脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『北一輝伝』

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正論を振りかざして正義面する奴ばらには虫酸が走りますが、こうも鮮やかでカッコいい振りかざし方もあるんですね。橋下知事グッジョブ。


 冬だし大丈夫だろと室温で放置*1してた午後の紅茶の所為か、鬼のような水下痢に苦しんでます。そうか、あの「茶葉二倍」のような骨太なコクのあるボディは菌の力か。

無意識で過ぎてく時間の中で偶然君に出会った

北一輝
 明治十六(1883)〜昭和十二(1937)年。大正・昭和期の国家社会主義者。新潟県佐渡島両津湊町出身。本名:輝次郎。早稲田大学出身。
 1905上京し早大聴講生となり、'06大著『国体論及び純正社会主義』を執筆し、独特の社会主義論を展開した。幸徳秋水*2堺利彦*3らと交わり、また中国革命同盟会に加わり、宋教仁*4・張継*5らと交わった。'11辛亥革命が始まると浪人的革命家として上海に渡ったが、宋教仁暗殺後帰国。この間中国革命に絶望、反革命的立場を明確化し、'15『支那革命外史』を執筆頒布した。'18満川亀太郎*6大川周明*7老壮会猶存社に参加したが、意見が対立しまもなく脱退する。'19『日本改造法案大綱』を執筆。'20宮中某重大事件、次いで安田生命事件、朴烈怪写真事件など政界や宮廷のスキャンダルを怪文書で暴露攻撃するなどの運動を行う。'31三月事件・十月事件に関係し、陸軍青年将校との関係が深くなり、西田税*8・村中孝次*9らを通じて、彼らのクーデター計画に思想的根拠を与えた。また財閥とも関係し、池田成彬*10久原房之助*11らから資金援助を受けた。'34北派の青年将校による十一月事件が起こり、相沢三郎事件の公判の行き詰まりから運動が北の統制を離れて先行するようになると、彼の焦燥は深まり、'36二・二六事件では助言と指導とを与えた。事件後憲兵隊に引致され、軍法会議により'37.8死刑判決が決定、'37.8.19刑死した。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

 隻眼の魔王北一輝の思想と生涯を近代史の泰斗松本清張が描く一冊。清張節全開で、難解で骨太な議論をその難解さを保ったまま読みやすい読物に仕上げる無茶な力技は健在です。全部読みきったらなんだかものすごい勉強したような満足感が得られます。人気が出るわけだ。

 肝心の内容は北輝次郎時代の若書き「国体論及び純正社会主義」の内容解説と、宮内省怪文書事件以降の事件屋北一輝の軌跡。純情とすら呼べる「社会主義論」を振りかざしていた純朴な青年がどうして二・二六の黒幕と糾弾されるほどの怪人となったのかを「これぞ清張!」という見事な筆致で描出しています。ただ北の事件屋としての側面はこれでもかという位、卑俗で矮小な小悪党に描かれていますので、昭和維新の旗を掲げた殉教者北一輝を崇拝する信者の皆様は触らぬ方が吉でしょう。

取り憑かれてるなんて言ったらまた怒るかな?

 若かりし北一輝が「国体論」の中で唱えた「類神人」論*12。「類人猿」から進化し「ヒト」となった我らは「神」を目指す「類神人」のステージへと差し掛かっている。気恥ずかしくなるような若さのほとばしる稀有壮大な理想ですが、やはり政治家たるもの、これ位の情熱は持ち続けていて欲しいものです。家業を継いでとか、利権団体に担ぎ上げられてとかの、でもしか政治屋はもう沢山です。もっとも、私は政治に興味と情熱を持ってますなんて、お目々輝かせたお坊ちゃんお嬢ちゃんで、まともな奴にはお会いしたことはありませんが。

夏雲ノイズ

夏雲ノイズ

帰ってきた今日の一行知識

統帥権干犯」の概念は北一輝の発明
北が起こした、金甌無欠の大日本帝国憲法に潜む魔物。それを最も活用したのは、北が忌み嫌い、彼の命を奪った統制派となのだから皮肉です。

*1:勿論開栓済

*2:本名:幸次郎。中江兆民に師事し、万朝報・平民社で運動を展開。平民社解散後は無政府主義に傾倒し、大逆事件連座し処刑。

*3:全国労農大衆党反戦委員長。自由民権運動家として、万朝報や平民社に参画。大逆事件社会主義に傾倒し、日本共産党の結成など、黎明期の日本社会主義運動の組織化に尽力。

*4:Song Jiao-ren。湖南省桃源県の人。字は遯初。中華民国法政院総裁。日本に亡命し中国革命同士会を結成。辛亥革命後は国民党の実質的指導者として、袁世凱の暴走を牽制するも、上海にて暗殺。

*5:Zhang Ji。河北省滄県の人。字は溥泉。国史館館長。日本・フランスなどに亡命し社会主義に傾倒。国共合作に反対する国民党右派の立場に立ち、南京政府に参画。

*6:拓殖大学教授。老壮会猶存社等を結成し、アジア主義に基づく国家改造運動の拠点を形成する。

*7:拓殖大学教授。インド独立運動を支援する傍ら、日本精神復古運動を展開し、青年将校らの昭和維新運動の理論的支柱となる。戦後A級戦犯として起訴されるも、梅毒の悪化による「発狂」により釈放。

*8:陸軍騎兵少尉。父久米造、母つね。革新過激思想を抱き大川のち北の傘下で工作。相沢事件公判で活躍するも、二・二六事件連座し処刑。

*9:歩兵第26連隊付士官学校区隊長。陸軍大尉。皇道派の急先鋒として永田鉄山を痛烈に弾劾、相沢三郎の凶行を誘発。続く二・二六事件でも首魁として活躍するも行動は失敗し処刑。

*10:第一次近衛内閣大蔵大臣。父成章。三井銀行の実質的指導者として活躍するもその行動により昭和恐慌の発端を作る。三井退社後日銀総裁を経て入閣し、リベラルな財政運営を期待されるも、陸軍の圧力により失敗。

*11:田中義一内閣逓信大臣。父庄三郎。通称:「鉱山王」。「憲政の常道」崩壊後の立憲政友会総裁を長く勤め、「一国一党運動」を推進。その親軍的な姿勢は図らずも政党勢力弱体化を招いた。

*12:「類人猿より分れたる人類が其の社会的生殖作用の為めに脳髄及び神経系統を他の生物種属の対比すべからざるほどに進化せしめたる如く、『神類』に新化すべき類神人は霊能の驚くべき透哲明敏なる本能を有するに至るべし」