脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『宮中某重大事件』

トップページ - 義実家にしたスカッとするDQ返し☆まとめサイト @ ウィキ - アットウィキ
出来にピンキリありますが、実体験に基づいた力作揃い。気付けば一日くらいあっという間に過ぎてしまいます。しかし、これを良質のファンタジーとして読めてしまうというのは、三十路手前の男として、我ながら色々と不味い気が。


 東京に来てから日課となってる深夜徘徊の途中、御猫様より「近う寄れ」との望外の光栄に浴す機会を得ました。仰せのままに四半刻ばかり存分にもふらせていただき、至高の時間を過ごしたのですが、唯一つ心残りが。流石に香箱組んでとまでは行かずとも、鼻先にケータイ突きつけても毛繕いをやめない警戒心のなさだったのに、我が愛器には闇夜の黒猫を描画できるほどの性能がなかったこと。初めてカメラ性能に拘る人の気持ちが分かりました。


SRW AP進捗

宮中某重大事件

宮中某重大事件

ここからはとっぷし〜くれっとナイショだよ可憐な素顔

宮中某重大事件
 大正九(1920)〜大正十(1921)年に起こった裕仁*1皇太子妃決定を巡る政治的紛争。
 1919久邇宮邦彦*2王の長女良子*3東宮妃に決定したが、'20良子生母*4の実家島津家に色盲の遺伝があることが判明。婚約辞退を要望する枢密院議長山県有朋*5ら元老や宮内相中村雄次郎*6と、婚約解消に反対する久邇宮家や東宮御用掛杉浦重剛*7らの間に対立が生じた。このことが漏洩したため頭山満*8内田良平*9北一輝*10ら右翼による山県攻撃が展開され、薩派が久邇宮家を支持するなど政治問題へと発展した。'21.2宮内省は皇太子妃内定変更なしと発表、中村宮内相の引責辞任により事件は落着した。(『日本史広辞典』より引用)

 みんな大好き皇室の大スキャンダル。元老中の元老として位人臣を極めた山県有朋公爵の命脈を断った大正末期の一代政争でもあり、非常に面白い案件なんですが、皇室が絡んでるせいで余り真正面から議論のされることのない宮中某重大事件を取り扱った稀有の一冊。雑誌記者上がりの作者の文章は平易で読みやすく、それでいてしっかりした取材による緻密な研究は読み応えもたっぷり。名著といって差し支えないでしょう。
 で、肝心の中身について。お年頃の皇太子の縁談で、大本命だった梨本宮方子女王が日朝友好の大義名分の下、朝鮮王太子への嫁入りが決まり、混沌としてきた妃殿下候補レース。紆余曲折の果て先着は久邇宮良子女王。自身の縁戚の一条朝子を蔭ながら応援していた山県内大臣は当然面白かろうはずも無く。そこに久邇宮家に色弱の遺伝子保有の疑惑が浮上したのだからさあ大変。それを理由に山県は皇太子選びの再考を促せと露骨な介入。その尻馬に皇族の勢力伸張を憎む西園寺*11が乗っかったもんだからことは大事に。当時思う侭にならぬことは無かった山県的にはすぐに落着するものと思っていたようですが、千載一遇のチャンスを逃してなるものかと邦彦王が頑強に抵抗を続けるうちに、元々山県嫌いの大正天皇を筆頭とする皇族連、皇室の家政に臣下が口出しするとは何事かと義憤に燃える東宮御学問所御用掛杉浦重剛、山県の介入は薩摩排除の思惑からと喧伝されて引っ込みのつかなくなった山本権兵衛を筆頭とする薩摩閥らが山県攻撃に回り、不倶戴天の仇敵だったはずの山本と当時人気絶頂の大隈重信が山県憎しの一念で大同団結するに及び勝負あり。最初から乗り気でなかった時の首相原はあっさり知らん顔を決め込み、焚きつけた張本人の西園寺も劣勢を見て取るやあっさり遁走。結果山県の一人負けと相成り、明治大正期の巨人の最後は無様な敗北で幕を閉じるという哀れな結果に。正直傍から見てたら、ちょっとちょっかいかけただけのはずが、あれよあれよというまに皇室重臣元老政党に言論界まで巻き込む大騒動に発展した挙句、いつの間にか孤立無援で集中砲火受ける羽目に陥った山県が哀れでなりません。世の中何が失脚のきっかけになるか分かりませんね。自分に人心の無いことを自覚できてる権力者のみなさん、あの山県ですらこうなったのですから、色々十分自重されますよう。

