脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『暗黒日記 1942-1945』

オールジャンルのオージャン : 林先生「今でしょ!」2年前俺「また一発屋か…どうせすぐ消えるんだろうな」
テレビ通して見てるだけで半端じゃなく頭がいいのがめっちゃわかりますもん。学者バカとも文化人気取りとも違うかなり貴重な人材です。


 忙しくなってきて以来、夜がしっかり眠れるようになりました。今までどんだけ楽してたんだ、自分。


艦これ進捗

  • 「迎撃!トラック泊地強襲」トラック諸島海域(E4)攻略中。第一艦隊旗艦:夕立改二。

SRWZⅢ時獄篇進捗

  • 3周目第43話「奈落への入口」暗黒魔王軍と交戦中。トップエース:オットー=ミタス@ネェル・アーガマ

暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫)

暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫)

いますぐ目を凝らしてその暗黒に

清沢洌
 明治二十三(1890)〜昭和二十(1945)年。大正・昭和のジャーナリスト。長野県南安曇郡穂高村出身。ホイットウォース大学卒業。
 1903-'05郷里北穂高村の研成義塾に学び、'06渡米、タコマ・ハイスクールに学び、ホイットウォース大を卒業。その後、'18まで邦字新聞『北米時事』『新世界』の記者となる。'20『中外商業新報』の初代外務部長、'24-'25特派員として朝鮮・中国を視察。'25『米国の研究』を発表して以来、数十冊の著書を出す。'27『朝日新聞』企画部次長となったが、'29に発表した「甘粕と大杉の対話」が右翼を刺激し攻撃のキャンペーンを受けた。これを機に『朝日新聞』を辞めた。その後『中央公論』特派員としてロンドン軍縮会議の報道に従事、'30『報知新聞』の論説委員となる。'38東洋経済新聞社の顧問、'39三木清*1・嶋中雄作*2らと国民学術協会を結成、太平洋戦争直前に『第二次欧洲大戦の研究』『外交史』などを刊行した。クリスチャンにはならなかったが、内村鑑三*3の無教会キリスト教の影響を受け、リベラルな自主独立の評論家として終始した。彼の反軍リベラリズムの強固さは太平洋戦争中の日記にうかがわれる。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

 大戦詔勅奉戴一周年記念日から志半ばで急性肺炎で急逝する直前までの約2年半を綴った日記。日に日に悪化の一途を辿る時勢を熱くも怜悧な目線で分析し続けた力作。誰に見せるものではないとは言え、そこで繰り広げられる歯に衣着せぬ地に足の着いた体制批判は「硬骨のジャーナリスト」の真骨頂と言えるでしょう。後知恵の今の目で見ても、その情勢分析と展望の正確さと客観性を感じることができるのだから凄まじいの一言です。よくあの熱狂と弾圧の中で自分を保てたもんだと。しかしながら、ジャーナリストの鑑であるということは、同時に欠点もまるっと内包してるってこと。批判の為の批判になりかけてる体制批判に、矛盾を自覚してない皇室賛美、そして何より自身らの掲げる旗に靡かぬ愚昧な民衆への徹底した侮蔑。清沢洌の偉大さを感じると同時に、日本のジャーナリズムの根源的な欠陥を感じさせてくれる一冊でした。

嫌われて疎まれてそれで世界が終るわけじゃなし

 三十路も半ばに差し掛かって、多少なりとも責任を負わなきゃならない立場になって感じるのは、「どいつもこいつも好き勝手言いやがって」の憤慨。「こっちだってわかってるけど、どないしようもないから目を瞑ってるんじゃないか」と言いたくなることがしばしばです。ああ、外野から野次飛ばすのって楽だったんだなあとしみじみ。しかし、それでも、私は「王様は裸だ」と叫び続ける道化であり続けたいと思います。裸であることが当たり前になってしまった権力者ほどの害悪は存在しないと信じますので。皆さんあなたに羞恥心は残ってますか?

Psychedelic Insanity

Psychedelic Insanity

帰ってきた今日の一行知識

戦時中「評論」という単語も言葉狩りにあっていた
畏れ多くも陛下の直属たる軍部の高邁な考えを一切忖度せず、ブン屋風情が「評」するとは何事だと噛み付かれたようです。なんとも程度の低い争いですね。まあ今の日本も欠片も進歩してませんが。

*1:代表作:『パスカルに於ける人間の研究』、『唯物史観と現代の意識』、『構想力の論理』他。

*2:中央公論社社長。『中央公論』で婦人問題等を取り上げ頭角を顕し、『婦人公論』を創刊する。後中央公論社の社長となり軍部の言論弾圧に抗い続けた。

*3:父宜之。代表作:『余は如何にして基督信徒になりし乎』、『代表的日本人』、『後世への最大遺物』他。