東京・杉並区公園“保育所”計画に住民が「サッカーができなくなる」と猛反発、5時間半説明も平行線のまま終了 - フットボール速報
福祉の充実なんて綺麗事は、自分の既得権益が侵されない安全圏からしか言えないっていい証左ですね。
改めて、怒るって気力と体力使うんですね。年がら年中怒鳴り散らしてる人の気が知れないや。
- 作者: 児島襄
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貌の無い闇が言う「誰ヨリ愛シテルゼ!」等と…
昭和天皇
明治三十四(1901)〜昭和六十四('89)年。在位:昭和元('26)〜昭和六十四('89)年。大正天皇*1の第一皇子。東京市赤坂区*2出身。母は貞明皇后*3。諱:裕仁、幼称:迪宮。
1916立太子礼。'21.3ヨーロッパに外遊、'21.11大正天皇病気のため、摂政となる。'24久邇宮邦彦*4の第一女子良子*5と結婚し、'26.12.25大正天皇の崩御後、天皇の位についた。'28張作霖*6爆殺に際しては田中義一内閣を総辞職にふみきらせ、'36二・二六事件では陸軍少壮将校の鎮圧を命じた。'38頃より、近衛文麿*7首相の進言に従い、蔣介石*8政権との講和を拒否し、戦争継続の政策を支持。'41米英両国に宣戦の詔書、'45ポツダム宣言受諾決断の詔書をラジオ放送した。戦後、新憲法に「国民統合の象徴」と定められ、政治的権能を離れた。全国巡幸を行う。生物学に造詣が深く、著に『那須の植物』『相模湾産後鰓類図譜』など(『新潮日本人名辞典』より引用)
20世紀日本における最大の巨星昭和天皇の伝記。初巻の本巻は誕生から大正天皇の崩御まで。幼少年期の裕仁親王の成長過程が活き活きと描かれます。昭和天皇は、通常その存在の巨大さから、伝記というよりは昭和史概説的になってしまいがちなんですが、流石にこの時期は等身大の人間裕仁親王の魅力的な物語が紡がれます。中でも白眉は欧州外遊。国内ではどうしてもはっちゃけきれないのが監視の目も薄くなって思う存分楽しんでる姿が微笑ましく映ります。戦史だと非常に鬱陶しく感じられる児玉氏の文体もまだこの内容だとちょっと濃いめの味付け程度の味わい。その一方で、宮中某重大事件や原敬暗殺、虎ノ門事件などの重大事件もきちんと描写されており、1920年代前半の昭和史の勉強にも最適ではないでしょうか。
―君と出逢った僕は強くなれる…
昭和は遠くになりにけり。ちょっと若い子だとみんなもう平成生まれの時代になってしまいました。もうすぐ20世紀も同じことになるんでしょうね。年取ると1年が本当に早く感じます。遠からず訪れるであろう、昭和生まれが老害の代名詞になる日まで、のんびりしっかりと色んな経験を積みたいと思います。
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*1:第123代天皇。諱は嘉仁。父明治天皇、母柳原愛子。明治大帝の後を襲い即位するも生来の精薄と病弱により先帝の様な指導力は発揮できなかったが、その治世下では大正デモクラシーが花開いた。
*2:現東京都港区
*3:節子。父九条道孝、母(野間)幾子。子に昭和天皇、秩父宮雍仁親王、高松宮宣仁親王、三笠宮崇仁親王。
*4:近衛師団長。王。陸軍大将。父朝彦親王、母(泉)満喜子。久邇宮家を継承し陸軍畑で累進。皇太子の岳父として権勢を誇った。
*5:香淳皇后。父邦彦王、母(島津)俔子。子に東久邇成子、祐子内親王、鷹司和子、池田厚子、今上天皇、常陸宮正仁親王、島津貴子。
*6:中華民国第8代大総統。奉天府海城県の人。字は雨亭。父有財。満洲の馬賊から関東軍に擁立され軍閥として自立。奉天派の筆頭として東三省を牛耳る一大勢力に成長。第一次国共合作の崩壊に乗じて民国大総統に就任するも、ソ連との対立から孤立を深め、蒋介石率いる国民党軍に駆逐され下野。失意の帰路、用済みとなった関東軍により爆殺。
*7:第34・38-39代内閣総理大臣。公爵。父篤麿、母(前田)衍子。西園寺公望に寵愛され、自身の後継者に擬せられるも「革新貴族」の思想に傾倒。その出自と無責任な弁舌から上下からの信望を一身に集め首相戴冠。第一次内閣では近衛声明により日中戦争を泥沼化させ、第二・三次政権では日米交渉を不調に終わらせるなど亡国への禍根を残した。戦後、GHQに取り入り復権を狙うも戦犯指名により服毒自殺。
*8:中正。中華民国初代総統。浙江省寧波府の人。辛亥革命や北伐などでの戦功により国民党軍内で累進。上海クーデターにより国民党政府を掌握すると共産党の駆逐を企図。日中戦争の激化により、張学良の斡旋で第二次国共合作を果たし、日本軍を大陸から駆逐。戦後毛沢東率いる共産党と雌雄を決するも敗北し台湾島に逃亡し「台湾」を建国した。