2chスポーツニュースナビ 【お笑い】『M-1グランプリ2008』 路上漫才出身のNON STYLEが初優勝
久しぶりにじっくり見ましたが、大分レベルが底上げされてるように感じました。例年だと箸にも棒にもかからんのが一組二組いたような気がしますが、今回は、酒が入っていた所為もあるでしょうが、ダイアンとキングコングと最終決戦でのナイツが微妙だった位で後は非常に楽しめました。しかし、今回特に印象に残ったのがU字工事とザ・パンチって相変らずイロモノ好きだな自分。
先日ネットしてたら突然アクセス不能のトラブル。さてはむにゃむにゃなサイトに迷い込んだ天罰かと大慌てで、設定確認し直して、理系の妹に訊いてシステムの復元をしても直らず。さあこれは初期化も止むなしかと覚悟を決めたところで念の為同居人に確認したところ、二ヶ月のネット料金滞納が判明。嗚呼、早まらなくて良かった。ってゆーか、俺の時間を返せ、ばか。
SRWZ進捗
- 2周目第47話「カウント・ダウン」クリア。トップエース:セツコ=オハラ@バルゴラ・グローリー。
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汚れた街の中で欲望の嵐を吹き飛ばせ!
スターリン Иосиф Виссарионович Сталин
1879-1953年。ソ連の政治家。本名:ジュガシヴィリ。
ボリシェヴィキ。党書記長。グルジアのゴリ市の靴職人*1の子。チフリス神学校を中退。早くより職業的革命家となり、カフカーズ(特にバクー)で非合法活動をやり、しばしば逮捕、流刑、逃亡を経験。論文「マルクス主義と民族問題」でレーニン*2に認められ、1912党中央委員、その「ロシア-ヴューロー」の責任者に抜擢され、機関紙『プラウダ』の編集にあたる。'17ロシア革命をリードした「党中央」(5名)の一人。'17-'23民族人民委員として、連邦の結成に成功し、'22レーニンの推薦で党書記長の重要ポストに就き、以後30年余の長期に亙り、その地位にあり、党内外の実権を一手に収めた。レーニンは『遺書』('23)でその権力集中を警告したが、'24-'29党内論争のクライマックスに、トロツキー*3・カーメネフ*4・ジノーヴィエフ*5・ブハーリン*6ら左右の論敵を退け、「一国社会主義」路線(所謂レーニン主義)を堅持し、社会主義建設「5か年計画」、農業集団化、赤軍の近代化を強行。論争はコミンテルンにも及び、ドイツ革命や中国問題でもトロツキー派は敗北し、スターリンによる党のボリシェヴィキ化・一枚岩化・大衆化路線が進行。'36「スターリン憲法」の制定で、社会主義の勝利が確認されたが、'34キーロフ暗殺事件に始まる大粛清により。'36-'37反革命裁判を氷山の一角として、多数の党幹部が処刑されたが、その真相は今日でも不明。'41首相・最高司令官を兼任。第二次世界大戦ではテヘラン('43)・ヤルタ('45)・ベルリン('45)の巨頭会談に出席、ナチスドイツの打倒に主導権をとり、その戦功により大元帥となった。死後3年目の第20回党大会('56)でフルシチョフ*7の「スターリン批判」が行われ、晩年の個人崇拝と民主主義ルールの逸脱が非難された。この批判は、中ソ論争の端緒となった。(『コンサイス人名辞典 外国編』より引用)
冷戦の立役者鋼鉄の独裁者スターリンの伝記。といっても、扱われてるのは、モスクワ裁判後の独裁確立からスターリングラード大反攻開始までの、狐と狸の化かし合いじみた、ドイツとの腹の探りあいの時期のみ。死ぬほど忌み嫌いあいながらも後ろ手にナイフを隠し持ちつつ笑顔で握手するその強心臓の外交は、平沼ならずとも「欧州の天地は複雑怪奇なり」と頭を抱えたくなります。ヒトラーやスターリンの上辺のお追従やブラフまがいの恫喝に一喜一憂する大島・松岡コンビが哀れでなりません。正直日本が真っ当に「外交」できるようになるには後数百年くらいかかりそうです。ちょっとだけアフリカの人々の気持ちが分かる気がします。あんな化け物どもに敵うかい。
他にも胸糞悪くなるような陰湿で残虐な粛清の数々もばっちり描写されておりますので、ソ連が嫌いになりたい人は是非ご一読を。頑張れば、ピカレスクロマン風の楽しみ方が出来るかも知れません。
凍りつく’別れ’の歌誰のため…
毛沢東と並ぶ、20世紀マーダーランキングの不動のツートップの片割れスターリン。何度この人の伝記や業績を読んでも、直截自分の生命利害に関係する共産圏の人はともかく、進歩的文化人のお偉方がころっと騙されて、賛美していたのか理解に苦しみます。今も昔も日本人は声の大きさを論の正しさと錯覚する悪い癖があります。先人達の失態を反面教師に声の大きな売国奴に騙されないようにしましょう。誰とはいいませんが、院政きどりの森とか田中さんちのドラ娘とか何がやりたいのか新YKKとかに。
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帰ってきた今日の一行知識
ロシア革命の主要人物の名前は殆どが正体を隠すためのペンネーム
スターリンが「鋼鉄の人」、レーニンが「レナ川の人」といった具合。日本で言えば、坂本竜馬が「才谷梅太郎」って今でも呼ばれているようなものですね。しかし、日本人の方は何か微妙にかっこ悪いな。
*1:ヴィサリオン=ジュガシヴィリ。農奴から靴職人に立身するも、アルコール依存症に陥り、家業を継ごうとせず政治活動にうつつを抜かす息子に失望しつつ病死。
*2:Владимир Ильич Ленин。人民委員会議初代議長。父イリヤ=ウリヤノフ。ロシア革命の理論的指導者として、ソビエト連邦建国に尽力。晩年はスターリンの暴走を憂いながら、反逼塞状態のまま病死。
*3:Лев Давидович Троцкий。最高軍事会議議長。赤軍を組織し、ロシア革命成功の原動力となるも、彼の唱える世界革命論はソビエトで受け入れられず、亡命先のメキシコで暗殺。
*4:Лев Борисович Каменев。全露中央執行委員会議長。トロツキー派に対抗するためスターリンを担ぐも、のち権力集中を嫌う穏健派の態度を憎まれ、モスクワ裁判で死刑。
*5:Григорий Евсеевич Зиновьев。コミンテルン議長。「レーニンの副官」としてロシア革命成就に尽力するも、レーニン晩年には袂を分かち、のちスターリン派・トロツキー派を渡り歩くも、権力回復のならぬまま、モスクワ裁判にて死刑。
*6:Николай Иванович Бухарин。コミンテルン執行委員会議長。レーニンに次ぐ共産党の理論派として、右派を主導しスターリン独裁に対抗するも、モスクワ裁判により死刑。
*7:Никита Сергеевич Хрущёв。共産党書記局第一書記。父セルゲイ。スターリン批判と対米宥和による雪どけ外交を行うも、ブレジネフらのクーデターにより失脚。