脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『甲陽軍鑑』

痛いニュース(ノ∀`) : 人気雑誌がココイチ猛烈批判「高くてまずい」「コスパ最悪」「どうして潰れないのか意味不明」 - ライブドアブログ
カレー自体は可もなく不可もなくな味ですが、ここのサラダが大のお気に入りです。


 会社で上司が、メールのサブアカだと思って解約したのがネット全体のプロバイダだったという超ロクでもないトラブル発生。朝から職場全体が大騒動になってる中、自分が見事原因を突き止める大殊勲を挙げました。・・・言えない、すぐ気付けたのが、振込忘れでしょっちゅうネットが杜絶するんで、その際と状況が酷似*1してたからだなんて。


シレン進捗

  • 食神のほこら7F・・・店でおばけ大根に変身したまま店主に話しかけようとして返り討ち。


甲陽軍鑑 (現代人の古典シリーズ)

甲陽軍鑑 (現代人の古典シリーズ)

王の名のもとに世界を変えよう

甲陽軍鑑
 高坂弾正昌信*2著、小幡景憲*3改訂。20巻。元和年間(1615-'24)頃の成立。
 武田信玄*4・勝頼*52代の事績を通して、講習流軍学を59品に分けて説く。武士の心得書として広く読まれ、江戸時代を通じて20種近くの板本があり、写本としても流布。(『岩波日本史辞典』より引用)

 源平合戦平家物語南北朝の騒乱の太平記と並ぶ、戦国動乱のタネ本。前二著と比べてしまうと、軍略解説書という性質上、文学性は皆無なので、読み物として楽しむのはちょっと難儀。ただ信玄に仮託した箴言集は今読んでも十分に説得力があるものなので一種のビジネス本としてなら有用かも。内容は前半は前述の通りの武田信玄に仮託した甲州流軍学の解説で、後半が武田信玄元服から長篠の戦い直前までの戦国武田氏の興亡史。著者の力点は完全に前半なのに、後世の興味は逆に後半部分と言うあたり、由緒正しいトンデモ本と言えるかもしれません。江戸時代には早くも事実関係の誤りが指摘されて半偽書扱いが、新資料の発見や研究の進展で細かい間違いはあるものの全体の流れや当時の風俗はほぼ完璧に伝えられていると再評価、と毀誉褒貶甚だしい一冊ですが江戸時代が理解していた戦国史の理解には必携の一冊なのは間違いないでしょう。

宿命の血潮この躯流れてる抗うな

 今でも戦国最強の名の揺るがない名君信玄公。その「過大評価」の根源は間違いなくこの一冊にあるでしょう。やっぱり人間の評価は最後には誰と関係*6があったかってのが一番大事ですね。

帰って来た今日の一行知識

武田信玄高坂弾正に当てたラブレターが現存している
その文面から察する限りどうも信玄の方がネコだった模様。いかつい権力者が実はドMってのはフィクションの世界だけのものじゃなかったんですね。

*1:設定も環境もいじってないのに昨日の夜まで使えてたのが使えなくなってる。使えなくなったのがきりのいい日etc。

*2:信濃海津城主。弾正忠。父春日大隅、養父香坂宗重。旧名:虎綱。武田信玄の寵童から抜擢され累進。武田四天王にも数えられる活躍で、後世甲陽軍鑑の作者に擬せられた。

*3:御使番。1500石。父昌盛。秀忠の小姓として徳川家に仕え、関ヶ原の戦いや大坂の役での功により1500石となり、甲州流軍学を大成した。

*4:晴信。甲斐守護。信濃守。父信虎、母大井の方。父信虎を追放し家督継承。信濃を平定し上杉謙信川中島で角逐するも雌雄は決さず。桶狭間の戦い後の今川家の衰退に乗じ駿河平定。後北条氏との和睦により信長包囲網に参画し西上作戦を企図するも志半ばに陣没。

*5:武田。信濃守護。大膳大夫。父信玄、母諏訪御料人。信濃の名族である母方の諏訪氏家督を継ぐも、異母兄義信の失脚賜死により、ポスト信玄の最右翼に浮上。しかし、信玄の死に際し後継指名は自身ではなく息子の信勝に与えられたため、人心が離反。次いで長篠の戦いの敗北により宿老ら多数を失い国力も減退。上杉景勝との同盟や新府遷都により再起を図るも時流に抗えず天目山の戦いで敗死滅亡。

*6:好敵手とか師弟関係とか宿敵とか