脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『一休〜乱世に生きた禅者』

http://www.news30over.com/archives/3397304.html
地震直後の1週間くらいこの人が頼もしく見えてしまっていたのはやはり吊橋効果なのでしょうね。


 本棚ようやく半分完成。久しぶりに床が見えるようになりました。


第二次SRWZ破界篇進捗

  • 2周目第46話「邪悪の化身」ギシン星軍と交戦中。トップエース:クロウ=ブルースト@ブラスタ。

一休―乱世に生きた禅者 (NHKブックス 132)

一休―乱世に生きた禅者 (NHKブックス 132)

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のぞみはたかくはてしなく

一休宗純
 応永元(1394)〜文明十三(1481)年。室町前期の禅僧(臨済宗)。後小松天皇*1の皇子と伝える。山城国京都出身。号:狂雲子。
 初め京都五山に於いて修学し、1415近江国堅田に赴き華叟宗曇*2に師事。華叟から一休の号を授けられ、'20夏鴉の声を聞いて省吾した。'28華叟が没したので京都に帰り、風狂の生活を営んだ。'74後土御門天皇*3から大徳寺入寺の綸旨を受けたが、二偈を作って恩を謝したにとどまり、遂に入寺はしなかった。しかし、堺の豪商尾和四郎左衛門*4の援助によって大徳寺の法堂を建立するなど、応仁の乱後の大徳寺の復興に大きく貢献した。一休は自ら狂雲子と号したように、その行動は奇矯にわたることが多かった。盲目の森侍者*5を側女とし、戒律で厳禁されている女犯肉食を行い、異様な風体で町を歩いた。岐翁紹偵*6という実子があったことは有名。しかし、一休のこのような生活態度は、仏教の形式化と堕落に対する厳しい批判を根底に持っていた。また、一休の形式ぶらず人間味溢れる一面は、後世に一休物語を生む素因ともなった。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

 みんな大好き一休さんの知ってるようで知らない思想を紐解く一冊。しかしながら、狂気を嘯き乱世を駆け抜けた正気の人一休禅師を、我ら正気を叫んで惰眠を貪る狂人風情が理解できるはずもなし。また作者が宗教学系の方なので、なんとも観念的なお話が続きまして、途中で眠くなります。もうちょっと歴史か文学に寄せてくれないと正直ちんぷんかんぷんです。ただなかなか目に触れることのない一休禅師の偈がこれでもかと収録されていますので、一休教を極めんと思う人には得がたい一冊ではないでしょうか。

わからんちんどもとっちめちん

 親鸞・一休・良寛etc日本における破戒僧の大人気を見るにつけ、日本人は心から戒律ひいては法律が大嫌いなんだなと言うのを再確認させられます。日本に本格宗教が根付かないのは多分その所為なのでしょう。絶対に明文化されることのないその場の「空気」を唯一無二の経典とする日本教。個人的には大好きなのですが、このままだと一生グローバル化なんてできねーだろなー。

帰ってきた今日の一行知識

新右衛門さんは本来は一休さんより年下
なんてふけ顔なお侍さんだったんでしょうね。

*1:第100代天皇。諱は幹仁。父後円融帝(足利義満とも)、母通陽門院。南北朝の合一により南朝より三種の神器を受けた。子の称光帝が子をなさず死亡した為その皇統は二代にして絶えた。

*2:徹翁義亨に師事し、祥瑞寺を開いた。

*3:第103代天皇。諱は成仁。父後花園帝、母嘉楽門院。応仁の乱により朝廷の権威は荒廃。苦難の治世を送った。

*4:宗臨。堺の豪商として財を成し、一休に心酔し大徳寺再興に私財を投じた。

*5:旅芸人として諸国を巡業している際、住吉薬師堂にて一休に見初められ愛妾として傍に侍った。

*6:一休の実子にして、正伝を受けるものとして、名実ともに一休の後継者として活動した。