【非モテ男性を嘲笑する男磨きハウス】Abemaが炎上「38歳子供部屋おじさん、 合コンでの独り言がヤバすぎるw」←男女逆バージョンが作られて話題に:ハムスター速報
あああああ、共感性羞恥がががががが。なんですが、あえて道化をやれるだけのメンタルと根性あればどこでも成功できそうな気がする。とりあえず、馬鹿笑いしてた下品な河原乞食どもよりはよほどいい人間です。
おもっきり風邪をひきました。幸いインフルコロナともに陰性だったので2日ほど仕事サボり気味にしての自宅静養で何とか治りそうです。しかし本気でインフル流行ってますね。午後の空いてそうな時間に行ったのに結局2時間待ち。くわばらくわばら。
汚れきったこの世界で信じられるものなんてない
小佐野賢治
大正六(1917)~昭和六十一('86)年。国際興業社主。山梨県生まれ。
高等小学校卒業後、単身上京。1941自動車部品会社を設立して事業に乗り出し、戦時下の商売で巨利を得、'47国際興業設立。'48米進駐軍用ガソリンの不正流用などで重労働1年の実刑判決を受けたこともあったが、箱根や山中湖などのホテル、路線バスを次々と買収して地歩を固める。この頃、国際興業の顧問弁護士をしていた元検事の正木亮*1の紹介で田中角栄*2と面識を得、以後、2人は"刎頸の友"と呼び合うほどに親密な関係となり、'72自民党総裁選で田中が総裁に選ばれたときには、資金面での援助を行ったともいわれる。また'66衆議院決算委員長の田中彰治*3代議士が恐喝容疑で逮捕・起訴された「虎の門国有地払い下げ事件」では、田中とともに"被害者"として登場した。
'76発覚したロッキード事件では、トライスター売り込みにからんで国会に証人喚問された際、「記憶にございません」を連発して議院証言法違反(偽証罪)に問われ、1審('81)で懲役1年の実刑、2審('84)で懲役10ヵ月・執行猶予3年の判決を受けて上告中に急死。この裁判の過程で、'72自民党代議士の浜田幸一*4がラスベガスの賭博で150万ドル*5負けたのを120万ドルに値引きさせて、小佐野が代わりに支払ったことが明らかになり、またそのうちの20万ドルはロサンゼルス空港でクラッター*6ロッキード社東京事務所代表から受け取って流用したことも明らかになった。
一方小佐野の事業欲は亡くなるまで衰えず、航空3社の大株主になったほか、帝国ホテルの筆頭株主にもなり、'85同ホテルの会長に就任するなど、ホテル・ゴルフ場・運輸・観光・不動産など約40社に及ぶ国際興業グループを統括し続けた。(『現代日本ア朝日人物事典』より引用)
弱った時には大悪党のピカレスクな伝記を・・・ってな訳で、『銀と金』の蔵前のモデルとなったともささやかれる怪人小佐野賢治の伝記を読んでみました。感想は毀誉褒貶はあるけど一代で財を成した立志伝中の人物って構成から滲み出てくる隠し切れない邪悪さ。徴兵会場に自動車で乗り付けてみたり、仮病で復員してみたり、妻や従業員へのケチっぷりだったりと本質的なところでの醜怪さがどうしても鼻につきます。で、一方みんなが興味津々だったはずのロッキード事件の顛末にはほとんど触れずにほっかむりされてるのが非常に残念。ほぼ全編どこを買収した、しようとしたのM&A話ばかりの経済小説よりになっておりますので、田中角栄と組んでの大暴れとかを期待した人にはちょっと残念かもです。
空に向かい唾を吐いた何もかも全部嫌になった
昭和は遠くに成りにけり。毎日誰よりも早く出勤して社員の顔は全員覚えて・・・ってのが美談として語られますが、昭和の企業がもれなくブラック体質だった理由の一端が見えた気がしました。昭和の会社って普通に軍隊のロジックで組織形成されてるんですよね。反権威主義の権化の自分としてはそんな時代に生まれてたら秒で社会から落伍してただろうなあと戦々恐々です。まあ今がキチンと社会に順応できてるのか?と問われると中々難しい問題ではありますが。
www.youtube.com
*1:名古屋控訴院検事長。正三位瑞宝章。監獄局に勤務し、監獄の環境改善に尽力。大審院検事として治安維持法改訂に関与したことから戦後公職追放。弁護士として帝人事件などの弁護を担当し、死刑廃止論を主導した。代表作:『行刑上の諸問題』・『志願囚-囚人と共に三十年』・『死刑』(著作)他。
*2:第64-65代内閣総理大臣。陸軍上等兵。父角次、母(大谷)フメ。大河内正敏の知遇を得、理研コンツェルンからの仕事を多く請け負い自身の田中土建工業を大企業へと成長させる。大麻唯男の推薦により立候補し1度の託宣を経て民主党から代議士当選。臨時石炭鉱業管理法に反対し離党し同志クラブを経て民主自由党に合流。吉田茂の下で「選挙部長」として辣腕を揮う。自民党誕生後は建設族として活躍し要職を歴任。日本列島改造論を掲げ、佐藤後継の座を福田赳夫と争い勝利し総理就任。日中国交正常化などの功を挙げるも、第一次オイルショックなどにより人心は離反し、田中金脈問題により退陣。その後ロッキード事件などが発覚するも最大派閥田中派の領袖としてキングメーカーの座を確保するも、竹下による創政会設立などの心労により脳梗塞を発症し表舞台から退いた。
*3:第7・12代衆議院決算委員長。数々の前科を持ちながらも炭鉱で一財産を築き、民自党から衆議院議員として政界進出。造船疑獄で吉田首相らの証人喚問を強行しようとしたために自由党を除名され日本民主党に合流。自民党結成後は河野派に所属し、決算委員会で活躍するも、黒い霧事件により失脚。
*4:衆議院予算委員会第53代委員長。富津町議会議員・千葉県議会議員を経て自民党川島派から政界進出。青嵐会の事務局長を務めるなど政界の暴れん坊として雷名を轟かせるも、ラスベガス事件や数々の舌禍が祟り国務大臣になれるまま政界引退。 『ビートたけしのTVタックル』などでの歯に衣着せぬ放言が人気を博し、政界のご意見番として存在感を発揮した。代表作:『日本をダメにした九人の政治家』・『不肖ハマコーがゆく―一所懸命に闘い、一所懸命に死ぬ』・『弾丸なき抗争 : 権謀術数に生きる男の戦い』(著書)他。
*5:当時のレートで4億6000万円
*6:John William Clutter

