脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『孤高の外相 重光葵』

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061116-00000005-maia-ent
巨星墜つ。これでゲッター・サーガの結末は無限の彼方に。尤も仮令200年の寿命のあろうとも完結することはなかったでしょうが。


 古本市の積読崩し第二段。前回とネタが被ったのは偶然です。読みさしの本の別シリーズ見付けたら買っちゃうよなー。

孤高の外相 重光葵

孤高の外相 重光葵

笑われる事なく 恨まれる事なく 輝く命なんてない

重光葵
 明治二十(1887)〜昭和三十二(1957)年。外交官・政治家。大分県生まれ。東大卒。中国公使となり1932上海停戦に尽力した。広田弘毅外相の下で次官として興亜外交を推進し、東条・小磯内閣の外相となりアジア諸民族の解放を掲げて大東亜会議を開催した。'45東久邇宮内閣の外相として日本降伏文書に調印。東京裁判で禁固7年の刑を受け、'50仮釈放。'52追放解除後は改進党総裁となり、衆議院に当選、吉田茂首班指名を争った。日本民主党総裁、鳩山内閣の副総理・外相となって日ソ国交回復と日本の国連加盟を実現した。(『岩波日本史辞典』より引用)

 文章に関しての感想は前回とほぼ同じ。脱線が多いのと戦史に寄り過ぎなのを除けば、読みやすくメリハリのある文章で好感が持てます。ただ戦史・外交史の詳しさと比べて政治史の手抜きは酷いです。当時の雑誌の抜粋でお茶を濁そうってのは如何なもんかと。まあ知ったかされるよりはいいのかもしれませんが。

 さて、今回の主人公重光葵*1ですが、軍部の暴走の「尻拭い」ばかりしている印象が絶えません。教科書にも乗ってるミズーリ号での降伏文書署名を代表に、第一次上海事変・張鼓峰事件の停戦協定も彼の仕事です。しかも、上海事変の際には天長節*2の式典で朝鮮人尹奉吉の爆弾テロで片足を失い、張鼓峰事件では強硬な態度をソ連に憎まれ、A級戦犯の汚名を被る羽目になっています。彼こそ真の軍部の犠牲者と言ってもいいのではないのでしょうか。

選ばれなかったら 選びに行け ただ一つの栄光

 以上のように事後処理には非常な辣腕を発揮した彼ですが、政治家としての事績能力には疑問が残ります。大戦末期に近衛と組んでソ連終戦の仲介を求めるなど、やってることは繆斌にだまくさかされた緒方竹虎小磯国昭コンビと大して変わりません。重光の外交官としての能力を疑う気は毛頭ありませんが、彼のように明らかに政治家向きでない人間を担ぎ出さねばならなかったことは戦前・戦後の人材不足をよく表しているでしょう。軍部の責任ばかりがクローズアップされる先の敗戦ですが、外務省の失態も相当なものです。そして、軍部は崩壊新生しましたが、外務省は未だ害務省であり続けています。日本のアメリカからの独立を望むなら、外務省の抜本的改革こそが必要でしょう。今の特亜の増長を招いた責任を感じ、明治期の気骨ある外交を取り戻して欲しいものです。麻生外相。期待してますよ。

今日の一行知識

ダグラス=マッカーサーはウェストポイント陸軍士官学校を創立以来今に至るまで最高の成績で卒業した
学生時代優秀すぎた奴は大成しない傾向がありますが、彼は例外だったようです。順風満帆のエリート街道にたった一つだけ付いた汚点フィリピン陥落。彼がハルゼーのように執念深い性格でなかったことが日本の最大の幸運でしょう。

オンリー ロンリー グローリー

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*1:シゲミツマモルと読みます。ご注意を。

*2:今で言う天皇誕生日