悩み多き年頃だもんちょっとワガママも大目に見て

 本場イギリスの王座をかけた恋ほど、劇的でもロマンチックでもありませんが、日本の皇室のスキャンダルも中々どうして負けてはいません。まあ現皇太子の「人格無視」発言と同じで、周りが過剰に騒ぎ過ぎてるだけの気もしなくはないですが。とまれ、手の届かぬ高貴な方々の醜聞ほど我々下賤の民の大好物はありません。皇室のみなさんももっと頑張って我々に酒の肴を提供してくださいまし。次のメニューは小和田家VS川島家の骨肉の外戚争いでしょうか。今から楽しみでなりません。頑張れ悠仁親王殿下君。

Fly To The Future

Fly To The Future

帰ってきた今日の一行知識

哺乳類は人間以外殆どが色盲
鳥や爬虫類や魚みたくファンキーな色使いの連中が殆どいないのはその所為とのこと。ショッキングピンクの犬猫なんては見てみたいような想像したくもないような。

*1:昭和天皇。第124代天皇。父大正天皇、母貞明皇后。愚昧な父に代わり早くから摂政宮として国政を総攬。即位後は君臨すれども統治せずのイギリス式の王室を規範に、戦前は現人神として、戦後は国家の象徴として、激動の昭和を見守った。

*2:軍事参議官。陸軍大将。父朝彦王、母(泉)萬喜子。陸軍皇族軍人として累進。宮中某重大事件に勝利し、外戚となって以降は増長が目立った。

*3:香淳皇后昭和天皇皇后。父久邇宮邦彦王、母(島津)俔子。子に東久邇成子、祐子内親王、鷹司和子、池田厚子今上天皇常陸宮正仁親王島津貴子

*4:俔子。邦彦王妃。父島津忠義、母(山崎)寿満子。子に久邇朝融、久邇邦久、貞明皇后、三条西信子、大谷智子、東伏見邦英。

*5:第3・9代内閣総理大臣。公爵。陸軍元帥。父有稔、母岡治助女。幕末に高杉晋作の部下として頭角を現し、維新後は大村益次郎の後継として、陸軍制確立に尽力。大正十四年政変後は内務卿として、官僚制度の整備も担当。20世紀初頭の大日本帝国躍進の礎を築く。二度の総理大臣後は元老としてキングメーカーに専念。最後の元勲として絶大な権力を掌握するも、宮中某重大事件での敗北を機に失脚。失意のまま没。

*6:原内閣宮内大臣。男爵。陸軍中将。陸軍軍人として、日清・日露の戦役に功あり累進。山県に気に入られ、南満鉄総裁を務めるなど、側近として活躍。

*7:東宮御学問所御用掛。父重文、母八重。東大予備門や国学院、東亜同文書院などで教鞭をとり、門人として昭和期の偉人達を輩出。晩年は裕仁親王兄弟らの帝王教育、特に倫理を担当。

*8:玄洋社総帥。金玉均孫文蒋介石らを後見し、大陸浪人に大きな影響力を持つ右翼の巨頭として君臨。

*9:黒龍会主幹。父良五郎。日本の大陸進出に関心を持ち、伊藤博文らに協力。韓国の一水会と連携し、日韓合邦構想を展開、日韓併合への道を開いた。

*10:父慶太郎、母リク。旧名:輝次→輝次郎。三井財閥からの援助を背景に宮内省怪文書事件などで存在感を発揮。その著作『日本改造法案大綱』は青年将校のバイブルとなり、二・二六事件の理論的首謀者として処刑。

*11:良子の父邦彦王は権勢欲の旺盛さで悪名高く、外戚として朝政を乗っ取られることを懸念した模様。