脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『ザ・アメリカ 勝者の歴史9〜戦争コングロマリット デュポン帝国』

痛いニュース(ノ∀`) : 鳩山由紀夫氏、旅券没収を条件にクリミア移住することを示唆 - ライブドアブログ
余所様に迷惑をかけるな。


 久しぶりに宴席で醜態をさらしてしまいました。退職決まった奴がこの期に及んで上司面すんなボケ。


艦これ進捗

  • 南西諸島海域沖ノ島沖攻略中。第一艦隊旗艦:北上改二。

君がわがまま言ったって

デュポン・ド・ヌムール E.I. du Pont de Nemours and Co.
 アメリカ最大の総合化学・繊維メーカー。略称:デュポン社。本社:デラウェア州ウィルミントン。
 1915デュポン*1が1802に設立した火薬製造会社E.I. du Pont de Nemours Powder Co.の事業を受け継ぎ、ウィルミントンに設立された。火薬事業への依存度の低下、利益の再投資という長期目標のもとで、火薬製造のノウ・ハウを生かしニトロセルロースなどの研究開発に力を注ぐとともに、'17Harrison Brothers and Co.、'28Grasselli Chemical Co.、'30Roessler and Hasslacher Chemical Co.、'33レミントン兵器会社などの買収を通じて、染料・合成樹脂・塗料などと事業を多角化していった。これらの結果、'39世界初の合成繊維ナイロンの工業化に成功、次いで'51アクリル繊維「オーロン」、'52ポリエステル繊維「ダクロン」を開発した。さらにプラスチックや合成ゴムなどの新製品を開発して事業内容を拡大し、20世紀中頃には世界最大の化学会社となった。'50年代以降、海外市場重視の経営戦略に転換、'60年代に入りヨーロッパ・カナダを中心に多国籍企業化した。日本への進出は'29中国の子会社E. I. du Pont China Inc.の支店を神戸に開設、染料・セロハン・速乾性ラッカーの販売を手がけたことに始まる。しかし本格的な進出は'51東洋レーヨン*2にナイロンの製造技術を供与してからである。(『〔新版〕アメリカを知る事典』)

 ザ・アメリカシリーズもそろそろゴールが見えてきて、今回は世界に冠たる複合企業体デュポングループの創立発展史。数世代に亘る奮闘を一族内の内訌を交えながら丁寧に解説してくれています。ただ、読んでて面白いのは主題のデュポン社よりバックグラウンドの第二次対英戦争や南北戦争だったりするのはちょっぴり苦笑。やっぱり私には経済企業小説は向いてないようです。

この僕をちゃんと君に分からせよう

 デュポンなんてマイナーなところを・・・。って言おうとしたら、化学分野での超巨大企業だったんですね。興味ない分野とは自分の無知を恥じます。いつまでも意識高い系(笑)って斜に構えてないで、日経でも読むようにせんと、社会人として少々まずいのかしら。

TRICERATOPS

TRICERATOPS

帰ってきた今日の一行知識

黒色火薬は本来兵器としての使用には適さない
大量の白煙を生じて視界を閉ざすは、水気に弱くすぐ湿気るは、そもそも反応の制御が非常に困難だわと三重苦。正直マスケット銃や火縄銃はよくこんな粗悪品で運用できてたなと感心しきり。

*1:Eleuthere Irenee du Pont de Nemours。E.I.デュポン・ド・ヌムール初代社長。父ピエール、母マリア。フランス革命の混乱を避け父と共にアメリカに亡命。デラウェア黒色火薬を取り扱う工場を設立し、第二次対英戦争での軍需景気により事業を拡大した。

*2:東レ