脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『徹底分析川中島合戦』

痛いニュース(ノ∀`) : 朝日新聞「フジテレビ 反省なくして刷新なし」 - ライブドアブログ
はい皆さんご一緒に。お前がいうな。


 某所でふと目に留まったフライヤー。そこに書かれていたのは「Fetish Bar ○○○○」( ○○○○は弊社の名前)。とても見慣れた文字列につい二度見しちゃいました。今度一度接待で使って領収書に宛名書いてもらおうっと。

剛毅果断の豪傑がJust looking for a place to glory die

川中島の戦い
 武田信玄*1上杉謙信*2信濃の領有をめぐって、水内郡川中島で天文二十二(1553)年から永禄七('64)年まで争った合戦。
 謙信の出兵の名目は信玄の信濃侵略にさらされた小笠原長時*3村上義清*4などの救援にあったが、信玄の信濃領有が自らの本拠地春日山を脅かすおそれもあった。大きな戦いだけでも5度あり、とくに有名な永禄四('64)年9月の合戦では信玄と謙信が一騎打ちしたとの俗説があり、この時信玄の弟信繁*5が討死。合戦の場所は徐々に北上し、結果的には武田氏がほぼ信濃全域を領有した。(『岩波日本史辞典』より引用)


 みんな大好き川中島の戦い半藤一利が語り尽くす!という訳で骨太な議論が展開されるのかと期待したら、そこは案アイン安定のPHPで、子供の頃に聞いた講談や軍記物の記述を元に楽しく語っちゃおうっていう読み物風。こちらはどんな史料解釈がと期待して読んでるのに「自分は圧倒的に謙信ファン❤」なんて語りだすんだから開いた口が塞がりません。とここまで書けば読む価値のない本かとお思いでしょうが、あにはからんやキチンと普通に読める様になっているのは流石の半藤氏の剛腕。史料をきっちり読み解いてそれを講談や語り物の記述で再解釈するってどんな離れ業だと。PHP編集部の横着な商売根性と半藤氏の天才が奇跡的な噛みあいを見せた奇書を是非ご一読あれ。

定められた好敵手の2人は

 謙信信玄の一騎打ちを筆頭にエピソード満載の川中島の戦い。ファンが多いのもうなずけます。しかし数多ある合戦の中でもまともな一騎打ちのエピソードは川中島の戦いだけってなんかちょっと寂しいですね。日本で三国志の人気が凄まじい理由がちょっとだけわかった気がする。

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*1:晴信。甲斐守護。大膳大夫。父信虎、母大井の方。父信虎を追放し家督継承。分国法の制定や信玄堤に代表される各政策で戦国大名として強勢を誇り、5次にわたる川中島の戦いの果てに信濃を、今川義元の死に乗じて駿河を領有し一大勢力を形成。第一次信長包囲網に参加し上洛を企図するも志半ばに陣没。

*2:輝虎。第29代関東管領弾正少弼。父長尾為景、母青岩院、養父長尾晴景上杉憲政。旧名:景虎→政虎。家臣団に擁立され兄晴景を逐い家督継承。上杉憲政から山内上杉家家督関東管領職を譲られ、関東の安定を目指し武田氏や後北条氏と角逐。その間越中能登を平定し北陸の覇王となり、第二次信長包囲網に参加し信長との抗争に乗り出すも志半ばに病没。

*3:信濃守護。大膳大夫。父長棟、母浦野弾正忠女。林城に勢力を構え信濃四大将の一角として君臨するも、塩尻峠の戦いや林城の戦いに敗れ領地を失陥し流浪。最後は蘆名氏などの客将として客死。

*4:信濃葛尾城主。左近衛少将。父顕国、母斯波義寛女。武田信虎諏訪頼重と結び信濃北部を掌握。武田信玄信濃侵攻を上田原の戦い・砥石崩れの2回に亘って撃退するも、真田幸綱の調略による家臣団の動揺から頽勢に陥り上杉家に亡命、客将として川中島の戦いなどで活躍した。

*5:左馬助。父武田信虎、母大井の方。父信虎に寵愛され後継者に擬せられるも、兄晴信に臣従し信虎追放に協力。一門衆筆頭として信玄の副将をつとめるも第四次川中島の戦いで戦死。