脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『朝鮮戦争〜米中対決の原形』

http://blog.livedoor.jp/hisabisaniwarota/archives/51910409.html
水曜どうでしょう』で予習する。


 インフルエンザで退場してた友人がようやく戦線復帰。「すまん、頼む、任せた」の一言が言えるって、なんて素敵なんでしょう。

朝鮮戦争―米中対決の原形 (中公新書 93)

朝鮮戦争―米中対決の原形 (中公新書 93)

うまくいってるかいなかなか大変だよな全く

朝鮮戦争
 昭和二十五(1950)年に大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)との間に開始され、外国軍隊が参戦した戦争。
 1950南北両国の緊張が高まる中、'50.6.25北朝鮮軍は北緯38度線を越え南下、'50.6.28ソウルを占領した。アメリカはソ連欠席の国連安全保障理事会北朝鮮を非難し、北朝鮮軍を撃退する決議を採択させた。米軍は直ちに参戦、'50.7.7安保理事会は米軍による国連軍の指揮を決定した。国連軍には16ヶ国が参加したが、その主力は米軍であった。北朝鮮軍は'50.8米・韓軍を釜山橋頭堡に追い詰めたが、'50.9.15米軍が仁川に上陸。北朝鮮軍は敗走し、'50.10国連軍が38度線を突破して中国国境に迫ると、'50.10下旬中国は人民義勇軍を参戦させた。'51.1中朝連合軍が再びソウルを占領。'51.3国連軍が反撃してソウルを奪回し、以後は38度線を跨いで戦線が激しく動いた。'51.6ソ連の提案により、'51.7休戦会談が始まり、'53.7.27休戦協定が成立して、軍事境界線と幅4kmの非武装地帯が設けられた。日本への影響は再軍備化や戦争特需による経済復興など、大戦後の大きな分岐点となった。(『岩波日本史辞典』より引用)

 敗戦国日本から経済大国日本への再起の切欠となった朝鮮戦争対岸の火事は儲け時を地で行ったあの戦争の解説書。書かれたのが昭和41(1966)年とデタントなんか糞喰らえの米中ソ三竦みの真っ只中の剣呑な時期なので、筆致も必然的にいつ再発火してもおかしくない緊張感が漂います。記述の傾向としては、そんな時期に東側諸国が資料を提供してくれるわけもないので、「マッカーサー聴聞会」の記録を定本にアメリカ側からの視点ほぼ一辺倒で、ベトナム戦争真っ只中の当時の雰囲気を反映してか、如何にアメリカの世界戦略が無定見かをあげつらうような感じになっています。特に、イケイケドンドンの超強硬派のマッカーサーと、ヨーロッパへの飛び火を恐れる穏健派のトルーマンとの泥仕合は実に微笑ましいものとなっています。個人的には途中まで全く存在感なかったのに最後の最後だけ大暴れで米ソ両国に匙を投げさせた李承晩氏が実に韓国人で大好きです。
 当事者能力の殆どない朝鮮半島両国はともかく、一方の主人公のはずの中ソの顔が殆ど見えないのがちょっと残念ですが、朝鮮戦争入門篇の概説書としては十分な出来栄え、文章も固くないし、内容も上記の通り別ベクトルの面白さがあるので読んでて面白いと思います。

それぞれの前にそれぞれの道しかないんだ

 朝鮮人の不幸は自身の破滅も栄光も全て自分に決定権のないところで進行して来たことだ。とはよく言われますが、朝鮮戦争の顛末を見るにその思いを強くします。日帝支配からの解放も、38度線での分断も、朝鮮戦争の開休戦も全てが大国のパワーゲームの結果次第。これでは当事者意識も能力も涵養される訳がありません。過保護は子どもをスポイルするの典型例でしょう。そんな朝韓両国もお兄さんは軍事的に弟は経済的に「大人」の国の仲間入りをしてしまいました。幼年期最後の課題南北統一の悲願くらいは自分の意思と実力で成し遂げられるのでしょうか。少なくとも、日本にだけはけつ拭き回さないでくださいね。多分無理でしょうけど。

Brotherhood

Brotherhood

帰ってきた今日の一行知識

マッカーサーGHQ長官時代一度も朝鮮半島に宿泊したことがない
朝鮮戦争の指揮時も根性で日帰りしてたそうです。よっぽど日本を気に入ってくれてたんですね。なんか嬉しいな。まあ、どうせ彼の国が2002年W杯のようなことをやらかしただけなんでしょうけども。