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これは怒れない。
年間変形労働時間制の期末たる4月15日を前に、4月6日時点で年休が5日半も残っているという計画性のなさから開店休業モード突入中。来週からきちんと社会復帰できるのかしら。
競馬進捗・・・H28収支-12010
- 桜花賞・・・軸メジャーエンブレム-1640
- 阪神牝馬S・・・軸スマートレイアー+4640
- NZT・・・軸アストラエンブレム-1300
- 春雷S・・・軸エイシンスパルタン+1040
- 吾妻小富士賞・・・軸エルカミーノレアル+190
- 福島民報杯・・・軸マイネルフロスト-400
シレン進捗
- フェイの最終問題10Fにて大型地雷を踏んで慌てて押した背中の壺がンドゥバだった挙句にダメ元で振った未識別の杖までンドゥバ。
孤独な愛を知ったひとはどこか切なくする
高松宮宣仁親王
明治三十八(1905)〜昭和六十二('87)年。大正天皇*1の第3皇子、皇族。前称号:光宮。海軍兵学校52期、海軍大学校卒業。
1913高松宮号を受け有栖川宮家の祭祀をも継承、'30徳川慶久*2の次女喜久子*3と結婚。太平洋戦争中は軍令部員・砲術学校教頭などをつとめ、東条内閣末期には海軍部内の反東條の動きを宮中工作に結びつける役割を演じた。その間の事情は当時の秘書細川護貞*4の『情報天皇に達せず』に詳しい。皇室会議議員、また国際文化振興会・済生会・日仏教会・日伊協会・日本丁抹協会など諸団体の総裁に就任。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)
大正十年〜昭和七年、16〜27歳の若年期の高松宮宣仁親王の日記。後には海軍主戦派の筆頭格として天皇の宸襟を悩ませることになる親王もこの頃はまだ自分の「不遇」をかこつどこにでもいる若人なので、「歴史の生き証人」といった趣は期待すべきもありませんが、その分青年の本音が迸りまくってまして微笑ましく読めます。「特別扱い」を厭いながらも「特権」を満喫しまくってる厚顔無恥さは貧乏人の嫉妬を買うには充分すぎる下衆さなので、平等主義者の方はゆめ読みませんことを。しかし、この日記で特筆すべきは赤裸々に語られる同性愛の願望。死後とはいえ、遺族はよくこんなもの公開許可したな。皆さん日記の始末は厳重に。