[三題噺]大蔵と大宰府について(承前)
http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20061025-108122.html
公開捜査の甲斐あって行方不明だった山中博美ちゃんが怪我もなく無事に帰宅したようです。さぞかし親御さんも泣き笑いなのではないでしょうか。
教訓:公開捜査は慎重に。
昨日の続き。
本文は明日書きます
神の国なんてどこにもない
大蔵
大蔵
1、朝廷の倉庫。伝説では、雄略天皇時代に、内蔵から分離、秦氏がこれをつかさどった。
2、大蔵省の略。(『広辞苑 第五版』より引用
大蔵省について詳述すれ、つーのは流石にぞっとしないんで、大元の「大蔵」について解説。日和ったと笑わば笑え。
伝承によると、神武天皇期に公私・神俗を問わず朝廷や王家への進物を管理運用する機関とし、斎倉が成立*1しました。下って履中天皇の時代、三韓からの貢物が増加した為、神物と官物を区別する為、内蔵が新設*2されました。ついで雄略朝期には、支配体制の確立強化に伴い諸国よりの貢物が増加し、内蔵から大蔵が分離独立*3し、三蔵と称される大和朝廷の財政管理機関が完成*4しました。神事に用いるものを管理する斎倉、外国*5からの貢物=天皇家の私物を管理する内蔵、諸国からの貢物=国家の財産を管理する大蔵の三つがそれです。というわけで、「大蔵」の語源は「公の蔵」と推定できるでしょう。大蔵省(現財務省)のお役人様はそのことを忘れないでいて欲しいものです。
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大宰府
大宰府
西海道を統括し、外交と防衛の任にあたるべく筑前国に設置された律令制下の官司。現福岡県太宰府市所在。筑紫大宰・筑紫惣領の後身。帥(従三位)、大弐・少弐(従四位下・正五位上)、大監・少監、大典・少典の四等官と、主神、大・少判事、大・少令史、大工・少工、博士、陰陽師、医師、算師、防人正・佑・令史、主船、主厨その他からなる。博多湾岸に置かれた鴻臚館(筑紫館、現福岡市)の外、防人司・府学などを直轄し、時期により筑前国を帯した。調庸その他の京進や公文書の監査、国司・郡司の人事権を通じて西海道の諸国・諸島を総監。藤原広嗣の乱後の天平十四(742)廃止されたが、十七年復置。9世紀以降、帥が親王の任となって遙任化し、実権が権帥ないし大弐に移るとともに、政所・公文所・兵馬所などの在庁機構が成立、貿易の管理にもあたった。寛仁三(1019)の刀伊の入寇等を契機に武士化した府官(現地任用の監・典)に実権が移り、九州各地に府領が設定されてゆき、平氏政権の時代には有力な府官が平氏の家人となった。鎌倉時代には鎮西奉行武藤氏が少弐を兼ねたが、元寇後は博多の鎮西探題に実権が移り、大宰府の機能は衰減した。(『岩波日本史辞典』より引用)
唄うことしかできなくて それしか、何もできなくて
今日の一行知識
博多近辺に散在する「中○」の地名は「奴が○」が由来
例えば「中津」だと「奴(ナ)が津」(奴の国*6の港の意)になります。地名に残る古代ロマンを貴方も探して見ませんか。
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*1:「当此之時帝之与神其際未遠同殿共床以此為常故神物官物亦未分別宮内立蔵号曰斎蔵【此の時に当たりて、帝と神と、その際、未だ遠からず。殿を同じうし、床を共にす。此れを以って常と為す。故、神物・官物、亦た未だ分別あらず。宮の内に蔵を立て斎蔵と号曰(なづ)く】」(『古語拾遺』より引用。【】内管理人書き下し。以下同じ)
*2:「至於後磐余稚桜朝三韓貢献奕世絶無斎蔵之傍更建内蔵分収官物【後磐余稚桜の朝に至りて、三韓貢ぎ献ること、奕世絶えること無し。斎蔵の傍に、更に内蔵を建て、官物を分収す。】」
*3:「自此而後諸国貢調年々盈溢更立大蔵【此れより後、諸国の貢調、年々に盈ち溢る。更に大蔵を立つ。】」
*4:伝承ではそうなっていますが、歴史学での学説は斎倉は実態としては存在せず、内蔵・大蔵も成立の時期はもっと下るであろうということになっているようです。
*5:=三韓。半島の人はが絶対に認めようとしないでしょうが、南朝鮮は高句麗の圧力に対抗する為、日本に深く依存しており、半属国といってもよいような状態でした。朝鮮が中国の属国化するのは新羅の統一以降