脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『巨魁〜岸信介研究〜』

http://news4vip.livedoor.biz/archives/51047056.html
全国で財政難にお嘆きの中小神社仏閣経営者の皆さん、これはいいビジネスモデルだと思います。プライドを捨てて地元出身のクリエーターとのコラボを図ってはいかがでせうか。


 ザ・祝儀貧乏。運転資金がショートしかけてます。日本に旧弊悪習の多かれども、人の幸せを祝う気を根こそぎにしてくれる御祝儀の制度は早急な改革が望まれます。


巨魁―岸信介研究 (ちくま文庫)

巨魁―岸信介研究 (ちくま文庫)

おばけの世界はな あるさお前の家のそば

岸信介
 明治二十九(1896)〜昭和六十二(1987)年。昭和期の政治家。佐藤栄作*1の兄。山口県出身。東京帝国大学卒業。農商務省に入り、1936満州国産業部次長となり、「満州国革新官僚の筆頭と目された。帰国後、'40商工次官、'41東條内閣の商工相、'42翼賛選挙で翼賛議員として当選。東條内閣の戦争経済の推進に積極的な役割を果たしたが、'44辞職を拒否して東條内閣倒壊の一因を作った。敗戦後、A級戦犯として逮捕。公職追放中は東洋パルプ会長・日本鋼材商事会長などをつとめ、追放解除後、'52衆院議員当選。自由党憲法調査会会長となって憲法改正再軍備を主張し、タカ派の領袖となる。'54鳩山一郎*2らと共に自由党を除名され、日本民主党創立に参加、幹事長となる。'56自民党総裁選で石橋湛山*3に敗れたが、石橋内閣の外相に就任。'57石橋の病気辞任後、総裁を引継ぎ、内閣を組織。'60まで3期にわたり首相をつとめた。岸内閣は、日中貿易交渉を中断させ、警職法改正により戦前の治安体制の復活を企図し、更に安保条約改正を強行するなど、対米従属的な強硬政策を続けたが、'60安保闘争の高揚によって辞職した。その後は自民党顧問となり、'69沖縄返還交渉の際には単身渡米してニクソン*4大統領と会談、裏交渉に積極的役割を果たした。また憲法改正や台湾政権との結び付き強化などに活躍した。(『コンサイス日本人名事典 改訂版』)

 昭和の妖怪岸信介A級戦犯の過去と安保条約改正強行で大変人気のない彼。家の父なども、日本の戦後処理失敗の象徴として岸信介を忌み嫌っていました。この伝記の作者もそれに違わず、岸をぼろ糞に貶めんが為にこの一冊を書いているのではないかとすら思える節があります。少年青年時代の多分の美化の入ったエピソード一つ一つに言わずもがなの横槍を入れ、普通にいい話も無理矢理悪徳政治家岸信介の萌芽にされているのが、苦笑を誘います。
 肝心の事跡の紹介の方は、自民党結成までは駆け足、首相就任後は負の側面ばかりが強調され、正直人間岸信介や同時代の理解の参考にはちと使いづらい気がします。ただ、ノンフィクションライターとして各種雑誌の連載でならした作者の文章力は確かなもので、つっかえずにすいすい読むことが出来るので、読み物としてはそこまで捨てたものではないのではないでしょうか。安倍前首相の失脚で完全に時期を逸した観はありますが、よくも悪くも自民党を完成させた男の一代記。読んで損は無いとお勧めできます。

おばけは闇の中 高い空からみてるのさ

 反動勢力の象徴として、良心的文化人様からは悪の権化の様な扱いをされている岸信介ですが、戦後日本の首相として五本の指*5に入る名宰相であったと言っても過言ではないでしょう。憲法改正や台湾との連携強化など岸信介が理想に掲げつつも為し遂げられなかった政治課題は現代日本でも喫緊の問題として今も残り続けています。多少なりとも左翼の猛威が緩まった現在、彼が首相だったらばと願ってしまうのは人情。その夢を背に立った不肖の孫息子は何も出来ぬまま政界を去りましたが、終生のライバル吉田茂の孫の方は我々の期待に応えてくれるのでしょうか。麻生さん福田や小沢にこの国を任せるのは我々の本意ではありません。再起を期待してますよ。

ゲゲゲの鬼太郎 80's ED - YouTube

*1:第61-63代内閣総理大臣大勲位菊花大綬章。父秀助、母茂世。沖縄返還を実現。ノーベル平和賞受賞。

*2:第52-54代内閣総理大臣大勲位菊花大綬章。父和夫、母春子。孫に由紀夫・邦夫。自民党初代総裁。日ソ国交回復を実現。

*3:省三。第55代内閣総理大臣勲一等旭日大綬章。父杉田日布、母(石橋)きん。

*4:Richard Milhous Nixon。第37代アメリカ大統領。父フランシス、母ハンナ。ベトナム撤兵・中国承認を実現。デタントを推進。ウォーターゲート事件で辞任。

*5:残りの四人は吉田茂池田勇人小泉純一郎が鉄板で残り一枠を田中角栄中曽根康弘が争う感じでしょうか。