脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『星亨〜藩閥政治を揺るがした男』

http://tokyo-ethno.jugem.jp/?eid=1125
DQNは洋の東西を問わないようです。


 妹から買ったノートパソコンのEのキーが壊れた*1。金返せ。

だから自信をもって君にだったら出来る

星亨
嘉永三(1850)〜明治三十四(1901)年。明治時代の政治家。佃屋徳兵衛*2の子、母*3の再婚先の星家の養子。江戸新橋八官町出身。幼名:浜吉。旧名:登
 英学を修め、維新後、1847横浜税関長となり、’47太政官よりイギリスに派遣され、法律学を修めて、’77帰国、’78司法省付属代言人となる。’82自由党に入党、機関紙『自由新聞』などで藩閥政府を攻撃し、’83福島事件の裁判に河野広中*4の弁護人として活躍。舌禍事件で入獄。’87保安条例により東京退去を命ぜられ、’88出版条例違反で再入獄。’89出獄後欧米に漫遊し’90帰国。’92衆議院議員に当選、議長に選ばれたが、反対派の策動でまもなく除名された。日清戦争に際しては第二次伊藤内閣と自由党の妥協に奔走、’96駐米公使となったが、’98憲政党を基盤とする第一次大隈内閣(隈板内閣)の成立を聞くと政府の許可を得ずに帰国、憲政党を分裂させ、旧自由党だけで憲政党を組織し、その領袖として手腕を揮い、1900立憲政友会成立に参加し、第四次伊藤内閣で逓相となったが、東京市に疑獄事件が起こり、逓相を辞任した。その後も政友会院内総務として力を揮ったが、剣客伊庭想太郎*5に暗殺された。(『コンサイス日本人名事典 改訂版』より引用)

 藩閥政治に反抗し続けた硬骨の政治家星亨の伝記。と言えば聞こえはいいですが、その実態は、名誉欲に凝り固まり、目的のためには人を裏切ることも辞さず、金に塗れ、財閥と癒着するというなかなかの人物です。反権力側の人間だから汚職は政府の罠に、手段を選ばない恥知らずな保身ぶりも反藩閥の執念に置き換えられています。もしこれが権力側の人間であればどれほど口を極めて罵られるだろうかと思うと、左の字の皆さんのダブルスタンダードが伺われます。
 まあそういうひねた見方を無くせば、波乱万丈山あり谷ありのピカレスクぶりは、お好きな人は好きなんでないでしょうか。人権屋さんも下手な言い訳せずに、こっちの側面強調した方が絶対星の魅力を発揮できると思うのですが。是非御一考くださいまし。

夢信じながら毎日走った道

 清濁併せ呑むは昔から名政治家の要件ですが、最近はマスコミの恣意的な報道の所為で、一切融通の利かない堅物か、醜聞を押さえ込める豪腕かの二極化が進行しすぎているように思います。もう少し、我々も多少の汚れは赦せる広い心を持とうでありませんか。政治家だって人間だもの、功成り名を遂げたからには甘い汁だって吸いたいさ。

逮捕しちゃうぞ テーマソングフルコレクション

逮捕しちゃうぞ テーマソングフルコレクション

*1:現在はキーの配置を交換するフリーソフトで対処中。

*2:左官の棟梁。星亨の幼少時に失踪。

*3:松子。夫佃屋徳兵衛→星泰順。

*4:第二次大隈内閣農商務大臣。父広可、母リヨ子。川前紫渓に師事。福島事件・日比谷講堂焼討事件などの反政府暴動に参加。

*5:日本貯蓄銀行頭取。心形刀流剣術第10代宗家。父軍兵衛。兄に八郎。四谷の名士として教育振興に励むも、清廉な性格が祟って星亨暗殺に至り獄死。