全米の保護者を大激怒させた、お騒がせアーティスト | BARKS
この位で大騒ぎですか。相変わらずアメリカさんは純情ですね。
夜勤オンリーだった同居人が日勤帯の仕事も開始。一本しかないネット回線の争奪戦が地味に激化してます。
- 作者: 戸川猪佐武
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1982/04
- メディア: 単行本
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力の限り戦ってくれてるのも分ってる
東条英機
明治十七(1884)〜昭和二十三(1948)年。昭和期の陸軍軍人(大将)・政治家。陸軍中将東条英教*1の長男。東京市麹町区出身。陸軍士官学校17期生。陸軍大学卒業。
1915陸大卒業後、陸軍省副官、'19スイス、'21ドイツに駐在し、帰国後陸大教官、軍務局課員を経て、'28整備局動員課長、'31参謀本部編成課長となる。「統制派」の中心と目され、「皇道派」全盛時代は不遇であったが、'35関東憲兵隊司令官として復活し、'37関東軍参謀長となり、'38板垣征四郎*2陸相の下で陸軍次官を勤め、能吏ぶりを発揮して「カミソリ東条」といわれた。航空総監兼航空本部長を経て、'40第二次近衛内閣の陸相となり、第三次近衛内閣にも留任、日米交渉に際して陸軍の強硬論を代表し、中国からの撤兵に反対して内閣を倒した。'41首相に就任し、陸相と内相を兼ね、対英米開戦の最高責任者となった。初期作戦の成功によって東条独裁の体制は強められ、'42候補者推薦制度による翼賛選挙を実施し、国内の戦争体制の強化が行われた。しかし、陸軍と海軍の対立、統帥と国務の分裂を解消することが出来ず、マーシャル群島失陥後の'44自ら参謀総長を兼任し史上空前の権限を一手に集中した。しかし、戦局の劣勢を食い止めることは出来ず、重臣内部での批判も強くなり、サイパン島陥落直後の'44.7総辞職。敗戦後、占領軍の逮捕を恐れてピストル自殺を図ったが失敗、A級戦犯に指名され、極東国際軍事裁判に於いて最高の戦争責任を問われ、'48.12.23絞首刑。事務に堪能で決断力に富んだ典型的な軍人で、歴代首相中最も天皇の意図に忠実であったと言われる。その独裁力も、陸軍を背景としたもので、天皇*3の信任が去った時崩壊した。(『コンサイス日本人名事典 改訂版』より引用)
近衛が政権投げ出して、いよいよ日本も太平洋戦争開戦に向かって一直線。数多語られてきた悲劇や英雄譚のその裏、国内政治は何をやっていたか。結論から言えば果てしない足の引っ張り合い。天皇からの意味不明の絶対的信任を背景に独裁体制を強化する東条、それに反発する陸軍内反東条派、ようやく自分の尻に火がついて真面目に終戦工作に動き出した重臣連、最後まで内紛を止めなかった政党勢力。それぞれの意地と保身と面子をかけた泥沼の争いは非常に面白いものがあります。その裏で罪もない市井の人々や未来溢れる若人がばたばた死んでいることさえ考えなければ、非常に良質の政治陰謀劇が堪能できます。ただ登場人物全員が現実から目を背け気味なのが果てしなく間抜けですが。貧すれば鈍する。この冷厳な現実を心に刻むためにも、先人に学びましょう。反面教師として。
オレにもう少しだけ力を貸してくれ戦いが終わるまで
日本を戦争に導いたのは東条独裁。は右左問わず戦後の歴史観としてある程度定着している感はありますが、実際は日本国には意思決定には複雑怪奇な各勢力の思惑が絡み合っています。悪人一人をでっち上げてそいつに全て罪を擦り付けるのは簡単ですが、もう少し現実を直視しましょう。東条はヒトラーでも、有色人種解放のため立ち上がった英雄でもなんでもなく、時流に抗い損ねた無能な一政治家にすぎません。
- アーティスト: 松本梨香
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*1:朝鮮京城守備旅団長。父英俊。曾孫に由布子。メッケルに師事。天才を謳われる軍略家ながら、長州閥への反抗が祟り、出世は遅れ、日露戦争での抗命を理由に予備役編入。
*2:第一次近衛内閣陸軍大臣。陸軍大将。「満州国」成立の立役者。「石原派」の重鎮として対中強行路線を提唱、日中戦争の泥沼化を招く。東京裁判で絞首刑。
*3:昭和。第124代天皇。諱は裕仁。父大正天皇、母貞明皇后。子に今上天皇。イギリス流の「君臨すれども統治せず」の原則を守り、激動の昭和を日本の象徴として見守った。
*4:終戦後の冷戦を予感しガードの固くなったソ連。一方で日本は不可侵条約を結び終戦の斡旋を工作するほどソ連と親密(片思い)だった為、ソ連の情報は比較的流通していた。その為、当時最早筒抜けだった日本の暗号文によってアメリカはソ連の情報を入手していた模様。