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半分以上普通に唄えるのは我ながらどうかと思う。
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遠い我等の親達が命を的に打ち樹てた
太平洋戦争
第二次世界大戦のうちアジア・太平洋地域での日本と連合国との戦争。アジア太平洋戦争とも。1941.12.8〜'45.8.15。開戦後、日本政府は中国との戦争を含め、「東亜新秩序」を作る為の戦争であることから、「大東亜戦争」と名付けた。
1940以降独と結んで世界秩序を転換しようという膨張論が日本国内で高まり、日中戦争の拡大につれて深まった英・米との対立は、仏印進駐・三国同盟に日本が進む事によって決定的なものとなった。対米戦への躊躇もあったが、米の対日石油禁輸によって、却って統帥部には早期開戦論が台頭、天皇*1も次第に開戦論に傾斜、'41.12.8マレー半島コタバルへの上陸作戦・真珠湾攻撃・フィリピンへの空襲によって戦争を開始した。開戦当初、日本軍は電撃的に進撃して、半年間に東南アジアの主要部を占領。更にインド洋・中部太平洋やニューギニア・ソロモン諸島へと戦線を拡大させた。日本は「東亜解放」「共存共栄」をスローガンに自給自足経済圏の建設を図ったが、占領地に軍政を布き、鉱物資源・食糧・労働力収奪に終始し、経済的混乱・飢餓・民衆の反発を招いた。'42ミッドウェイ海戦によって海軍の機動部隊が大打撃を受け、日本軍は戦争遂行の主導権を失った。この後、ガダルカナルの戦いを中心とするソロモン諸島での大消耗戦によって日本軍の劣勢は決定的となる。また、米潜水艦による商船撃沈によって日本の軍需生産も次第に低下した。'44.6マリアナ沖海戦の敗北とマリアナ諸島の陥落により日本の敗戦は避け難いものになった。軍部は決戦による形勢逆転に期待して戦争を継続したが、フィリピンでも膨大な犠牲を出して敗退した。'45米軍は硫黄島・沖縄に侵攻するとともに本土空襲を激化させた。'45.5独が降伏し、沖縄戦の見通しが暗くなっても軍部強硬派は本土決戦を主張して戦争を継続した。だが、本土決戦準備も進まず、原爆投下とソ連参戦によって、日本政府は'45.8.14ポツダム宣言受諾を最終決定、'45.8.15玉音放送を経て停戦となり、'45.9.2降伏文書調印により正式に戦争行為が終結した。'52.4サンフランシスコ講和条約発効まで日本は連合国によって占領管理された。この戦争による犠牲者は、日本310万人以上、アジア・太平洋地域で合計1900万人以上と推定されている。(『岩波日本史辞典』より引用)
近代史・戦記の大家児島襄氏の描く太平洋戦記。厚めの新書二冊の適当な分量と歯応えのある骨太の記述・論考でオススメの一冊。とかく硫黄島・沖縄などの終末期の悲惨な戦いばかりがクローズアップされがちな太平洋戦役ですが、本作は勝敗の帰趨の定まる以前の日米両軍の思惑・戦略に力点を於いて叙述されており、普段無視されがちな戦争当初の日本軍の電撃的作戦行動と米英蘭軍の抵抗なぞも詳述されているので新鮮です。特に作者がターニングポイントと位置づけているソロモン諸島の攻防には、日本軍敗退の理由、ひいては戦後六十年を経ても変わらぬ日本人の致命的な欠陥、問題先送りと場当たり的な戦力の逐次投入の悪癖が典型的に現れているように感じます。硫黄島の栗林中将を英雄視したり、沖縄のひめゆり部隊を殊更に憐れんだりするより、餓島の悲劇をきちんと分析総括することこそ、太平洋戦争の客観的相対化に必要不可欠なものと感じます。全体的に抑えた冷静な語り口で、あからさまな心情描写は少ないですが、そこはやはり戦記もの、前半の鎧袖一触の快進撃に欣喜雀躍し、中盤の不甲斐ない迷走に切歯扼腕し、終盤の悲壮な抵抗に感涙する事間違いなしです。
誉めてばかりだと気持ち悪いので最後に一くさし。「一方的な視点ではなく、日米両国の視座から一つ一つの戦闘を分析」という精神は良く分かるのですが、いかんせん文章力が高邁な理想に追いついておらず、視点の錯綜・主客の顚倒は日常茶飯事となっています。できれば、日本軍・米軍を一つのチャプターで同時進行で語るのではなく、別の章立てでそれぞれじっくり語って欲しいかったところです。