脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『東京イワシ頭』

 予告からはや一週間管理人の性格が知れます。なにごともなかったかのように本編へ。杉浦日向子『東京イワシ頭』講談社文庫(1996)。今年七月惜しまれつつも亡くなった氏が、漫画から文筆業に転進する移行期のエッセイで、一冊の本の中で徐々に文章がこなれ完成する姿が見て取れます。全共闘世代の西洋礼賛のアンチテーゼとして「江戸漫画」を連載し現在の「江戸ブーム」の端緒を開いた氏といい、見沢知廉*1といい、バブル期に次期のサブカルチャーの旗手として期待された二人が作品を大成させることができぬまま、亡くなってしまったのは、バブルの完全なる失敗と終焉を暗示してるようで物悲しくもあります。以下ネタバレ注意

東京イワシ頭 (講談社文庫)

東京イワシ頭 (講談社文庫)

穢土とTOKYOの狭間に

 時は90年代初頭、バブルの残滓の色濃く残る東京に江戸の粋を今に継ぐ趣味人は何を見るのでしょうか。
 昨今流行のソバージュヘアなんて記述に時代を感じて仕方ありませんが、作者の趣味が趣味なので、流行おくれで意味不明って物件はそんなにありません。せいぜい人面魚くらいでしょうか、しかし小学生で直撃世代だった自分には何の問題もありません。物件の選抜自体目新しさはありませんが、当時流行った半素人風の半可に小洒落たレポートに時折混じる江戸前の啖呵が強烈に作者の個性を主張します。前半の数編は漫画の癖が抜けきれないか、場面転換が唐突で、発言主の特定が困難だったりしますが、すぐに全盛時の軽妙な語り口に似た分かりやすい文章に完成するので、しばしの辛抱です。
 しかし、この人好意的評価してるのが、大相撲だったり、競輪だったり、ストリップだったり、趣味がまるでおっさんです。荒俣宏と意気投合するわけです。妙な物件を笑うといったありきたりの企画の中でも、印象に残るのは、女子プロレスやストリップへの評価です。キリスト教道徳に毒された現代倫理を高らかに笑い飛ばし、祭としての性を高らかに礼賛する姿は、日本人の本来の姿はこうであったかと考えさせます。国技に堕落した大相撲の代わりに、飽くまで原始的で下品で崇高な女性の乱舞こそが次代の神事足りうるのでは、との提案は、高尚なジェンダーフリーの思想よりよほど真の女性復権の近道なのではないでしょうか。

まとめ

 昨今日本の課題として挙げられている離婚率・フリーターの増加ですが、日本人が江戸の昔に先祖返りを起こしてると思えば何の問題もありません。儒教キリスト教に縛られる前の日本人の本質は無節操で享楽的な遊び人なのです。国家存亡の秋を勝ち抜き泰平の時代を与えられた我らが為すべきは、顰めつらして憂国の志士たるより、にやけた顔で存分にこの平和を堪能し次の世代へこの快楽を伝えることなのではないでしょうか。角を矯めて牛を殺す愚だけは避けるべきでしょう。我々の間違いは次の世代が否定してくれます。先のバブル世代が残した負の遺産恋愛至上主義」とオンリーワン=自分探しの思想を否定することこそが我々文系人間に課せられた文化的使命なのではないのかと最近思います。

今日の名言

 玄人好みは銭にならぬ  byギョーカイの合言葉
 こんなときだけはお貴族様が欲しくなりますね

*1:『囚人狂時代』『天皇ごっこ』が有名。極左団体から極右団体に転向後、「スパイ」を私刑で殺害、投獄、獄中で執筆という壮絶な人生を送る。資本家に飼い馴らされて牙を失った若者に代わり、新たな世代の階級闘争の旗頭に祭り上げられかける。「古い」文化人から絶大な人気と期待を受けるも挫折。