脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

昨日は月曜日だったと岸家家系図と足利義昭について

お茶妖精:外国人が語る「かっこいい日本の苗字」
外人が日本の英語氾濫をみるとこんな気分になるのかなぁ。


 昨日の続報。釣堀で釣った鯛9匹を刺身・塩焼き・鍋・あら汁・茶漬けその他諸々で食い散らかしました。日本海が少し好きになりそうです。

黒い太陽が沈まぬ街で誰もが黙って奇術めき働く

昨日は月曜日だった

昨日は月曜日だった - 脱積読宣言

昨日は月曜日だった
 シオドア=スタージョン*1作。『アスタウンディング』のキャンベル編集長が同時に手がけていた、「理屈の通ったファンタジー」を誌風とする『アンノウン』の一九四一年六月号に発表された。着想自体はのちのフィリップ・K・ディック*2作品と通じなくもないが、それがスタージョンの手にかかるとこんな作品に化ける。(『20世紀SF 1 1940年代』より引用)

 世界は稠密に作られた舞台セットで我々人間は台本通り演じる役者。という世界観の嚆矢。になるのかな。「昨日は月曜日だった」とありふれた単語だけで異常な空気感を見事に表現しきった秀逸なタイトルが印象的なシオドア=スタージョンの短編。今の目から見たらさしてSF的に新しいところもない作品ですが、狂った世界に流れるどこか間抜けで優しい空気は特筆物です。「守護天使」なんてのがひょこっと出てくる辺りにメリケン人の天使好きが感じられます。

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安倍洋子+家系図

おまえが消えて喜ぶ者に お前のオールを任せるな - 脱積読宣言

安倍洋子
 昭和三(1928)年東京都生まれ。元総理岸信介*3の長女。1945白百合高等女学校卒業。’51安倍晋太郎(元外相)*4と結婚。’58安倍晋太郎衆議院議員初当選以来、選挙や外遊などに内助の功を尽くす。現在*5、国際婦人福祉協会の募金委員、社会福祉法人北海療園(重症心身障害児施設)の名誉顧問、山口県同門会(茶道表千家)福祉部長他を務める。(『わたしの安倍晋太郎岸信介の娘として』より引用)

家系図
 血縁や結婚の関係を表した図。系図。(『広辞苑 第五版』より引用)

 
 父と叔父と息子が総理大臣という恐ろしい家系に生まれた安倍洋子女史の家系図こちらが一番分かりやすいでしょう。以上

 で終るのもあれなので、一応解説。洋子が生まれた岸家は厳島の合戦で船の調達に功のあった帰化人「ガン」を祖とすると伝えられる周防の田布施の代官の一族で、夫は長門の日置で醸造を営む豪商の一族の出身。と典型的な地方の名士な家系図となっています。因みに父方の佐藤家は佐藤忠信の末裔だそうです。

わたしの安倍晋太郎―岸信介の娘として

わたしの安倍晋太郎―岸信介の娘として

足利義昭

最高のギャンブル - 脱積読宣言
ミエナイチカラ〜INVISIBLE ONE〜 - 脱積読宣言

足利義昭
 天文六(1537)〜慶長二(’97)年。室町幕府15代将軍。足利義晴*6の子、母は関白近衛尚通*7。旧名:義秋。
 幼時、奈良の興福寺一乗院に入り覚慶と号す。1565将軍足利義輝*8が三好義継*9松永久秀*10に殺された時、細川藤孝*11に擁されて近江に逃れる。’66還俗して義秋と称し、従五位下右馬頭に叙任。’67越前に朝倉義景*12を頼り、’68.4元服して義昭と改名。’68.7織田信長*13に迎えられ、近江の六角氏、次いで三好・松永勢を破って、’68.9.28入京。’68.10.18従四位下征夷大将軍となる。’69従三位権大納言。のち信長と不和となり、武田信玄*14はじめ毛利・朝倉・浅井・本願寺などの反信長勢力を糾合し、’73京都で挙兵したが敗れて和議を結ぶ。’73再び宇治の槇島城に拠って挙兵したが信長に攻められて陥落。河内国若江に移されて全ての官位を奪われ、ここに室町幕府は滅亡した。その後、’76紀伊から備後鞆津に移り、毛利輝元*15を頼って幕府再興を図る。これが信長の中国攻略の原因となる。’87全国統一後の豊臣秀吉*16に招かれて大坂に移り、1万石を与えられてその保護を受けた。’88出家して昌山と号し、また准三宮となった。’97大坂で没した。戒名は霊陽院昌山道休。(『コンサイス日本人名事典 改訂版』より引用)


 ある人曰く室町幕府に止めを刺した愚鈍な傀儡将軍。またある人曰く類まれなる外交センスを駆使し魔王信長を二度まで追い詰めた天才謀略家。と、語る人によって毀誉褒貶の甚だしい室町幕府最後の将軍。以下彼の人生を駆け足で紹介します。

