脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

スケについて若干の考察

 男子三日会わざればすなわち剋目して見よ。本棚直したり麻雀したりで更新できませんでした。以上言い訳終わり。さて今回はいつもの読書感想はお休みして、読者の方からのネタ振りにお答えしたいと思います。詳しくは十一月八日のコメント欄を参照して欲しいのですが、zhangtanさんから、一行知識「名前に使われる助(介・輔)は次官の意味の佐が変化したものである」に疑義が呈せられました。そこで、暇だったもとい興味があったので、四等官制について少し調べてみました。詳しい人には何を今更という内容でしょうが、是非一読の上ご批判下さい。

四等官制についての一般的解説

律令制の官職の区分の一つ。官司運営の中核を担う4等級の官職。事案を総括的に決裁する長官(カミ)、それと同じ権限を持ち、補佐する次官(スケ)、非違を検察し、事案の決裁、文書の審査などにあたる判官(ジョウ)、事案の受付、文書の作成などにあたる主典(サカン)の4官を意味し、長上、職事官である。(中略)令外官にも適用された。
             『日本史辞典』岩波書店 「四等官」の項より抜粋

です。若干捕捉しとくと、まず成立の時期ですが、原型を何処まで遡れるかはややこしすぎて理解できなかったっていうか調べる気にもならなかったんですが、一応明文化されたのは大宝元(701)年制定の大宝令から(令外官検非違使など)に適用されるのは当然もっとあとになります)です。で例の如くパクリ元は唐の官制なのですが、呼称は日本独自*1の制度みたいです。でカミの方は使われる漢字に一応の出展はあるようですが、スケは単に助けると日本で訓ずる漢字を適当に当てはめただけのようです。

スケの種類

それではスケに使われる漢字を考察してみたいと思います。

  • 「介」国司の次官。(守・介・掾・目)原義は間に入って仲介すること
  • 「輔」省の次官。(卿・輔・丞・録)原義は付き添って助けること
  • 「佐」衛門府検非違使*2の次官(衛門府...督・佐・尉・志*3検非違使...別当・佐・尉・志)原義は脇役として手助けすること
  • 「助」寮の次官。(頭・助・允・属)原義は力を添えること
  • 「亮」職の次官。(大夫・亮・進・属)原義は明るいこと*4
  • 「副」神祇官の次官(伯・副・祐・史)原義は添える・控える・予備
  • 「弼」台の次官(尹・弼・忠・疏)原義は弓矯*5
  • 「弐」大宰府の次官(帥・弐・監・サカンなし?)原義は2
  • 「佑」司の判官。司にスケがない(正・欠・佑・令史)ためジョウである佑がスケと混同され易いので注意。原義は神の助け。
  • 「祐」神祇官の判官。原義は神の助け。

これ位でしょうか。ちなみに官位相当で見た偉さの順は輔=弐≧弼>亮≧副≧佐>助>祐>介>佑(大少や各役所の序列等があるので多少の上下があります)といったところでしょうか。これからは大佑君(主水佑=正八位下)は大輔君(中務大輔=正五位上)に敬語を使うべきです。(12/11追記。位は五位以上と六位以下とで天地の差があり六位以下は地下人と呼ばれ、一般に貴族階級と呼ばれるのは五位以上からです。上記の順列では、亮以上が五位以上確定、副と佐が一部(大副・衛門佐・衛士佐)のみ従五位下に引っかかることになります。)

人名になった経緯

 ここからは完全に私個人の見解ですので、ソースは?とか言われても答えられませんのでご注意下さい。まず基本事項のおさらいから。アジア特有の風習に「忌み名」があります。語ると長くなるので割愛しますが、早く言えば人を呼ぶ際本名を呼ばず通称で呼ぶというものです。わが国では更に官職を持つ人はそれで呼びます(例:織田上総介(信長))。そのため通称と官名との区別がなくなり、一般人の名前にも使われるようになったのでしょう。そのなかで「介」だけが多用されるようになった理由ですが、一般的な傾向として、守は京都の有力貴族が任命され、次官の介は地元民が拝命されるので、庶民にも馴染みがあった、っていうか、身分詐称がし易かったのでしょう。
 なので成立の順位としては、介→助(通常の日本語でもタスケと訓ずる)→輔(偉いし箔がつく(大大名クラスを除いて武士がつけれるほぼ最高位)→佑・祐(通常の日本語でもタスクと訓ずる+助に飽きた)といったところでしょうか。
 なんか結局まとまりがない上に非常に不正確な文章になってしまいましたが、これでzhangtanさんの質問への答えとさせていただきます。私は昔から自由課題は何するかを決めるのが一番苦痛だった子でしたので、ネタ振りリクエストは大歓迎です。これからも間違いや分かりにくい点があれば報告お願いします。

懲りずに今日の一行知識

 人名に使われる丸(麻呂・麿)は魔羅が語源である
 これからは気軽に「まろ」とか言えませんね

参考文献

 鎌田正・米山寅太郎『大漢語林』大修館書店(1992)
 『日本史大辞典』岩波書店(1999)
 中田薫養老律令官制の研究」『法制史論集 第三巻上』岩波書店(1943)

大漢語林

大漢語林

*1:唐では長官・通判官・判官・主典で固定

*2:令外の官で弘仁年間(810〜24)成立

*3:現在の軍制が(元帥)・将・佐・尉・曹なのはここから。近衛府の職制が大将・中将・少将・将監・将曹。大宰府の長官が帥。官位相当だと帥・将・督・佐・尉・曹・志の順(少将のみ衛門・衛士督>左・右近衛少将>兵衛督となる) 

*4:「助ける」の意味で使われているのは。天子の忌中(すなわち大臣が政務を代行する)という意味の亮陰という熟語から

*5:弓の弾力を強化するために弓をためそらせるのに用いる器具(『大漢語林』大修館書店より)