日本人がキリスト教をいまいち信用しない理由って何?:哲学ニュースnwk
日本人て法律とか契約とかの原則論死ぬほど嫌いなんですよねえ。その場のノリと空気が何より優先されるパリピ民族です。うん、道理で生きづらいわけだ。
10月の引っ越し、11月のイベント三昧、12月の体調不良、1月の利用者さんの入院としばらくバタバタが続いてましたが、2月は今んところ久しぶりの平穏な退屈を満喫してます・・・なんて言ってるとときっとえらいトラブル舞い込んでくるんだろうなぁ、くわばらくわばら。
帰り道を無くした風景
オットー1世 Otto Ⅰ
西暦912~'73年。ドイツ国王(ザクセン王朝)(在位'36~'73)、神聖ローマ皇帝(在位'62-'73)。通称:der Grosse(大帝)
ハインリヒ1世*1のあとを継いで即位。部族太公の分立主義的反乱を抑え、これに代えてザクセン王家の一族を配し、また市況・修道院院長を王権の支柱とする帝国教会政策をとり、集権化をはかる。イタリア王ロタール2世*2の妃アーデルハイト*3の求めによりイタリアに遠征、ベレンガーリョ2世*4破ってアーデルハイトと結婚、イタリア王を兼ねる(951)。当方においても、スラヴ人を討ち、レッヒフェルトにマジャール人を破り('51)、ノルトマルク・オストマルク・マイセンの3辺境伯領のもとを置き、王権の拡大とキリスト教化に努める。自ら、帝国的統一思想の実現をめざし3次にわたってイタリアに遠征、'62ローマ皇帝の帝冠をうけて神聖ローマ帝国を創始した。(『コンサイス人名辞典 外国篇』より引用)
たまには苦手な中世西欧史をってな訳で、神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世の伝記を読んでみました。感想は一言、よく分からん、とにかく人名地名が複雑で頭に入ってきません。前提知識なしで読む歴史ってこんなにわけ分かんないんだと少し歴史嫌いの人の気持ちが分かりました。とは言えそれでもオットー大帝の親族はおろか息子とすら相争う骨肉の権力闘争や、イタリア遠征やマジャール人撃退で見せた活躍など血湧き肉躍る英雄譚としてかなりの出来栄え。もう少し中世ヨーロッパ史の基礎知識を身に着けてからもう一度読みたいなと思わせてくれる一冊でした。
来年また咲いてなんて
センターは世界史で受けたので最低限の単語くらいは頭に入ってはいるんですが、やはりそれを重層的に物語として消化しようとするとやっぱりかなり高いハードルがあるなあと。そう考えると日本史っていう最高の物語の世界に優しく誘ってくれた『マンガ日本の歴史』や『信長の野望』ってやっぱり偉大だったんだなあと。さあみんな『逃げ上手の若君』や『だんドーン』で歴史沼にはまるんだ。
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*1:Heinrich I。ザクセン朝東フランク王国初代国王。父ザクセン公オットー1世、母ハトヴィヒ=フォン=バーベンベルク。父の死去によりザクセン公を継承。その後コンラート1世の死去に伴い後継者に指名され東フランク国王に即位。東方のマジャール人の侵攻を防ぎ、北方のデーン人や南方のスラブ人との抗争に勝利し領土を拡張させた。
*2:Lotario II。イタリア王国第53代国王。イタリア父ウーゴ=ダルルス、母アルダ。名目上のイタリア王位を父より継承するも実権はイヴレーア辺境伯ベレンガーリオを握られていた。
*3:Adelheid von Burgund。オットー大帝皇后。父ブルグント王ルドルフ2世、母ベルタ=フォン=シュヴァーベン。先夫:ロタール2世。子に:エマ(ロタール2世)、ハインリヒ・ブルーノ・マティルデ・オットー2世(オットー大帝)。
*4:Berengario II。アンスカリ朝イタリア初代国王。ロターリオ2世の死に伴い息子とともにイタリア王に即位。毒殺の嫌疑もかかるその王位継承の正当性を疑われ人心は離反、東フランク王国の介入を招きバンベルクへ追放客死。

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