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中国四千年の叡智による恐怖の外交政策が始まりました。悪いのは君じゃないのはよーく分かってる、だからここに判子捺そうね。うーん、えげつねーなー。
昨日は勝手に休んですみません。恩義理に腐れ縁が絡んで似合いもしない政治活動を手伝う事となりました。と言う訳で、暫くは不定期更新になるかと存じますが、堪忍して下さいまし。
- 作者: 大杉一雄
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1996/01
- メディア: 新書
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全てを見せる星の導く優しい明日 それより明るい未来へ行くから
15年戦争
柳条湖事件勃発から太平洋戦争終結に至る足掛け15年の戦争。1933の塘沽停戦協定による満州事変と日中戦争の断絶性よりも、華北分離制作など実質的な戦争状態の継続性、日本の対外膨張戦略の連続性を重視する歴史認識に基づく名称。(『岩波日本史辞典』より引用)
十五年戦争の名称を使っている時点で、ある程度のバイアスかかってるのは覚悟済みですが、思っていたよりはまっとうに客観的な分析が載っています。しかし、英米の無批判の肯定に、中国の反日ナショナリズムへの過大な同情に、と中々賛同し得ない部分もちらほら見受けられます。それでも某岩波だの某朝日だのの本に比べれば右翼的といえるほどの論調なので、日本が日中戦争の泥濘に足を踏み入れてしまった大失態への総括をしたい人は是非読んで見てください。詳しい条約の内容や和平交渉の提示条件も細かく載っているので、資料価値も抜群です。尤も私はそこら辺完全に読み飛ばしましたが。
そもそも満州事変の発端は満州某重大事件により張作霖を爆殺し、張景恵ら親日の幹部により後継者張学良を傀儡化し、満州の権益を守る予定だったのが、張学良が思った以上に骨太で力量のある政治家で奉天軍閥は完全に反日化するは、関東軍に同情的な首相田中義一は昭和天皇の怒りを買って失脚するはと完全無欠に裏目に出た事に端を発します。
「最終戦争論」をぶち上げる熱心な石原莞爾はいかにも日蓮宗徒らしい独特のカリスマと押しの強さで関東軍をほぼ掌握し、日本本土では遅々として進まぬ「昭和維新」を大陸にて実現し、それを本国日本に逆輸入せんと図り、満州に関東軍の統べる「独立王国」を樹立しようとします。それが後の満州国であり、そのための手段が満州事変だったと言えます。
東四省(黒龍江・吉林・遼寧・熱河)で満足していれば、英米の黙認により、事は収まったかもしれませんが、「領土」が広がれば、さらに広大な「防衛線」が必要となるのは世の必然、塘沽停戦協定以後も察哈爾・河北両省を舞台に関東軍・国民党両陣営の暗躍・小競り合いが続きます。
しかしながら、日中戦争直前の1936年頃には関東軍は仮想敵国をソ連に変更し、国民党も共産党との内戦に大童と、両陣営共に華北への興味が薄れます。この時期に外務省に人材のあれば満州国容認・華北への進出停止という条件での妥結もありえたはずです。しかし、現実は非情なもので、盧溝橋事件により、日中戦争の幕が上がります。当初は日中両国共にいつもの小競り合い程度にしか考えていなかったようですが、第二次上海事変・通州事件により、両国共に引くに引けぬ泥沼の大戦へと発展してしまうのでした。
we will reach to nowhere land, take me to the nowhere land
朝日岩波自虐史観かゴーマニズム宣言由来の全肯定か、完全に二極化の進んでしまった感のある大東亜戦争の評価ですが、ぼちぼち中庸の意見具申も欲しいところです。いつまでも日本人は野蛮で残虐で愚かだった、いや中国人の方がもっと酷いだの言っててもしょうがないでしょう。そもそも歴史に善悪正邪なんて益体のないものを求めて政治的配慮を加えるから話があさっての方向へ暴走するのです。もっと無責任に無邪気に歴史そのものを楽しむべきだと思います。南京事件も通州事件もそうすれば各国各人の思惑の入り混じった最高の娯楽テキストになるはずです。皆さんもっと歴史をエンジョイしませんか?
今日の一行知識
小沢征爾の名前の由来は満州国建国の功労者板垣征四郎と石原莞爾から。
かつての英雄も今では亡国のA級戦犯。人の世の評価の有為転変はまこと
図り難いものです。
- アーティスト: 梶浦由記
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
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