脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『革命戦争回顧録』

【悲報】左翼さん「ひろゆきは沖縄民の頑張りを見ろ!」動画ペター → 反対派がヤバいのが拡散されるww | やらおん!
広島で育ち関西も長かったんでなんとなく感覚分かりますが、彼らの反撃できない弱者に対する無慈悲な恫喝はまともな人間の神経だと絶対に心を折られます。ヤクザと同じ公共の敵扱いの断固たる態度で対峙しないと彼らの跳梁を止められませんよ。


 手放したはずのお仕事が結局舞い戻ってきました。予想はしてましたがやっぱしんどいなあ。
 

Aprendimos a quererte Desde la histórica altura

ゲバラ Ernestro Che Guevara Lynch
 1928~'67年。キューバの革命指導者。
 アルゼンチンのロサリオ市に生れる。1947ブエノスアイレス医科大に入学。在学中('51-'52)チリ・ペルー・エクアドルなど南米大陸を旅行。'53医学博士となる。J.D.ペロン*1の独裁を逃れて南米諸国をわたりあるき、グアマテラ革命の失敗をまのあたりにみる。'54メキシコに渡り、'55カストロ*2らと出合う。'56カストロとともにグランマ号でキューバに渡り、第2部隊の指揮官としてゲリラ戦を指導、革命勝利に大きな力を与えた。'59キューバ国立銀行総裁、'61工業相、'62キューバ統一革命組織幹部会メンバー等を歴任し、外交活動でも重要な役割を果たす。'65キューバを去り、'67ボリビアでゲリラ活動中政府軍に射殺された。(『コンサイス人名辞典 外国編』より引用)


 みんな大好きチェ・ゲバラキューバ革命戦争の回顧録。シエラ・マエストラでの潜伏の日々を恐怖も羞恥も失態も虐殺も処刑も敗走も隠さず赤裸々にゲバラの主観たっぷりに叙述してくれてるので、ファンや信者の方にはまごうことなきバイブルだろうなあと。訳者の力量か実に読みづらい文章になってしまってるのはケンチャナヨ。で、内容の感想はというと、英雄譚という名の呪いの書だなこれと。アルゼンチン生まれながら自身とは全く関係のないキューバの革命運動に参画し、政府の弾圧から逃れ僅か10数人から山中に籠って再起。苛烈な闘争の中堕落や挫折した仲間を粛清する苛烈な態度で軍紀と士気を高揚させるって、山岳ベース事件を起こした連合赤軍の愚行そのまんま。彼らが何をとち狂ってあんな凶行に走ったのか地味にずっと疑問だったのですが、チェ・ゲバラの奇跡の成功体験がロールモデルだったんですね。ようやく腑に落ちました。という訳で、サヨクの皆さまを理解するためには必須の一冊。情熱を失い現実と折り合いをつけられた皆さんは是非ご一読を。まかり間違っても現状に不満を抱く憂国鉄腸の士は読まないでくださいね。

Donde el sol de tu bravura Le puso cerco a la muerte.

 ひろゆきの大暴れで今更ながらに馬脚を顕し始めた活動家の皆さん。彼らはきっとチェ・ゲバラって奇跡の英雄の成功を追って今日も明日も戦い続けるのでしょう。そう考えるとホント成功体験って呪いだなあと。


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*1:Juan Domingo Perón。アルゼンチン共和国第29・41代大統領。陸軍で軍事史の専門家として累進し、大戦期にムッソリーニに影響されGOUを組織。労働福祉庁長官として労使協調を推進し国民的人気を獲得。戦後アメリカの圧力により軍事クーデターを起こされるも勝利し大統領就任。「左翼ファシスト」と形容される労働者優遇の政策をとるも対立するアメリカの躍進によりインフレを起こし自由革命により失脚亡命。その後アルゼンチンは、都市ゲリラが跋扈し政情不安が常態化した為、ペロニスタに国家統合の象徴として擁立され帰国および大統領再就任を果たすも指導力を発揮できぬまま病死。

*2:Fidel Alejandro Castro Ruz。 キューバ共和国初代国家評議会議長。父アンヘルカストロ・イ・アルヒス。大学時代に学生運動に傾倒。オルトドクソ党から出馬し当選した選挙が無効とされたのを期に武装闘争に転向。7月26日運動を組織し、バティスタ大統領を逐い、首相就任。キューバ共産党一党独裁による反米容共の政権運営を行い、ピッグス湾事件やキューバ危機、ソ連崩壊などの国難を乗り越え、「最後の共産主義国家」を維持し続けた。