脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『さまよえる逃亡者~続・ヒットマンたちの山一抗争』

痛いニュース(ノ∀`) : デヴィ夫人VS鈴木宗男氏「老害」激烈応酬バトル 夫人「安倍元首相でさえ奪還できなかった北方領土を取り返せるなら肩持っても良い」 - ライブドアブログ
ガチの世界史の偉人相手に、田中真紀子にすら後れをとった小物が相手になると思う方が片腹痛い。


 モニターで肩ボトックス&エラボトックス初体験。今んとこプラセボで肩が軽くなった気はしてますが、どんな効果が出ますことやら。打ってもらった後数時間背中に冷感が続いて、『喧嘩稼業』の「屍」を思い出してちょっと面白くなったのは秘密だ。

いつまでもいつまでも一緒だったらうれしいけど

竹中組長殺害事件
 1984.7下旬、一和会二代目山広組若頭後藤栄治*1は、山広組舎弟長野修一*2とともに山口組に対する行動隊を結成、長野を行動隊長に据え9月中旬には山広組から19人の隊員を選抜し行動隊の結成式を行なった。'84.10一和会常任理事石川裕雄*3は、大阪府吹田市のマンション「GSハイム第二江坂」に竹中の愛人が住んでいることをつかんだ。12月初旬に石川は同マンションの204号室を知人名義で借りて潜入、無線機を置いて一和会の「GSハイム江坂」の見張り要員と交信できる様にした。長野も12月21日に大阪市西区の「GSハイム西長堀」の302号室を借り、武器の隠し場所にした。1985.1.12石川の報告を受けた後藤は、長野を伊勢自動車道の津インターチェンジに呼び、共に吹田市の「GSハイム第二江坂」に向かった。車中、後藤は、25口径ベレッタと25口径タイタン、32口径チーフスペシャルを長野に渡した。その後、後藤は長野と石川を引き合わせ、石川は長野に無線機の使い方を教えている。'85.1.17長野は、三重県の山中で二代目山広組組員田辺豊記*4、山広組広盛会舎弟頭立花和夫*5、山広組組員長尾直美*6とともに、拳銃の試し撃ちを行なった。'85.1.18石川から38口径リボルバーを1丁受け取り、'85.1.23後藤から32口径改造拳銃1丁を受け取った。一和会側の作戦が着々と進行している中、'85.1.9竹中*7に1980年3月上旬と中旬に竹中組で開かれた賭博の罪で懲役5か月の最高裁判所の確定判決。'85.1.16竹中は、中山ら山口組最高幹部を連れて、伊丹空港から8時45分発日本航空911便に乗り沖縄県入り。那覇空港では翁長良宏*8会長を始め、旭琉会の15の一家の総長と幹部クラスの合計約60人から出迎えられ、沖縄観光がてら接待を受けた。沖縄から戻ると、'85.1.26昼には兵庫県神戸市灘区篠原本町で挙行された山口組本部上棟式に幹部全員を伴い出席。竹中は'85.1.26 21:15過ぎに、中山*9山口組南組・南力組長*10とともに「GSハイム第二江坂」に着くが、1階エレベーター前で田辺・長尾・立花に銃撃された。南は即死、竹中は銃弾3発を受けたものの、自力で愛車のメルセデス・ベンツに乗り込み、運転手の南組組員に大阪市南区の南組事務所に向かわせた。竹中らの乗った車は21時30分に事務所へ到着し、そこから(南組組員が自動車電話で手配した)救急車に乗せられて大阪警察病院に搬送された。病院に集まった組員らが輸血を申し出、竹中は9時間にも渡る手術を受けたものの、'85.1.27 23:25死亡。中山は「GSハイム第二江坂」から救急車で病院に搬送されたものの、'85.1.27 1:07死亡。竹中の仮通夜は、'85.1.27夜に兵庫県神戸市灘区の旧田岡邸で行なわれ、'85.1.31竹中家としての密葬が行なわれた。(wikipediaより修整引用)


