脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『聖徳太子Ⅱ〜憲法十七条』

痛いニュース(ノ∀`) : 在特会の桜井誠著「大嫌韓時代」が有田ヨシフ、しばき隊のお陰でAmazonベストセラー1位に - ライブドアブログ
雉も鳴かずば撃たれまいに。


 最近なんだか財布の中身が軽くて体が重いなあとカレンダーを振り返れば僅か半月で7回*1の飲み会。そりゃあそうもなるわと反省しきり。今から忘年会シーズンが恐ろしいです。


艦これ進捗

  • 北方海域北方海域戦闘哨戒クリア。第一艦隊旗艦:大井改二。

聖徳太子 2 憲法十七条

聖徳太子 2 憲法十七条

呼べば素敵なとても素敵な名前と気づいた

聖徳太子
 敏達三(574)〜推古三十(622)年。用明天皇*2の皇子。母は穴穂部間人皇女*3。母が馬官の厩戸の前に到った時生れ、また生れながらによくものをいい、壮にいたり一度に十人の訴をきき、あやまたずよく弁え、父天皇は太子を宮の南の上殿に住まわせたので、上宮の厩戸豊聡耳太子ともいう。
 587.7蘇我馬子*4が諸皇子と群臣にすすめ、物部守屋*5を滅ぼそうとした時、討伐に参加し、自ら四天王像をつくり、もし戦勝すれば寺塔を建てることを誓い、戦後、四天王寺を建立した。'93.4皇太子となり、推古天皇*6を補佐して摂政となった。'94.2仏法興隆の詔を出し、'95.5高句麗僧恵慈*7渡来に際し、これに師事し仏法を学んだ。606.7勝鬘経を講じたとあり、法華経維摩経講経を合せて三経義疏をなしたという。国内政治の面では、'03.12冠位十二階を制定、'04.4憲法一七条を作り、天皇中心の国家を建設しようとした。また'01-'13の新羅征討策を一転して、朝鮮問題の解決を隋との国交に求め、'07・'08と遣隋使を派遣した。'04.10頃に居を斑鳩宮に移し、法隆寺を建立、'22斑鳩で没。(『新潮日本人名辞典』より引用)

 鬼才梅原猛の描く聖徳太子伝第二巻は崇峻天皇暗殺から十七条の憲法制定までの太子青年期。前巻ではほぼ蘇我馬子伝だったのがようやく主人公登場です。内容は江戸時代の太子批判批判をプロローグに、崇峻暗殺、隋高句麗新羅百済の東アジア覇権争いと太子の対朝鮮外交、小墾田遷都、そして、表題の十七条の憲法と進みます。前半は論調に抑制も効いて分かりやすくも斬新な飛鳥時代史講演と言った趣なのですが、小墾田宮の比定あたりからボルテージが上がって、本命の十七条の憲法逐条解釈では結局いつもの梅原節全開。面白くはあるんですが、そりゃあ学会から黙殺も喰らうわな、と言った大暴走は国史学を齧った身として苦笑を禁じえません。素直に歴史エンターテイメントとして楽しみましょう。

愛の部品もそろわないのにひとつになった

 来たるべき十万円札肖像画候補筆頭の聖徳太子。昨今非実在説も喧しく、過小評価の感の否めない彼。個人的には日本史上で五本の指*8に入る偉人だと信じて疑いませんので、今の子供たちにはデモシカ教師の妄説に惑わされず、立派に太子のミームを継いでもらいたいものです。

はじまりはいつも雨

はじまりはいつも雨

帰って来た今日の一行知識

聖徳太子は冠位十二階で五常の徳目の順番を勝手に変えている
仁義礼智信」を「仁礼信義智」の順番に変えてます。本場中国人には素で間違えたと思われてたらしく『隋書』「倭国伝」では「正しい」順番に勝手に推敲されてます。中国人と日本人の価値観の違いがよく表れてますね。

*1:9/14敬老祭打上、16地域同業種親睦会、19地域同業種親睦会→麻雀、21職員BBQ、24飯屋でばったり会った上司と軽く一杯、26会議明け反省会、29終業後同僚と軽く一杯の筈が日が変わる直前まで痛飲

*2:第31代天皇。諱は橘豊日尊。父欽明天皇、母蘇我堅塩媛。崇仏廃仏の争いに巻き込まれ、即位後二年で死去。

*3:用明天皇皇后。父欽明天皇、母蘇我小姉君。夫用明天皇→多米王。子に聖徳太子来目皇子殖栗皇子茨田皇子、佐富女王。

*4:大臣。父稲目。孫に入鹿。通称:「嶋大臣」。物部守屋ら排仏派の撃破、崇峻天皇暗殺などを通して蘇我氏の絶対権力を確立。

*5:大連。父尾輿、母弓削阿佐姫。排仏派の筆頭として神道を擁護するも、蘇我馬子との対決に敗れ戦死。

*6:第33代天皇。諱は額田部皇女。父欽明天皇、母蘇我堅塩媛。夫に敏達天皇。日本初の女帝として、聖徳太子の日本の基礎作りを後援。

*7:法興寺に在し聖徳太子の仏教の師として活躍、三宝の棟梁と讃えられた。

*8:残りは親鸞織田信長伊藤博文吉田茂