれるはずもありませんでした。今回は上巻だけでお茶を濁して次回に続きます。しかし、上巻のラストが第二次西園寺内閣崩壊なのですが、通常60歳で二回の総理大臣を経験と言えば、十二分に功為し名を遂げたと満足してしかるべきなのですが、西園寺公の本当の活躍はこれから、というのですから、恐るべしです。やはり大政治家の必要要件は健康長命が第一ですね。

今日の一行知識

日本の皇室制度はイギリス王室がモデル
だからこんなのが出てくるんですかね。

God Speed

God Speed

*1:国事御用掛。右大臣。父鷹司政通、母権大納言輝久女、養父徳大寺実堅。

*2:内閣顧問。父和田昌景、養父桂九郎兵衛。旧名:桂小五郎維新の三傑が一。通称「逃げの小五郎」

*3:篤介。弟子に幸徳秋水。通称「東洋のルソー」。代表作:『民約訳解』(訳)他。

*4:第1・5・7・10代首相。公爵。父林十蔵、養父伊藤直右衛門。通称「和製ビスマルク

*5:清澄。第11・13・15代首相。陸軍大将・公爵。父信繁。通称「ニコポン宰相」

*6:内大臣。伯爵。父大久保利通、母満寿子、養父牧野吉之丞。

*7:第34・38・39代首相。公爵。父篤麿。孫に細川護煕

*8:第124代天皇。諱は裕仁。父大正天皇、母貞明皇后。通称「摂政宮」

*9:枢密院議長。男爵。父岡田良一郎。弟子に美濃部達吉

*10:実質約1000P強