脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『東京オリンピックへの遙かな道』

こども家庭庁「もっと予算くれ6兆円や!税金でマッチングアプリにDX推進や!!!」中抜き利権ビジネスに全力へ:ハムスター速報
暇空茜信者としては、頼むから自民党公明党と縁を切ってくれとしか。


 取引先からなかなか理不尽な八つ当たりをされましたが、「ああ、きっと○○さんも疲れてるんだろうなぁ」とスルー出来たあたり、自分は今結構心身ともに余裕がありそうです。さあ、元気なうちに色々新しいプロジェクトの種まきしようっと。

あの日ローマでながめた月がきょうは都の空照らす

1964年東京オリンピック
 昭和三十九(1964)年10月10-24日。開催都市:東京都、主競技場:国立競技場。参加国・地域数:93、参加人数 5,152人(男子4,468人、女子684人)、競技種目数:20競技163種目。開会式:昭和四十九(1964)年10月10日、閉会式:昭和四十九('64)年10月24日。開会宣言:昭和天皇*1、選手宣誓:小野喬*2、最終聖火ランナー:坂井義則*3
 1964.10.10-24日本の東京都で開かれた第18回夏季オリンピック東京オリンピック東京五輪、東京1964(Tokyo 1964)と呼称される。大会後には同一都市では初となるパラリンピックも開催*4された。アジア初および有色人種国家初のオリンピックでもある。また、1952年のヘルシンキフィンランド)、1960年のローマ(イタリア)に続いて第二次世界大戦の旧枢軸国の首都で開催されたオリンピックである。 (wikipediaより修整引用)


 1964年の東京オリンピックの招致と開催を巡る奮闘を中止になった1940年の招致の段階から語る大著。「オリンピックを東京に」の執念の下に日本のスポーツが発展させられてきたのがよく分かります。物語としても前半の嘉納治五郎から田畑政治へと託されたバトンが見事に成就するって流れは非常に綺麗です。最後の最後に因縁つけられて田畑が組織委員会事務総長の座を追われてるのも後のTOKYO2020での惨劇を予感させる悲劇で◎。IOC委員への接待攻勢が堂々と武勇伝として語られていたり、中華民国が「台湾」と呼称されることに切れてたりと今となっては隔世の感ありまくりですが、旧き良き牧歌的な時代の産物としてプロジェクトX的な楽しみ方をしてください。

四年たったらまた会いましょとかたい約束夢じゃない

 「オリンピックを成功させるために」を大義名分に好き勝手暴走しまくる現場に、途中までは冷淡だったくせに成功した途端にいっちょ噛みさせろとよりついてくる有象無象に、前例墨守の事なかれ主義で非協力的な上層部と、現場主導のイベントのしっちゃかめっちゃかどったんばったん大騒ぎなあるある満載でとっても生暖かく読めました。この理不尽を楽しめるかどうかが日本で楽しく仕事するコツだと思います。その為にも、中小企業経営者のみなさん、もっと立派な兵隊さんな体育会系ばかりじゃなく、文化祭やコミケの修羅場をくぐってきたクソヲタク文科系の猛者たちをもっと厚遇しましょう。


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*1:第124代天皇。諱は裕仁。父大正天皇、母貞明皇后。父大正天皇の摂政を経て即位。英国流の「君臨すれども統治せず」の立憲君主制を志向するも、軍部の暴走を掣肘できず敗戦。占領統治の安定を優先したGHQの意向により廃位は免れ、戦後復興の精神的支柱として象徴天皇制を確立。高度経済成長を経てジャパンアズナンバーワンのバブル景気の繫栄を現出した。

*2:主な成績:オリンピック金メダル(1956メルボルン(鉄棒)・'60ローマ(鉄棒・跳馬))、世界体操競技選手権金メダル('62プラハ(鉄棒))他。

*3:学生ランナーとして頭角を顕し、広島への原爆投下の当日に広島で生まれた縁で東京五輪の最終ランナーに抜擢。ランナーを引退しフジテレビに就職後はその知名度を活かし、スポーツ報道や競技大会主催などで活躍。主な成績:アジア大会銀メダル(1966バンコク(400m陸上))他。

*4:第13回国際ストーク・マンデビル競技大会として開催