https://news.2chblog.jp/archives/52054715.html
ここまでステレオタイプな悪役やらなくても・・・。ヒトラーの後継者として後世フィクション界隈で引っ張りだこになりそうですね。
GWなにそれ美味しいの?ってな訳で今日も今日とて休日出勤。遅出早退はあるもののこの時期に9連勤は流石にちょっとやりすぎだと思うの。
こんここん神隠しの5秒前
芦沢央
芦沢央
昭和五十九(1984)年~。日本の小説家・推理作家。東京都生まれ。神奈川県川崎市在住。千葉大学文学部史学科卒業。日本推理作家協会会員。
高校時代(2000年ごろ)からデビューまで12年間、雑誌投稿・文学賞への応募を続ける。大学時代は創作仲間と同人誌を出しており、似鳥鶏*1とは当時から交流があった。出版社勤務を経て、2012「罪の余白」で第3回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、小説家デビューする。'22『神の悪手』で第34回将棋ペンクラブ大賞文芸部門優秀賞を受賞。'23『夜の道標』で第76回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門を受賞。(wikipediaより修整引用)
ミステリー作家としてご活躍とのことでしたが全く存じ上げず、多分初読は『新しい世界を生きるための14のSF』で「九月某日の誓い」かな。正直この時はそこまでの印象はなかったんですが、次に『NOVA~2023年 夏号』で「ゲーマーのGlitch」を読んで名前を覚えました。その後、『SFマガジン』で「魂婚心中」を読んで震えるほどの感動を覚え、「閻魔帳SEO」で今後この人追っかけてくぞと確信したお方です。正直まだその四作しか読んでないので作家性とかの詳述は自重しますが、斜線堂有紀氏と並んでミステリーとSFのハイブリッドな名作を量産する現代文学の旗手の一人だと尊敬してます。これからも名作の量産をよろしくお願いしますね。
脚気
脚気
ビタミン欠乏症の1つであり、重度で慢性的なビタミンB1(チアミン)の欠乏により、心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。軽度の場合は、チアミン欠乏症と呼ばれる。
心不全によって脚の浮腫が起き、神経障害によって脚のしびれが起きるため、脚気と呼ばれる。心臓機能の低下・不全を併発した場合は、脚気衝心と呼ばれる。最悪の場合には死亡に至る。診断は、症状、尿中のチアミンの排泄量低下、高血中乳酸、および指導治療による改善に基づく。脚気のリスク因子には、白米中心の食生活、アルコール依存症、人工透析、慢性的な下痢、利尿剤の多量投与などが挙げられる。ただし、稀に遺伝的要因として、食物中チアミンの吸収困難が問題になり得る。なお、乾性脚気により、ウェルニッケ脳症、コルサコフ症候群が引き起こされ得る。(wikipediaより修整引用)
膝をこつんとやられる検査だけがとにかく有名な割には実際にかかったことのある人にあったことのない稀有な病気。大の偏食を誇る自分や友人連でもかかる気配がないって昔の人はどれだけビタミン不足だったんだと愕然。まあ米やパンだけ食ってても体は動けちゃいますからね。
とここから医学的な話や歴史的な話に移ればいいんですが、どれらも研究が分厚すぎて今更聞きかじりの素人が触っても碌な事にはならなさそうなので自重。昔親友の彼女の卒論が森鴎外だと聞いてこの件でウザ絡みして大層嫌われたトラウマもありますもんで。
宇治左大臣+美福門院
藤原頼長
保安元(1120)~保元元('56)年。院政時代の政治家。関白藤原忠実*2の2男。
父の寵愛を受けて学問を修め、古今東西の学を積んで「天下一の大学生」と称されるほどに修学。次第に摂関をめざすにいたって、1150兄の忠通*3から父が氏長者を奪って頼長に与え、さらに内覧の宣旨をも受けた。政務に厳しい性格が「悪左府」の異名を取るなか、次第に鳥羽上皇*4や美福門院との対立を深め、後白河天皇*5の即位後に退けられたことから、ついに鳥羽の死後起きた保元の乱では崇徳上皇*6と結んで兵を挙げ、滅ぼされた。日記に頼長の個性をよく物語る『台記』がある。(『岩波日本史辞典』より引用)
美福門院
永久五(1117)~永暦('60)年。鳥羽天皇の皇后。藤原長実*7の娘、母は左大臣源俊房*8の娘*9、近衛天皇*10の母。本名:藤原得子、法号:真性定。
美貌をもってきこえ、1134頃入内し、皇女叡子*11・暲子*12を生み、'39躰仁親王(近衛天皇)を生む。'41親王が即位後、皇后となる。'49院号宣下し美福門院と号した。'55近衛天皇が若くして没したとき、これを崇徳上皇と藤原頼長の呪詛として上皇の皇子重仁親王*13を退けて後白河天皇を即位させた。これが保元の乱の原因となる。'56鳥羽法皇の死にさいし落飾、大宰大弐であった平清盛*14に課して千体阿弥陀堂を建立して法皇の菩提を弔い、白河の金剛勝院御所(押小路殿)に住し、'60.11ここで没した。墓は遺言により高野山に移された。(『コンサイス日本人名事典 改訂版』より引用)
宇治左大臣こと藤原頼長と美福門院こと藤原得子。近衛天皇の夭折に際し、美福門院がその原因を頼長の呪詛によるものだと讒言し、頼長が失脚したのが保元の乱の直接的な原因の一つとなっています。その辺りの顛末を力不足ながらに語ってみたいと思いますのでお付き合いくださいませ。
