年収1000万円の岸田の息子・翔太郎ちゃん 父親の外交についていき公用車を使ってヨーロッパ観光旅行を満喫wwwwwwwwwww:ハムスター速報
コッテコテのバカボンボンで一周まわって素敵。高校の先輩としては勘弁してくれよって感じなんですけども。
湯島聖堂の近くの会社に訪問するのに間違えて湯島天神に向かってしまう大チョンボで遅刻。ああ俺疲れてんのかなあ。
光と闇のどちらにでも居れる怖がらないで望まぬ朝はもう来ない
ロシア革命 Russkaya revolutsiya
ロシア帝国で20世紀の初めにほぼ連続して3回発生した革命の総称。革命の起動力がマルクス主義革命党と人民運動であった帝国主義の時代にあって、社会主義権力を世界史上初めて実現した。特に最終の到達点である十一月革命(1917)をロシア革命という場合がある。
日露戦争の最中に起き1905年革命は「血の日曜日事件」を契機として全国的ストライキ闘争と農民運動に発展した。1905.10ゼネストへの譲歩としてツァーリ*1が出した「10月17日証書」(十月宣言)で市民的な自由が約束され、国会と国家評議会の二院立法制と国家基本法が制定されたが、制限されつつも専制は維持された。'17第一次大戦の中で起きた三月革命ではソヴィエトと国家臨時委員会の間に「二重権力」状態が発生し、それを基礎に'17.3.15臨時政府が発足し帝政は崩壊した。臨時政府は戦争の継続をめざし、レーニン*2は四月テーゼによって「すべての権力をソヴィエトへ」の方針を示し、さらに武装蜂起を構想して'17.11.7臨時政府を打倒し十一月革命を実現した。'17.11.8ソヴィエト大会は民主的な諸要求の実現を革命の理想として掲げた。しかし内外の環境がその実現を阻んだ。特に農民革命と民族革命の自律性は革命勢力と調和せず、国内外にわたる反革命勢力の攻勢は革命政権に国家と権力の維持を優先させた。革命の矛盾と弱さは国内で多大な出血と幻滅を生んだが、社会主義と民族解放の旗印は国際的な反響をよんだ。(『角川世界史辞典』より引用)
左翼の(以下略)。1968年の刊行とあって共産主義礼賛を覚悟してたんですが、まさかのレーニンが悪役の配置。ラスプーチンやニコライ2世に並ぶ大戦犯として、ケレンスキー率いるメンシェヴィキの穏健改革を台無しにしてロシアに数十年の混乱をもたらした禍根として描写されてます。口だけ番長レーニンが、無知暴虐のならず者集団ボリシェヴィキを使嗾してメンシェヴィキによる穏健革命の成果を横取りしたって物語は刺激的ですが、そら黙殺されるわと。前半の落日のロマノフ家パートも後半のケレンスキー奮闘記も実に普通に読み物として面白いのでこのまま埋もれさせてるのは勿体ない一冊です。現在のロシアの大暴走とオーバーラップする部分も多いので、是非ご一読を
短い夢を重ねて永遠にして逝く花の偽りが切なく拒む世界を傷付ける
ロシアのウクライナ侵攻も解決の糸口も見えないまま早1年が経とうとしています。ソビエト時代から数えて100年以上も世界の悪役をやってくれてるのはありがたくはあるんですが、さすがに調子乗り過ぎだよなあと。最近売り出し中の中共と合わせてしっかり勧善懲悪の物語に落着しますように。
www.youtube.com
*1:Николай II。ロシア帝国第14代皇帝。父アレクサンドル3世、母マリア=フョードロヴナ。父の後を襲い皇帝即位。対欧友好路線を掲げ、中国進出を企図するも日露戦争の敗北により第一革命を招く。以後も強権を保持するものの、怪僧ラスプーチンなどの佞臣を重用する側近人事から人心は離反し、第一次世界大戦の最中に二月革命が勃発し退位配流。十月革命により処刑。
*2:Влади́мир Ильи́ч Ле́нин。本名:ウラジーミル=イリイチ=ウリヤノフ。ソビエト連邦人民委員会議初代議長。父イリヤ=ニコラエヴィチ=ウリヤノフ、母マリア=アレクサンドロヴナ=ブランク。兄が皇帝暗殺計画に関与し処刑されたことにより革命思想に傾倒。スイスに亡命し機関紙『イスクラ』を創刊し、ロシア社会民主労働党の理論的指導者となる。党が分裂するとボリシェヴィキのリーダーとなる。メンシェヴィキ主導の二月革命に乗じて帰国し、四月テーゼを発表。十月革命によりメンシェヴィキを打倒しソビエトの全権を掌握。コミンテルンの創設など共産主義の国際化に尽力。