脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『人物叢書 石田三成』

痛いニュース(ノ∀`) : 【麻生】不信感があると言ったのは誰ですか→それは言えません→そうですか - ライブドアブログ
これぞ「本物」の政治家のあるべき姿。安倍さんには統一地方選でド派手に負けてもらって、麻生新総理の誕生の運びとなるのが私の望みです。なお当サイトは麻生太郎氏を熱狂的に、前原誠司を消極的に応援してます。


 三行半を叩き付けたはずが、情にほだされ、結局未だに政治活動手伝っています。この優柔不断さが私の欠点でしょうか。とまれ、十日余り手伝った感想としては、「政治に興味を持つ学生なんかに碌なのはいない」です。

石田三成 (人物叢書)

石田三成 (人物叢書)

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石田三成
 永禄三(1560)〜慶長五(1600)年。安土桃山時代の武将、豊臣政権の奉行人。近江の人。父は隠岐守正継*1。長浜時代の豊臣秀吉*2に見出されて近侍、1585秀吉の関白任官時に、従五位下治部少輔。’86頃から堺奉行。九州平定時には博多再興に尽くす。文禄の役では船奉行を務め、秀吉の渡海延期後は大谷吉継*3増田長盛*4らと朝鮮に赴き現地軍を指揮。政権内ではとりわけ政務に卓越し、太閤検地の全国展開に果たした役割は大きい。’95近江佐和山19万4000石の城主。五奉行の一人。関ヶ原の戦いでは西軍の実質的な総帥。敗戦後、京都六条河原で斬首。(『岩波日本史辞典』より引用)

 
 バキバキの学術書石田三成というかなり講談向けの題材をここまで無味乾燥に冷静に分析できるってのも一つの才能かもしれません。 
 読み物としての「石田三成」を堪能したければ、堺屋太一の『巨いなる企て』をオススメします。秀吉亡き後着々と覇道を歩む大王家康に、義のためにと蟷螂の斧を振りかざす官僚三成奮戦記といった斬新な視点でかなりお気に入りの一作です。


 さて感想がこれだけでは寂しいので石田三成の業績略記。太閤検地朝鮮出兵は正直訳わかんない面白く書けそうにないし、関が原の合戦は以前書いたので、秀吉死後〜関ヶ原の合戦前日の動向を紹介します。

 秀吉死後、喪もまだ開けやらぬうちから遺言を無視した家康の傍若無人な地盤固めが始まります。しかし、伊達・福島・蜂須賀各家と婚姻を結ぼうという動きは利家・三成の掣肘で頓挫し、家康も一旦豊臣政権への叛旗を下げました。
 ことが動くのは重鎮利家の死後。人望篤い彼の亡き後、豊臣政権は事実上三成一人の手に委ねられますが、人気皆無の彼にそんな重責が務まるはずもありませんでした。文禄の役の際仲たがいしたままの加藤清正黒田長政、秀次失脚の際の仕置きで恨み骨髄の浅野幸長らを筆頭とした武断派七将*5のクーデターにより失脚。自身の機転と豊臣恩顧の武断派の勢力伸張を嫌う家康の助け舟とで命だけは助かりますが、領国の佐和山への引退を余儀なくされます。
 以後家康は武力行使による示威行動の標的を加賀前田家に定めますが、前田家は芳春院と利長の機転により虎口を逃れ、結局会津上杉家がターゲットとなり、会津征伐の軍が起されます。この露骨な挑発に三成は乾坤一擲の大勝負に出て天下分け目の関ヶ原の幕が開くのでした。

いつか読んだ小説めくるみたいに 思い出すのさ

 太閤検地の完遂、朝鮮出兵の滞りない兵站と、官吏としては非常に有能だった三成ですが、いかんせん人付き合いが苦手だったようで、武断派の連中以外の西軍内からも悪評が絶えません。徳川時代になってからの創作が多分にあるにせよ、この嫌われ方を見るに、三成はよっぽど性格が悪かったのではないでしょうか。いくら仕事ができても、人間関係おろそかにしてると、本気で切羽つまった時に痛い目見るっていういいお手本ですね。
 昨今の高等教育では、起業や株式運用などに力をいれ、「優秀な人材」の育成に励んでいるようですが、頭でっかちのプライドだけ高いもの知らずを量産しても、世間にいらぬ波風を立てるだけではないでしょうか。堀江や村上が典型です。もっと教養の価値を再認識するべきではないでしょうか。
 以上、最近身の回りに、仕事はできるけど、礼儀と口の利き方と常識を知らないノータリンが急増中の管理人の愚痴でした。

今日の一行知識

伊達政宗の花押には目がある
豊臣秀次の謀反計画に加担した容疑で取り調べられた際、秀次に送った書状を突きつけられるも慌てず騒がず「この書状は贋物です。」の返答。「私の花押には針で目を開けてありますが、これにはありません」。はなからやばいと感じてわざと目を開けていない書状を送ってたんでしょうが、用心深く洒落っ気の強い政宗らしいやり口です。しかし、他の方法もあっただろうに目にこだわるとは余程片目なのがコンプレックスだったんでしょうね。

メロスのように

メロスのように

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*1:近江の大名。

*2:関白。父木下弥右衛門、母大政所。旧名:木下藤吉郎羽柴秀吉。幼名:日吉丸。通称「猿」「はげ鼠」「豊太閤」

*3:吉隆。敦賀の大名。刑部少輔。父盛治、母東殿。

*4:大和郡山の大名。右衛門少尉。五奉行が一。

*5:加藤清正福島正則黒田長政加藤嘉明細川忠興池田輝政浅野幸長