まずは二人の背景から。二人ともその美貌を庇護者(父・夫)に愛され、嫡男や本妻を越えて実権を握ったという共通点があります。頼長は兄忠通が父忠実の逆鱗に触れ悔い返しを行われ家督を継承。鳥羽法皇は正妻の待賢門院が祖父白河法皇のお手付きであった為、自分で見つけてきた美福門院を寵愛していたという感じです。
そんな折に美福門院の唯一の息子近衛天皇が夭折したんだからさあ大変。最愛の息子の死に錯乱する美福門院を、藤原氏長者の座を失い頽勢挽回に必死な忠通がそそのかし、近衛天皇の死は忠実・頼長親子の呪詛によるものだとの告発がなされます。本来でしたらそんな無理筋の讒言が通る訳はないのですが、頼長がその狷介な性格から周囲に敵を作りまくっていあたこともあり、最愛の妻の愁訴に怒り心頭の鳥羽法皇の手により忠実・頼長親子は失脚の憂き目に遭います。ここで大人しくできていたら頼長も悪左府なんて仇名は頂戴しません。同じく父である鳥羽法皇に「叔父子」と忌み嫌われ治天の君となる道を閉ざされていた崇徳上皇に接近しここに待賢門院—崇徳上皇—頼長が完成し、美福門院—後白河天皇—忠通ラインとの暗闘が始まるのでした。その後、鳥羽法皇の死と共にその爆弾は大爆発し源平の武士たちをも巻き込む大乱となるのですがそれはまた別の話。
今夜百鬼夜行に連れてって
最愛の子どもの死を受け入れられず宇治左大臣により呪詛だと信じてしまった美福門院といい、ビタミンの存在を受け入れられず脚気の大惨害を招いてしまった森鴎外といい、後世の目から見るとなんと愚かな・・・と思ってしまう行動をとってしまうことがしばしばです。かくいう自分たちも後世の人達から指さして嗤われるような愚かな迷信に縛られて色々やらかしまくってんでしょうね。それこそが人類の進歩の証と言えばそうなんでしょうが、見えないもの理解できないことに対する耐性をつけるには芦沢央氏のようなSFミステリー系の文学こそが一番の特効薬だと信じます。みんなSFミステリを読んで「理解できない」って快感を味わいましょう。
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*1:代表作:『理由あって冬に出る』・『午後からはワニ日和』・『パティシエの秘密推理 お召し上がりは容疑者から』(小説)他。
*2:関白。従一位。父師通。母藤原全子。父の急死により史上最年少で摂政就任。白河法皇との対立で摂関家の勢力を後退させる。一度は氏長者を譲った嫡男の忠通を義絶し、次男の頼長を擁立し対立。保元の乱で頼長戦死後は失脚籠居。
*3:関白。従一位。父忠実、母源師子。白河院の勘気に触れた父の後を襲い関白就任、氏長者となるも義絶され、その座を弟頼長に奪われ、以後忠実・頼長親子との政争に明け暮れた。保元の乱で勝利を決定的なものにするも、藤原信頼との対立から後白河院の勘気を蒙り失脚。
*4:第74代天皇。諱は宗仁。父堀河天皇、母藤原苡子。祖父白河の後を継ぎ院政を実施。荘園整理を進め中世的所領制度の基礎を作った。後継者指名した近衛の夭折により、死後保元の乱を招いた。
*5:第77代天皇。諱は雅仁。父鳥羽天皇、母待賢門院。兄の崇徳上皇が父鳥羽院に疎まれていた為に「皇太弟」として即位。今様に耽溺し父より後継者失格の烙印を捺されるも、保元の乱に勝利し治天の君となる。平清盛と提携し平治の乱の勝利などで二条天皇の親政派に勝利するも、清盛の勢力伸長を止められず平氏政権の誕生を許し、治承三年の政変で失脚。高倉上皇の死後復権し、木曽義仲や源義経と提携し平氏を滅亡に追い込む。以降も鎌倉の源氏政権と角逐し頼朝からは「日本一の大天狗」と罵られた。
*6:第75代天皇。諱は顕仁。父鳥羽天皇(白河天皇とも)、母待賢門院。父鳥羽に「叔父子」と忌み嫌われ、嫡子ながらも治天の君継承から疎外。父の死後、頼長ら非鳥羽勢力と組んで後白河天皇と保元の乱を争うも、敗北流罪。讃岐の地で王家覆滅を呪詛しつつ憤死。
*7:権中納言。正三位。父藤原顕季、母藤原経平女。白河院の院近臣として累進。白河死後の鳥羽院政では逼塞するも、死後娘の美福門院が皇子を生み、正一位左大臣を追贈された。
*8:左大臣。従一位。父源師房、母藤原尊子、養父藤原頼通。伯父の藤原頼通の養子として累進するも、勅許を得ずに娟子内親王と結婚したことを後三条天皇に憎まれ逼塞。 後三条天皇死後復権し、白河院政では長く公卿筆頭の座を占めるも永久の変により失脚。
*10:第76代天皇。諱は躰仁。父鳥羽天皇、母美福門院。鳥羽上皇の寵愛を受け即位、後継者に擬せられるも夭折。
*12:八条院。父鳥羽天皇、母美福門院。父母から相続した広大な荘園群八条院領と二条天皇の准母としての立場を背景に、後白河院とも平家政権とも対立する第三極として重きをなした。
*13:父崇徳天皇、母兵衛佐局。崇徳天皇の第一皇子として将来を嘱望されるも皇位継承からは疎外され、保元の乱に連座し落飾。
*14:太政大臣。従一位。父忠盛。伊勢平氏の棟梁として日宋貿易を牛耳り、西国に巨大勢力を築く。保元・平治の両乱の勝利により平氏政権を樹立し、後白河法皇と対立。治承三年の政変により法皇を失脚させるも、以仁王の令旨により反平氏の挙兵が相次ぐ中、福原遷都を置き土産に病死。



