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大陸のスケールの前では島国の小賢しい工夫が空しく成ります。
最近軽めの本が続いたので、たまには歯応えのある奴を。倉田百三『出家とその弟子』(1927)岩波文庫 剛田ジャイ雄*1氏の強いお勧めで購入した一冊です。氏とは同じ真宗門徒ではあるのですが、福井の厳しい冬に鍛えられた真面目な信者と、瀬戸の温暖な気候に甘やかされた安芸門徒。地域性の違いが感想にどんな影響を与えるでしょうか。それでは以下ネタバレ注意
- 作者: 倉田百三
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/05/16
- メディア: 単行本
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君をずっと放さないから
内容は親鸞の信仰生活を綴った戯曲。読みやすくストレスなく読み進めることが出来ます。それでいて内容は高尚で、真の信仰とは何かを深く心に問いかけます。忙しさに心を失いがちな昨今、人間らしさとは何かを自問する余裕を持ってみませんか。きっとそれはとても豊かな人生に繋がるはずです。
以上義理立て終わり。以降悪口雑言タイム。ファンの人と真宗の坊様は閲覧禁止。
まず私は戯曲という表現形式自体に大いに疑問を持っています。劇にすることを前提としている為、小説としては非常に無駄が多く洗練されてない文章とならざるを得ません。具体的にいうと、台詞がいちいち説明的で泥臭さが拭えません。更に、感情表現を演者に丸投げしている為、心情描写がどうしても淡白になってしまっています。劇と小説、全く違う土俵で表現するのであれば、それなりの翻案は必須だと思います。シナリオを読まされても、読者は面白くありません。
ついで重箱の隅。時代考証の概念のほとんどない大正期の作品にけちつけるのは野暮かと思いますが、文化風俗がどう贔屓目に見ても江戸後期か下手したら明治期のものにしか見えません。疑い始めればきりがありませんが、披瀝されている教義も怪しい気がします。正座の痛みに負け、御講話に「はよ終われ」以外の感想を抱いたことのない不信心者の目で見ると、この教義かなりキリスト教入ってませんか?「我らを創り給うた仏」とか「人間の持つ原罪を全てを背負って死なれた阿弥陀仏」だの怪しさ爆発です。これは自身のキリスト教的信仰を親鸞に仮託したものと解釈すべきなのでしょうか。時代背景や文化風俗が気になる半端な歴史屋にはそこら辺の現実との齟齬に感情移入を阻害されてしまいました。
もう一度この場所で出逢えるなら
結論。真面目な信仰告白に文学性娯楽性を求めるのは野暮。私のように宗教を政治と文化と歴史のフレーバー程度にしか考えてない悪人より、人生に懊悩し救いを求める善男善女にこそ必要な本かも知れません。「宗教は麻薬」とはマルクスの至言ですが、麻薬も少量なら生の苦痛と死の恐怖を和らげる良薬です。どしどし利用しましょう。溺れてそれ無しでは生きれなくなっては本末転倒ですが。
今日の一行知識
キリスト教以前日本では愛とはもっぱら肉欲のことをさしていた
freedom*2やloveを謳う日本人が胡散臭く感じられるのにはこんなところにも理由があるのかも知れませんね
- アーティスト: Gackt,Gackt.C
- 出版社/メーカー: 日本クラウン
- 発売日: 2005/09/21
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*1:http://blog.goo.ne.jp/event-horizon_singular-point/
*2:自由も元は「我侭勝手」という否定的な意味。