 彼が歴史の表舞台に登場するのは兄義輝が三好長慶に殺された永禄八(1565)年。捲土重来を期す細川藤孝に担がれて、一乗谷の朝倉家に逃げ込んだ時から彼の波乱万丈の生涯が幕を開けます。転がり込んだはいいもののまるでやる気のない朝倉義景に業を煮やした義昭・藤孝主従は、同じく食客として一乗谷に滞在していた土岐頼芸の伝手で美濃の斎藤龍興に接近を図りますが、折悪しく成長著しい織田家の圧迫であっさり斎藤家は滅亡。仕方なく自称「信長の正妻濃姫の遠縁の親戚」という限りなく胡散臭い明智光秀を仲人に織田家に鞍替えします。
 結果は皆さん知っての通り。日の出の勢いの信長軍を止められるものなどなくたったの三月で念願の入京。征夷大将軍となった彼の感激は甚だしく、信長を副将軍や管領に推挙し、「親父殿」と呼び慕っていました。しかし、アンシャンレジームの権化と破壊神の蜜月が長く続くわけもなく、僅か数年で両者の仲は決裂。浅井朝倉山門本願寺武田の信長包囲網を編み上げ信長を窮地に追い詰めますが、後一歩の所で武田信玄の急死により崩壊。延暦寺・浅井・朝倉と各個撃破で近畿を完全に信長に掌握され、命からがら単身中国の毛利氏の下に逃げ込みます。
 普通はここらで政治生命は終わりのはずですが、彼の凄いのはこれから。兄の仇松永久秀を赦し、不倶戴天の上杉・本願寺両勢力の和解を仲介するなどして、毛利松永本願寺上杉の第二次信長包囲網を完成させます。しかし、時代に見捨てられた人間の悲しさ、上杉謙信の急死を契機に最後の大博打もあっさり瓦解しました。
 秀吉の時代となると名を道休と改め、秀吉の茶坊主として命を繋ぎます。そこまで落魄しながらも、秀吉の再三の源氏の棟梁の名跡を譲るようにとの要求を敢然と突っぱねるなど、最後まで意地を張り通す雄姿は彼を英雄豪傑の一人に数えるに足るものだと思います。

足利義昭 (堂々日本人物史―戦国・幕末編)

足利義昭 (堂々日本人物史―戦国・幕末編)

ネジの途切れた夢はどこに向かってゆく

 父安倍晋太郎の悲願を背に、母洋子だけでなく全日本人の期待を背に立った安倍晋三氏が歴代有数のみっともない最期を迎えて早数ヶ月*17。彼は家系図がどれだけ立派でも本人の能力のお墨付きには一切ならないという当たり前の真理を我々日本国民に思い出させてくれました。 「昨日は月曜日だった」のスタージョンが提唱した通り九割方が屑なこの世界。足利義昭のように狡知に長け、小泉純一郎に負けぬ位のパフォーマンス能力を持った名宰相の出で来る日は訪れるのでしょうか。願わくはその日まで日本の国の命脈のもちますように。

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*1:代表作:「人間以上」、「ゆるやかな彫刻」、「夢見る宝石」他。

*2:代表作:「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」、「追憶売ります」、「少数報告」他。

*3:第56-57代内閣総理大臣大勲位菊花大綬章。父佐藤秀助、母モヨ、養父岸信政。弟に佐藤栄作、孫に安倍晋三日米安保改正を強行。

*4:福田赳夫改造内閣官房長官。勲一等旭日桐花大綬章。父寛、母(大島)静子。息子に晋三。自民党ニューリーダー「安竹宮」が一。

*5:1992.4.29現在

*6:室町第12代将軍。右近衛大将。父義澄、母日野永俊女。

*7:慶寿院。子に足利義輝・義昭

*8:室町第13代将軍。左近衛中将。父義晴、母慶寿院。旧名:義藤。通称「剣豪将軍」

*9:河内の戦国大名左京大夫。父十河一存、養父三好長慶。旧名:十河重存。

*10:大和の戦国大名。弾正忠。日本初の天守閣を建築。

*11:号は幽斎。宮津の大名。大蔵卿。父三淵晴員、母清原宣賢女、養父細川元常。古今伝授を受ける。

*12:越前の戦国大名。左衛門督。父孝景、母高徳院。旧名:延景。

*13:尾張戦国大名。右大臣。父信秀、母土田御前。「第六天魔王」を自称し、中世秩序を破壊。通称「尾張のおおうつけ」

*14:晴信。甲斐の戦国大名。大膳大夫。父信虎、母大井の方。「風林火山」の旗で有名。通称「甲斐の虎」。

*15:長州藩初代藩主。権中納言。父隆元、母尾崎局。祖父に毛利元就五大老が一。関が原の戦い西軍総大将。

*16:関白。太政大臣。父弥右衛門、母大政所。旧名:木下藤吉郎羽柴秀吉。通称「はげ鼠」「豊太閤」。

*17:本稿執筆は'07.12/18