サボリの言い訳。最近調べ物の為に専門書を読まねばならない状況です。何気に暇がありません。泣き言言ってても仕方ないので、まだ一般書に近いのを一冊。黒板伸夫『藤原行成』吉川弘文館(1994)。専門書に面白さを求めるのは間違ってますが、普通に面白くないです。学問が大好きな人には宝の山なのでしょうが、そんな根性ありません。ってゆーか、何かの為にする読書ってのは何でこんなに苦痛なんでしょう。何かの対価を求めた瞬間純粋な娯楽でなくなるからでしょうか?高邁な哲学は専門外なのでとっととネタバレ注意の感想へ。
- 作者: 黒板伸夫
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 1994/02/01
- メディア: 単行本
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
完璧超人
いつもの通り、辞書から抜粋。
天禄三(972)〜万寿四(1027)年。公卿、能書家。右少将義孝の子、伊尹の孫。蔵人頭・参議などを経て正二位権大納言に至る。藤原道長の側近として公務に精励したことは、日記「権記」に詳しい。諸芸に優れ、特に書では小野道風の書を発展させた温雅な書風で、和様書道の大成者とされる。三蹟の一人で、筆跡は極官から権跡と呼ばれ、遺品に「白氏詩巻」などがあり、また多くの古筆の筆者に擬される。その家系は行成の建てた寺にちなみ世尊寺流と称され、書の主流となった。
ということで、故実に通じ、書歌をよくする能吏。と平安貴族の鑑な行成ですが、世間では、三蹟の一番マイナーな奴というのがコンセンサスでしょうか。古典に詳しい人は、清少納言の愛人の一人として名が浮かぶかもしれません。しかし、その両エピソードをばっさり削ってる辺り、世間に媚びない硬派な専門書として好感がもてます。ただ無闇に一般人の入るハードルを上げてるだけとも言いますが。
というわけで、内容は『権記』『小右記』『栄花物語』などを主に、蔵人頭として一条天皇に仕え、天皇の死後は、道長の側近として辣腕を振るった政治家藤原行成の事跡を復元するという非常に地味なものです。まともに感想書けるほど知識があるわけでもないので、比較的派手なエピソードについて雑感を少々。
刀伊の入寇
寛仁三(1019)年、女真族が九州北部を襲撃するも、大宰権帥藤原隆家(道長の甥)の活躍により撃退した事件です。当事権中納言だった行成の対応について、昨今非難囂々たるものがあるが、彼の行動には納得のいける理由があったというのがこの本での説です。興味深いので、少し解説してみます。
簡単に言えば、隆家の迎撃行動は命令書の到着前に行われたので恩賞の必要はない、と行成と公任(三十六歌仙の一人)が主張したが、斉信(道長の従兄弟)の主張により退けられる。というもので、平安時代の国防意識の甘さ、平安貴族の政治的無能力の象徴として、しばしば弾劾されています。しかし、氏は行成・公任の判断は中央政府による地方統制を第一に考えていたからであり、巷間流布されているような神威による外敵の撃退を信じていたからではないというものです。傍証として、高麗の脅威を中央政府も身近に感じていたことと、大宰府と宇佐神宮をはじめとする在地勢力との対立を上げます。特に後者は現に200年後武家政権の樹立という形で、在地勢力の底力が証明されているので、心配は当たったことになります。今も昔も有事への備えと出先機関の暴走は変らぬ懸念事の様です。特に現在は当事と比しても現地部隊の権限が曖昧なので、早急なる解決が望まれます。
まとめ
現在冒頭に書いた様な状況なので、暫く淡白な更新が続きそうですが、見棄てずに置いてくださいまし。