脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

三筆三蹟について

 風邪うつされた。さっさと病院行って治そうと思います。

 といった状況なので手抜き更新。先日半日ででっち上げた原稿が、適当なことすんなと見事にダメだし喰らったので、こちらに転用したいと思います。どうも事前に昨日の更新を見られてたのが致命傷だったようです。

三筆三蹟の成り立ちについての非常に大胆な仮説

 書の名手として名高いこの六名だが、三筆と三蹟では位置づけ意味づけに大きな相違が感じられる。改めて後世の「和様」の日本書道を見直すと全てが究極的には行成を祖としているのが分かる。後代に空海の天才を真似れたものは存在せず、影響を感じさせるものすら極少数である。更に三筆がほぼ同世代の人物であるに対し、三蹟は合計で約百年の幅を持つ活躍した時代の重ならない三人で構成されている。我々は「和様の創始者」この称号を両者共通のものとして簡単に扱い過ぎてはいないだろうか。
 嵯峨帝・空海橘逸勢この三人に褒め言葉のつもりで「和風の書の名手」と言うと、全員間違いなく烈火の如く怒り出すだろう。遣唐使に選ばれた当代のスーパーエリートの空海・逸勢はもちろん、唐に憧れ官名・門名を唐風に変更した嵯峨帝も、遅れた日本を先進国たる唐に一歩でも奮戦努力した人物である。彼らの矜持は日本にあって誰よりも唐を体現したと言うところにあったのである。今の目で見て唐風との微細な差異をあげつらい、無理に和様への移行者と位置付けるのは歴史家の傲慢であろう。彼らは飽くまで、たまたま生まれた場所が日本だった誇り高き「中国人」なのだ。
 三筆を和様の創始者の地位から引き摺りおろした以上、その栄えある地位は必然的に三蹟が担うこととなる。ではその中でも最古の道風を安易に和様の祖と断じていいのだろうか。その観点で道風を捉えると、彼の極官正四位下という地位は低すぎる。幾ら政治的地位と芸術的価値は別物だと言っても、人生のほとんどで貴族ですらなかった一介の地下人が文化的エポックを作れるほど、日本文化は脆弱ではなかろう。*1彼はおそらく処世の手段として当時の風潮に従い求めに応じて書を書き散らかしたのに過ぎないのではないか。そして彼と同じ位のレベルの書家は同時代に多く存在したのではなかろうか。それが現代ここまで珍重されるのは、和様を完成させた行成が賞玩し、師と仰いでいたからに他ならないだろう。三蹟といっても一くくりに纏められる同質の三人の集合ではなく、後世の書家らが自身の源流となる行成を讃え、三筆との同等性を持たせるために三蹟という集団を作り出したのだろう。行成が師とした道風、道風と行成の間の時代を埋める当代の名手佐理。今から見ると佐理だけが書風も違い、前代の唐風を引き摺っているのはご愛嬌だろう。
 以上のように、三筆は弘仁期に花開いた唐風文化の権化(三筆が制定された時代唐はすでに衰退期に入っており、本土でも空海に比肩するほどの書家は稀だった。)であり、三蹟は後代から見た際に自身の源流となる行成に至るまでの道程という位置づけこそが正しいのであろう。

逸勢・佐理の違和感

 上記でも軽く触れたが、三筆・三蹟と一くくりにしてもその質には著しい差異がある。卓絶した存在としての空海・行成にそれと関係の深い人物嵯峨帝(庇護者)・道風(心の師)。ここまでは分かる。しかし、真筆の一枚すら残っていない逸勢、残りの二人と大きく統一感を欠く佐理。この二人が混じっているわけは何故だろう。
答えは簡単で、「非業の人生」これがキーワードになるだろう。梅原猛井沢元彦を引くまでもなく、古代以前の日本文化に怨霊信仰が黒い影を落としているのは明らかである。三筆の呼称が世に現れるのは橘氏の勢力が大きく後退するのとほぼ同時期である。滅び行く橘氏への哀歌として、承和の変で謂れなき罪を蒙り死んでいった逸勢に三筆の称号が与えられたのではないだろうか。そう考えると上述の説も怪しくなる。空海の偉業を顕彰するために三筆の称号が生まれたのではなく、逸勢を悼む時彼の事跡として特筆できる書道で顕彰しようとしたところ、同時代に同ジャンルで到底無視することできない怪物空海が居たためやむなく一まとめでの表彰となったのではなかろうか。二では中途半端になるため吉数の三にするため同時代人の嵯峨帝が選ばれたのだろう。自説ながら突飛に過ぎる考察だが、六歌仙などを思えば、さほど無理のある説でもない、と弁護してみる。
ついでに佐理の場合。これは簡単で、道風行成間の書の名手というニッチジャンルで一番目立ったのが彼だったというだけであろう。後世「如泥人」と揶揄されるほどの奇行で、最後には大宰府に左遷される彼、数合わせにしたら十分すぎる存在感であろう。現世では身を滅ぼした愚行が、後世に美名を残す助けになろうとはなんとも皮肉なことである。 

まとめ

 我が事ながら、資料の裏付けの欠片もない非常に冒険的な文章です。ダメだし喰らって当然な気がします。とはいえ、個人的には結構気に入ってる文章なんでそのまま成仏させるのが惜しかったんで、転載してみました。ご意見ご批判お待ちしております。あと普段と文体が違うのはジャンルの違い故と笑ってスルーして下さい。手直しすべきなんでしょうが面倒臭いのでパスです。それじゃあ今日はこの辺で。

今日の一行知識

空海最澄の仲が悪くなったのは、最澄が借りた本を返さなかったから
本の返却期限は守りましょう。

*1:この文章を書いた時点では極官従五位下と勘違いしていました。しかし、調べなおしたところ上記の如く正四位下内蔵頭というとても低いとは言えない地位にまで昇進していました。なので、ここら辺の論考は非常に無理のあるものになっております。後日改めて訂正される可能性大です。