 仕事が忙しくてやさぐれ気味な時に聞くのはやっぱヤクザの実録ものだよねってな訳で、竹中組長暗殺事件をテーマにした一冊を読破。タイトルでは明らかにメインテーマな後藤栄治の事件後の逃亡生活がエピローグの一章なだけで、本筋は竹中組長暗殺事件の背景と展開がメインって売り方からして、死ぬほど擦られて手垢が付きまくったネタなんだろうなあってのは容易に想像つきますが、類書を一切読んでない自分には実に新鮮かつ面白く読めて大満足。基本的な展開が露骨な後藤サゲの石川アゲなので、石川組長が義侠心に溢れる鷹揚な大人物に描写されていてうっかり惚れそうになります。その後の展開はフィクションのようにはうまくいかず、山口組の反撃で一和会がなすすべもなく崩壊っていう神も仏もないような残酷な結末を迎えますので、「英雄譚」として読みたい方はちょっとだけご注意を。ヤクザものは好きですが、破滅の美学だけはどうも理解できん。

やさしい言葉をかけてくる大人たちの中で僕は人生のサイズを感じた

 昨今話題のZ世代の暴走というかやらかし。個人的にはヤクザが町からいなくなったのがその比較的大きな原因ではないでしょうか。「外でお痛をしたりイキッてたりするとどこからともなく怖いお兄さんが出てきてどっか連れてかれる」ってのは非常に教育効果の高い「物語」だと、「クラクションを鳴らす時はいつでも相手がヤクザだと思え」と教えられて育った広島人は思うのでした。

Versus

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*1:山一抗争において竹中組長殺害事件を主導するも、山口組の報復に屈し後藤組を解散し引退逃亡。

*2:熊本刑務所懲役囚。一和会二代目山広組若頭。竹中組長殺害事件で実行部隊のリーダーとして暗殺を成功させるも逃亡に失敗し逮捕収監。

*3:旭川刑務所懲役囚。悟道連合会会長。国粋主義系の独立組織石川屋総業を創設し、後山口組に合流。覚醒剤売買を行っていた小西一家の若頭を斬殺したことにより名を挙げる。一和会に参加後は竹中組長の愛人宅を突き止めるなどの功を挙げる。竹中組長殺害事件に連座し逮捕収監。

*4:無期懲役囚。清野組所属。クラブの売掛金を回収に行った先で暴力事件を起こし服役したのをきっかけにドロップアウト山口組の四次団体に所属し債権回収で頭角を顕す。竹中組長殺害事件で竹中への狙撃に成功したのち出頭し収監。

*5:無期懲役囚。広盛会所属。焼肉屋を経営していたが資金繰りが悪化していたところに融通手形のサルベージに来たヤクザにスカウトされ広盛会に参加。竹中組長殺害事件に参加したのち出頭し収監。

*6:無期懲役囚。二代目山広組所属。肺結核を患いドロップアウト。ヤクザとカタギを行き来する半端な生活を送るもタクシー運転中に事故を起こし路頭に迷っていたところを東健二に拾われ二代目山広会へ参加。竹中組長殺害事件でボディーガード二人を殺害したのち出頭し収監。

*7:正久。四代目山口組組長。姫路の名家に生まれるもドロップアウトし地元の不良を糾合し竹中組を設立。山口組合流後は博多事件などで武闘派の雷名を轟かせ累進。三代目組長田岡の死後未亡人文子の強い推挙により跡目継承。その強引な相続は一和会の独立と山一抗争を招き、暗殺。

*8:三代目旭琉会会長。内部抗争で殺害された多和田真山の後を襲い旭琉会会長に就任。反主流派の理事長富永清との対立が激化し、沖縄旭琉会の独立を招いた。

*9: 勝正。四代目山口組若頭。豪友会初代会長。竹中組長殺害事件に巻き込まれ横死。

*10:四代目山口組若中。南組初代組長。竹中組長殺害事件に巻き込まれ横死。