脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『小説 吉田学校 第二部 党人山脈』

痛いニュース(ノ∀`) : 「かわいい美人の三宅さんを突き飛ばした!」 民主・強行採決で倒れた三宅氏、車イスで国会へ→自民党議員に懲罰動議も - ライブドアブログ
これはひょっとして我々相当馬鹿にされてませんか?民主党ってか小沢は時々果てしなくアホなことするなあ。


 引っ越しまで後1週間全く何も準備してません。さあどうしよう。ってかこの下り半年前にもやったな。


SRWZ進捗

  • スペシャルモード2周目第39話「レイズ・ザ・フラッグ」コーラリン・アゲハ隊と乱戦中。トップエース:セツコ=オハラ@バルゴラ・グローリー。

小説吉田学校〈第2部〉党人山脈 (人物文庫)

小説吉田学校〈第2部〉党人山脈 (人物文庫)

例えば誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして

吉田学校
 吉田茂*1の独自体制を支えるために集められた国会議員のグループを指す。吉田と同じ官僚出身が多数を占めていた。吉田学校出身者では池田勇人*2佐藤栄作*3らが最も有名。
 外交官から突如、自由党の総裁に就任することになった吉田には、戦後改革を遂行する上で、自分の手足となる忠実な部下が少なかった。更に、吉田は党人派の議員たちが戦前軍部に屈したことや党人派の行政手腕や政策立案能力などに対し、強い不信感を抱いていた。こういった理由から、吉田は自身と同じ高級官僚を政界に引き入れ、自派の勢力を充実させるとともに、戦後の混乱期を収拾できる行政能力を高めようと努めた。1949吉田は第24回衆議院議員総選挙公職追放された旧勢力の公認候補の代わりとして、各省庁から有能な官僚を送り込み、結果総選挙に圧勝した。吉田はこれら吉田学校生らを強いリーダーシップで率い、戦後日本の政治体制の基礎をかためた。(wikipediaより引用)


 吉田学校の看板は何処へやら今回の主役は鳩山一郎。政権発足から勇退までを日ソ国交回復交渉を軸に丁寧に描きます。対する吉田学校の面々は外野でごにょごにょ妨害工作やってんのと、蛇足の様に付け足された駆け足の岸・池田政権物語で岸と佐藤の兄弟間の池田・佐藤の「同窓生」の複雑な思いが描かれているくらい。保守本流びいきの皆さんにはちと物足りないかも知れませんが、それを補って余りあるくらい鳩山一郎とその両腕たる河野一郎三木武吉の八面六臂の活躍に溜飲が下がります。その一方で、普段は穏健派の名外交官として描かれることの多い重光葵が、これでもかとぼろくその悪役に描かれているのが新鮮。親分アメリカの顔色を伺い、因循姑息なる小手先の策略で無駄に時間を浪費するその姿は小悪党以外の何者でもありません。
 そんなこんなで、タカ派よりの作家さんの本ばかり読んでいると意外と見逃しがちな鳩山一派の無双劇や重光の醜態などなかなか新鮮な読後感がありますので、戦後政治史に興味のある方は是非一読を。最近の頭でっかちのろくでなし揃いの政治家連が失くしているものはなんなのか思い出させてくれます。

違う僕らが見ていたいのは希望に満ちた光だ

 祖父一郎とは逆のベクトルで我等の期待に応えまくってくれている鳩山兄弟。特に鳩山"ルーピー"由紀夫君に至っては、アジアの迷独裁者達に伍すかのごとく最早レジェンドの風格すら漂わせ始めています。さあ日本はそんな怪物の跳梁に何処まで耐えることができるのでしょうか。歴史家としては楽しみでならないのですが、同じ時代と国に生きる一市民としてはたまったもんぢゃあありません。この狂騒曲を一刻も早く終わらせる為にも、有権者の皆さん次の参院選では是非とも冷静な行動をお願いいたします。次こそは多分冗談じゃ済みませんよ。

HERO (通常盤)

HERO (通常盤)

帰ってきた今日の一行知識

択捉島沖縄諸島全部足したより大きい
…北海道ってほんとうにでっかいどーなんだな―…byヒロ&沙英。いつまでも沖縄で揉めてるより、租借を条件にアメリカさんに北方領土を奪還してもらってそこを基地に提供するってのはいかがでせう。そのためにも、プーチン大総統閣下もっと強く危なくなってね。

*1:第45・48-51代内閣総理大臣従一位大勲位。父竹内綱、母瀧子、養父吉田健三。戦前は親英米路線の外交官として活躍。戦中は東条に憎まれ逼塞。その為、戦後追放処分を免れ、公職追放された鳩山一郎の代わりに首相就任。「和製チャーチル」と呼ばれる辣腕で、憲法改正・農地改革・サンフランシスコ講和条約締結などの難事業を成し遂げた。

*2:第58-60代内閣総理大臣。正二位大勲位。父吾一郎、母うめ。戦前から大蔵官僚として頭角を顕し、戦後吉田学校の双璧として政界デビュー。吉田直系として岸の後を襲い組閣。所得倍増計画を掲げ高度経済成長を成し遂げた。

*3:第61-63代内閣総理大臣従一位大勲位。父秀助、母茂世。戦前から運輸官僚として頭角を顕し、戦後吉田学校の双璧として政界デビュー。吉田直系として池田より禅譲され組閣。前政権で経済政策に隠れ軽視されがちだった外交政策に積極的に取り組み、日韓基本条約沖縄返還などの外交課題を解決し、ノーベル平和賞に輝いた。